4月24日 成都・チベット族との出会い
成都は、やはりパンダの町かもしれない。お土産、看板、広告など至る所で愛くるしい彼らの姿が目に入る。夜10時の夜行列車の出発まで、どこに行き、何を見ようか。街でもらった観光パンフレットには、「都江堰(とこうえん)」が出ている。2300年前に行われた水利工事、今でも成都平原一帯の灌漑に利用されている現役の施設でユネスコ世界遺産にもなっている。タイで水に悩やまされている生活なので、興味がわくが、限られた時間では急ぎ足になってしまい断念。パンダにも少しは興味があるが、やっぱり市内を歩き、人間を観察した方がおもしろい。
宿となったゲストハウスは人民公園近くで一泊50元。地下鉄とバスを使えば、中心街はどこでも行ける。観光客が訪れる中国の明と清時代の建築物を再現した「錦里」があり
カフェバーや楽器演奏などが行われている。石畳がきれいに再生され、清潔感ある地元名物料理やみやげ物を並べている。「千と千尋の神隠し」の一場面のような街並み、赤と金が目立ち、別世界に入り込んだ感じは、歴史を売りとする観光地のトレンドだろう。プロデュースされ、国内観光客の財布の紐をゆるくさせる。4年前に訪れた雲南省・麗江を思い出す。似たような店舗ばかり並んでいる。そういう判で押したような街づくりには統一性はあるが、テーマだけが先行し、土地の生活からは離れていく。
決して中国だけの話ではない。昨年訪れたベトナムのホイアンでも同じ光景を見た。齢を重ねると開発前の古いイメージを知っているだけに、なにか物足りない。猥雑でありわくわくするような面白さはない。「匂う、雑多、気を抜けない、生活感」が無い観光地は、やっぱり『旅』をする場所ではなく、友達と『旅行』をするための舞台のように作り上げられている。
中国の三国時代には「蜀」の都となり、4世紀初頭には、成漢が建国されるなど、常に歴史の中心都市であり続けた。「武侯祠」は、中国の歴史に登場する三国時代の蜀の王・劉備と宰相であった諸葛孔明を祀る祠堂。『三国志演義』は通俗歴史小説の先駆となり、映画やテレビで見ているので、精通までとはいかないが聞きかじってはいる。「兵法書」として、またビジネス競争の過熱の中で、競争を生き抜く知恵や企業のリーダー像の見本としてのイメージを持っている。中国人観光客も興味があるらしく、資料館の中でも、写真を撮り、足を止め、資料をのぞき込んでいる。私にとってもこれまで曖昧だった地理関係性が明解になり、戦略の難しさや地域の特徴などが具体的に理解できはじめた。今度は歴史書の『三国志』も読んでみようかな。
「武侯祠」のすぐ側に、成都にすむチベット人コミュニティはあった。道路一つを隔てると観光客の姿はなくなり、通りの雰囲気は一変する。ラマ僧が街を歩くだけでなく、公安の数が増える。通りの中ほどには、西蔵自治区人民政府駐成都辦事処(チベット自治区人民政府成都事務所)があり、周辺には仏具や民族衣装の店が並ぶ。狭い横道の奥には住居となるような古いアパートが見え隠れして,遠くはラサまで人々を載せて走る4WDの車が路上に駐車している。
四川省だけで150万のチベット人が,そして成都には10万人が住むといわれる。政治的、宗教的な緊張感を覚えるのは第二次大戦後、中国共産党がチベットを侵攻し、圧倒的な軍事力を背景とする強硬姿勢の前に、チベット政府ダライ・ラマ14世が亡命。その後数々のチベット人弾圧のニュースを耳にしてきた。自治区人民政府の主席はチベット人となっているが、人民政府党書記は漢人がその席を握っているし、3年前にはこの四川省にあるカンゼ・チベット族自治州色達県にある世界最大の仏教学院ラルンガルで,中国の警官と私服警官が4万以上ある修行小屋の一部破壊もしている。私の固定観念が作り出したものだろうか、行き交う人々にむけてカメラのシャッターを切るのに躊躇する。
通りには独特のリズム感・雰囲気があり、ここだけは時間の流れが違うことを肌で感じる。マニ車はチベット仏教の真言を唱えながら手で回すもの。この通りでも老人たちはこの習慣を行っていた。この回転がゆったりとした人々の動き、歩きにも影響する。僧衣、民族衣装に身を包んだ彼らの体格はひと際大きく見え、民族への誇り高い意識が表れている。中国には55の少数民族があり,共産党中央政府は自治政府を認め融合的コントロールを目指している。ウイグルのイスラム教、チベット仏教。宗教が作り出す社会秩序や文化。これに対して共産党政府はどこまで説明ができるのか。ITの発達による監視や経済発展では到底無理だろう。街をゆっくり闊歩する誇り高い人々を見ながら感じざるを得なかった。