toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

飛行機を使わない旅〜タイから日本まで〜5

425日 いざ、西安

 10発の寝台列車に乗るために地下鉄に乗り、成都駅に到着したのは2時間前だった。古くから交通の要所として成都駅の待合室は、7千人を収容できるという巨大な駅。大きな荷物を持ち、各地に向かう夜行列車を待つ人々で溢れる。座る場所もなく喫煙室に逃れるが、さすがの私も耐えられない満杯・満煙状況、呼吸ができないスマホのチャージもできない。駅の一角に軍人や介護を必要とする待合室を発見。空気もきれいだし、座席に余裕がある。カウンターがあり,ダメ元で「どうすれば、この待合室を利用できるのか」と英語で尋ねた。すると、係員の女性は「どこへ行かれますか?」と丁寧な英語で応答、「西安行き」チケットを見せると、「一人ですか?」と愛想よく聞いてくる。「Yes」と笑顔で答えると、「入っていいよ」と手で案内してくれた。朝から街を歩き疲れ顔が年齢以上に見えたのか、とにかくラッキー。出発時間が来ると、椅子まで迎えに来てくれ、案内嬢が構内裏道をエスコート、ゆったりとホームに向かうという特典までついた。中国の鉄道は通常、列車が出発する15分前に改札が開き、プラットホームに向かう。その時また混雑ができるが、私はまさにVIPになっていた。中国は経済発展によって物質的には十分先進国になっていると思う。それだけでなく、ホスピタリティーも国際水準に向って確かに変化しようとする動きを垣間見たそれは、おそらく国からのトップダウンではなく、この受付係員のように自己裁量判断できる幅の広がりや、ソフトなサービスが金になることへの人々の理解・体験から始まる。

南のタイからここまで北に上がると、風も心地よい。もう半袖は止めよう。忘れていた針葉樹の濃い緑が際立つ。8時に兵馬俑で有名な西安に到着。西安という名前はついているが、都市拡大によって外れ新設された西安南駅だった。田舎にぽつんと立てられた駅、日本では駅が無くなる時代にまだまだ西安は発展しますよと言わんばかり。中心部までは路線バスと地下鉄を乗り継ぎ、1時間の距離。ローカルバス車中、中国語がわからないと判断された私は、親切な車掌のおばちゃんによってバスの乗客の女学生に「乗り継ぎを手伝ってやれ」と指名した。彼女の案内でバスから地下鉄駅へ、チケットの購入から空いている車両、そして降りる駅まで丁寧に教えてくれた。スマホ翻訳を使ってやり取り。ここでも若者は巧みにこの機械をこなす。中国版のメッセンジャー、「WeChat微信)」でさっそく友達になる。ここでもおもてなしを受けた。

実は、すでに西安の町は2度通過している。5年前に息子と行った新疆ウイグル自治区ウルムチから北京までの帰路寝台列車で通過、そして3年前は飛行機乗り継ぎ時間を利用して兵馬俑だけを見に来ている。秦の始皇帝、人馬や家屋や生活用具をかたどった8000体以上の俑が埋納されている写真を見た方も多いだろう。2200年前、その造形と規模は極点に達し、圧倒される。前回は広大な面積にあるこの世界遺産を一日費やして歩き回ったため、シルクロードの起点、西安の街をまったく見ることができなかった。これが今回の途中下車の理由だ。

唐代には大帝国の首都として世界最大の都市に成長した長安西安)。国際都市としてユーラシアを結ぶ周辺諸民族の都市計画の模範となる都市だった。碁盤の目状の道路、南北を貫く大通り、北の政庁の位置、河川の配置といった特徴は御存じのとおり日本の平城京平安京のモデルともなっている。遠く西方とのつながりを感じさせるこの城郭内の散策が途中下車の目的。目指すは、イスラム教徒の街「回民街」。青い眼のトルコ系中国人がいるウルムチほどではないが、イスラム帽子、ヒジャーブ姿の人の数が増える。羊肉、ナツメッグデーツなどが露店に並ぶ。2年間仕事をしたパレスチナジェリコの露天市場の匂いを感じる。やっぱり、地中海からここまでつながっているのだなー。シュワルマ発見。直立の鉄串に突き刺した肉をぐるぐる回しながら直火で焼き、ナイフでこそぎ取り、オリーブや野菜を入れ、パン類でサンドイッチ状にして食べる。トルコ料理ではケバブと呼ばれ、日本でも都市部で見たことがある。注文すると、人懐っこく「マレーシア人か」と聞かれる。イスラム教徒同胞と感じたか、それとも顔つきがやはり東南アジア系なのか。余談になるが、今回の旅で、パスポートを見せない限り「日本人か」と聞かれることなかった。

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ケバブ

回民街の一角には、「西安清真大寺」と呼ばれるモスクがある。一般的なドーム天井やアザーンが流れるミナレットはない。仏教のお寺のように見えるが通路がアーチ型になっていたり、アラビア語の彫刻が刻まれている。東西文化の融合というより、その時々の権力者からの迫害や排除にうまく適合させる人々の知恵を見る。ダーウインではないが,生き残るためには文化にも「適者生存」があると思う。

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西安のランドマーク鐘楼にて


田舎から出てきたお登りさんは、最後に14世紀に建てられた鐘楼へ。高さ
36メートルの鐘楼は、周囲の近代的なビルに引けを取らないほど壮大な木造建築。内部には、唐の時代の鐘が納められている。城壁の4つの門から伸びる大通りが交わる交差点のど真ん中にあり、数百年にわたって人々に時を伝え、西安市街のランドマークになっている。これで今日の観光は終わり、8キロ以上は歩き、靴が独特の異臭を放ち始めた。

中国での宿は通常,青年旅舎を利用している。一泊1000円程度。日本で言えばユースホステル。ほとんど若いスタッフはフレンドリーで英語が通じる。近くに地下鉄,バス停があり,ローケーションが良い。さらに庶民の食堂が近くにある。自分の足で行動するには最適の場所だ。その中でも西安の旅舎は最高だった。抗日戦った八路軍(共産党)の歴史的建物を利用しており,兵舎がそのまま部屋になっている。とはいっても内部はリノベーションされ、きれいなベッド、温水シャワー、Wi-Fiが完備されている。中国人バックパッカーが多く、彼らのニーズがこうした宿を生み出しているのだろう。

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宿泊した青年旅舎玄関