toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 ウィズコロナの旅は続くよ

その⑦ 線路は続くよ(大国の思惑)

 やっとカンボジアに入国。しかし、その前にタイとカンボジアの鉄道についてちょっとおさらい。

イ・カンボジアの国境橋


 タイ側の到着駅名は、「クロンラック国境駅」だった。なぜ国境駅となっているか。それは国境となる小さな川の手前に駅が設置されているからだ。川幅10メートルの国境橋を超えればそこはカンボジア
 タイはカンボジアに繋げたいという意欲を感じる。経済発展に向けて明日にでもオープンしたい様子が、インフラ整備などを通して見え見えだ。しかし、どうもカンボジア側はそうでもないようにも見える。タイの片思いかもしれない。国境橋を超え数百メートル行けば、カンボジア側のポイペト鉄道駅がある。お互いの線路はすでにつながっている。が、今現在ここを日常的に通過する直接列車は残念ながら見当たらない。

 この国境を超える線路の歴史を振り返ってみると面白い。フランス領インドシナと独立国タイが広く繋がるこのカンボジア平原はそれぞれが早くから鉄道網を発達させていたが、フランスの力が拡大するのを恐れたタイは国境でつなぐことを望まなかった。しかし、1942年に日本軍が戦争物資の移動のために軍用列車を走らせた。その後、両国間の国交樹立、断行により、1961年まで復活と休止を繰り返している。そして70年代、カンボジア国内戦に伴いカンボジア側は鉄道施設が一部破壊されるなどで動かなくなった。しかし内戦終結後も資金不足や政府内の不一位でカンボジア鉄道修復は長年、取り残されてきた。そして2019年、ついにカンボジア側の修復が終わり、54年ぶりに線路が連結した。
 両政府首相が締結した覚書ではすぐにでも国際列車が通過しそうだったが、21年10月に初めて貨物列車が国境を超えただけで、旅客列車はまだ動いてない。どうもカンボジア側は住民や観光客の便よりもっと大きな政治的、経済的な流れが影響にしているようだ。プノンペンーポイペト間の列車は再びバッタンバン止まりとなり、首都からタイ国境の線は切れてしまった。物理的にはつながっているのに、旅客列車は現れてこない。この路線は、繰り返される両国の外交交渉や大国の思惑によってどうも翻弄される運命を持っているかも知れない。

ハフポスト/高速鉄道をベースに作成

 東南アジアの鉄道輸送は、近年、中国の一帯一路構想によって「高速化」が現実味を帯びてきた。昨年、中国は雲南省昆明からラオス首都ビエンチャンまでの「中老鉄道」を開通させた。コロナの影響でまだ旅客直通列車は走ってないが、貨物列車による物資移動は急速に進みつつある。こうした流れを受けて、各国は物流のスピード化に取り残されないよう、整備計画、インフラ整備にとりかかっている。

 タイはビエンチャンから国境を超えてバンコクまでの高速路線を、中国技術の支援を受けながら17年に着工、28年に完成する予定としている。ラオスに先をこされた高速鉄道の話題は、国民でも話題となり、休日ともなればラオス国内を走る高速列車「瀾滄号」はタイ人観光客で一杯となる。

 カンボジアは既存の路線を修復するのにあまり力を入れたくないようだ。昨年末、フン・セン首相がポイペトープノンペンシアヌークビルを一気に高速化するよう発表、物量移送の拡大を図っている。既存路線の修復や改良より、新路線建設に進んでいく。とりわけカンボジアの政治から経済までの中国依存はポルポト時代から長く続いている。

 東南アジアの高速網は、タイ、マレーシア、シンガポールまでつなげるだけでなく、カンボジアベトナムまで回廊計画され、広軌道によって移動の時間短縮をはかっている。特にラオスカンボジアに関しては、「債務の罠」とは知りつつも、「中華路線」への流れに追随しなければならない国情になっていることは多くの人が指摘している。

 カンボジア国境を超えた時、気候的、文化的にはタイとあまり変わらない匂いを感じた。ゆっくりのんびりと旅ができそうだったが、どうも気合を入れる必要あり。国境という非日常的風景な場所柄もあろうが、経済や人々の動き方がちょっと違う。どうも中国という影がタイより多くのしかかっている。鉄道状況しかり。安定しているようで、どこか信頼関係が少ない社会かもしれない。政治経済が大きく絡み、タイでは少なくなった不正やいい加減さが見えてくる。「植民地化」という言葉は適切でないが、この国は、まだ大国の意向によって動かされていると感じる。

 鉄道の旅は基本的に好きだ。色々な国を旅したが、旅にゆとりができる。やはり時間が読めるし、特に向かい合う席やコンパートメントでは友達ができる可能性が高い。寝台列車を利用したシベリアの旅もそうだったし、マチュピチュへの列車でもそうだった。広大な中国国内の新幹線移動やウイグルへの旅もたくさんの筆談をした。特にインドではしんどい思いをしながら40年前から色々な経験を学ばせてもらった。(本ブログ インド・ミャンマー辺境への一人旅⑦)

 さて、次回からアンコール遺跡群があるシェムリアップについて書いていこう。