toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

飛行機を使わない旅〜タイから日本まで〜7

427日 9.18歴史博物館&国境の町、丹東

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9.18歴史博物館


瀋陽での途中下車のもうひとつ目的は、「9.18歴史博物館」を訪れること。瀋陽は日本軍時代、奉天と呼ばれていた。9.18事件とは満州事変のこと知ったのは、年前シベリアの日本人墓地を歩いた時のことだ。1931918日,日本が戦争の道をたどり始めたひとつの事件について詳細はあまり知らなかった。中国政府はこの事実をどのように伝えているか、私に植え付けられた歴史認識どの程度ギャップがあるのか。ここを訪れた理由だ。アジアを歩く場合、どうしても引っ掛かるポイント。それは戦争。30年前、マレーシア、シンガポールを歩いた時は、戦争を体験した高齢者から日本軍の勝手な行動を聞かされ、辛い思いをした。国家ではなく、一人の体験者としての声は心に突き刺さった。

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日本語での説明がなされている

 この歴史博物館は、当然、中国政府として過去を忘れない、そして次世代への教育的役割と自国民の誇りを持たせていることは確かだ。しかし、当時の悲惨な写真や遺品を通して訪問者には、"人”として何かを感じさせる。世代は変わるともやはり歴史は捨てきれない。満州事変は関東軍の独断行動によるものと考えられている。軍部が強くなる中、関東軍参謀の河本大作は、日本政府の国際協調路線派を「お人好し」と非難し、「満州の鉄道利権を守るためにはクーデターのひとつでも起こすほかない」と、友人に伝えていたそうだ。どの時代にもこうした日本人がいることは知って置かなければならない。まして影響力のある人であればなおさらだ。安倍総理の祖父にあたる岸信介の写真もこの博物館の一角にある。満州国政府ができた後、1936年10月に満州国国務院実業部総務司長に就任、産業部次長、総務庁次長を歴任、この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施している(博物館およびwikipediaより)。近代になり日本がアジアに出向き、戦争という行為を通して後世に伝える教訓はしっかり受け止めたほうが良いだろう。私はその時生まれてなかったからという問題ではない。そのような考え方が、無意識に受け継がれているかもしれないから。「帝国」という認識を持ち始め、自己優位性の奢りに落ちた。国民一人ひとりはそうでなかったかもしれないが、国家という幻想によって動きが止まらなくなった。悲惨な経験をした中国にもこれは当てはまるかもしれない。中央で考える人々は、力強くなる都市をどのように取りまとめ、共産党国家という幻想をいかに維持するかに悩んでいるだろう。「一帯一路」という言葉に旅の途中多く出会った。それはひょっとすると中国を乗り越え、世界覇権への道かもしれない。この数十年のうちに大きく変化した中国。奢りが足元を掬う歴史を繰り返さないためにも、9.18歴史博物館はあるのかもしれない。

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 午後、瀋陽から丹東に向かった。高速列車で1時間30分。満席で立席チケット(ただし料金は同じ)となったが、途中から空いた席に座ることができた。丹東駅前には、毛沢東の大きな銅像が立っていた。この手のものは、いずれ時代の波の中で倒されることが多い。いつまで保つものだろうと考えてしまった。

 白頭山に源を発し、黄海にそそぐ鴨緑江。丹東を流れるこの河が、北朝鮮の境界となる。橋で繋がれ、列車で中国に向かう金正恩委員長の特別列車もここを通過する。タイの家を出発して中国最後となるこの町まで8日かかった。ハングル文字が漢字と同じぐらい眼につく。北朝鮮一日観光の中国人ツアー客の観光産業と輸出入産業で成り立っている。シンガポールでの米朝会談の後、丹東の土地価格は高騰したと言うが、今は少し低迷しているようだ。とは言え駅前は思ったより賑やかで、中国人と見られた私に客引きが次々と声をかけてくる。しかし、経済封鎖のためだろうか。橋を渡るのは観光客を乗せたバスが数台と一日一便の北京ー平壌国際列車しか見なかった。対岸の新義州までは680メートル。向こう側の建物や工場の煙突が見えるが、人の気配は感じない。朝、煙突から黒い煙がチョロチョロ出ていた。工場から出るのではなく、見せかけで何かを焼いているのだろう。

日が沈まないうちに「百度地図」のアプリにお世話になり、丹東国際航運事務所まで乗船券の購入に出向く。おそらく、40キロ離れたフェリーターミナルに行って当日搭乗券を購入できるだろうと思っているが、万が一乗れない場合は、2日後になり長い足止めをくらう。人気のない事務所だったが無事購入。これも経済封鎖が影響しているのか。このフェリーは、韓国からの運び屋がたくさんいると言われてきた。禁止されている韓国のビデオなどがこのフェリーを経由して北朝鮮に入るのかな。私が乗船するのは韓国行きなのでおそらくその風景はは見えないが、逆に中国からは何が運ばれるのだろう。北朝鮮産の朝鮮人参だろうか?

中華料理にも食傷気味なので、北朝鮮の食べ物を探す。川沿いの小さな朝鮮食堂。珍しいものを食べたい頭が先行し、どうも選択を間違ったようだ。外の気温は13度。胃が求めているのは暖かいものなのに。平壌イコール「冷麺」。ついでに北朝鮮大同江ビールを注文してしまった。美味しくない。結局ビールも大瓶1本飲みきれなかった。翌朝は、朝鮮人街に出かけ、やはり豆腐チゲ鍋定食。いっきに身体が温まった。