toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 ウィズコロナの旅は続くよ

その② タイをベースとした老齢の旅

 2017年からタイに移住した理由の一つに、ここを出発点にして近隣の国々を歩くという老後の楽しみがあった。「旅なら日本からでも出きるだろう」と思われるが、やはりちょっと違う。近年、交通機関、IT情報などの発展によってどんな地方、田舎にいてもスムーズに計画立て、行動に向けて調整連絡ができる。現在住んでいるチェンライの地理的条件、経済発展度、インフラ状況を日本の地方と比較すると遜色はない。むしろ、①国内移動経費が安い ②海外に出る壁が低いと感じる意識 ③社会的しがらみが少ないというメリットを享受できるようになった。

(陸路で国境を超える旅は、言語や通貨がゆっくり傾斜するように変化する)

 ①については東京や大阪のように大きな国際空港の近くに住む人ならそうでも無かろうが、山陰の過疎地帯に住む私の場合、近くの福岡空港まで旅費は7000円。朝の飛行機に乗るためには前日宿泊、食事等の経費を考えると片道一万円、運行本数が限られているローカル鉄道を利用すると最低5時間は国内移動に取られる。関空や成田出発となれば、数万円。海外までのLCC航空券より高くなることも多い。
 ②海外に生活する場合、永住権を持たない限り、滞在期間がある。ビザという滞在許可証に記載されるが、私は、一年滞在できるタイのOビザを持っている。パスポートを見ながら、滞在日数を数える。そして滞在中90日毎に、イミグレーション(入国管理局)に状況報告しなければならない。しかし、90日以内に出国すればその必要はない。単純に考えるとリエントリービザ(再入国許可)を持てば、三ヶ月に一回、国外に出てもいいんですよ、と言われているようなものだ。「気分転換にちょっとでかけてくるか」って感覚が起きる。滞在するチェンライ市からはミャンマーの国境メサイまで60キロ、ラオス国境、チェンコンまでは100キロ。時間にして2−3時間もあれば、隣の国に到着する。ローカルバスを利用すれば数百円の移動費で辿り着く。パスポートは机の引き出しでなく、常にカバンの中に入っている。近年、東南アジアでは気楽に国境を超える事ができ、世界一強いと言われる日本パスポートはそれを後押ししてくれていた。更に国外移動のハードルを下げてくれたのが、空路移動の手軽さだ。自宅から4キロにチェンライ空港がある。バイクで15分、そして国際線につながるバンコクの空港まで一日20便の飛行機が飛んでいる。東南アジアのハブ空港スワンナプームLCCドンムアン空港という海外への搭乗口に一時間で到着。経費は、コロナ以前、安いときで3000円程度の航空券もあったが、曜日や時間帯によるが5000円くらいで席を確保できる。
③高齢になり、時間は確かに自由になるが、やはり日本社会で生活するといろいろなことに気を使う。蜘蛛の巣を張ったような田舎に住めば、地域社会での冠婚葬祭、行事等に知らんぷりをするにはいかない。早めに計画を立てて周囲に事前に知らせたり、帰国するときにはやはりお世話になったのでお土産も考えなければならないが、タイ社会では融通が効く。飼っている動物や植物の世話もご近所に簡単に頼める。

しかし、こんな動きやすい状況が、20年春から変わった。コロナの出現によって、「陸路で気楽なアジアを旅(タビ)」の計画が立てられなくなった。地図を片手に、歴史に思いを馳せ、年齢は重ねても外に向かって旅立とうとしても、玄関のドアが開かない。外部条件によって、行動が限定される世の中になった。そして、そこには精神的な圧迫感、窒息感が忍び寄り、年齢的に必要な健康管理への意欲もわかなくなった自分がいた。

スペイン・サンティアゴの道 (50代に30日間900キロを歩いた)