toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023  ウィズコロナの旅は続くよ

その⑨ アンコール・トムと大乗仏教

アンコール・トム

 アンコール・トムに興味を持ったのは、「当時のジャヤヴァルマン7世が集大成した遺跡に観世音菩薩の彫刻が施されている。つまりアンコール・トムの遺構にはヒンドゥー教大乗仏教の混淆が見られる」ことだった。いきなりwikipediaから難しい単語を借用したが、仏教の歴史を見ると、私には奇妙に見えた。大乗仏教

 海外をタビするとよく質問を受けた。「あなたの宗教はなーに?」。食べることに精一杯だった家に育った私にとって、冠婚葬祭ぐらいしか知らず、これは難しい質問だった。宗教に厳格な家庭に育った人ならば、ある程度自信を持ってクリスチャン、仏教徒神道と答えられるかも知れないが、私の場合はそうでなかった。借家住まいの労働者の息子として、無難に暮らすために、親から宗教の話はほとんど聞いたことがない。そのかわり子供の時から「政治と宗教の話は、しないほうが得」と教えられた。家の中には神棚があったが、年始年末にお供えをし、手打ちをする父親の姿ぐらいしか覚えていない。両親とも次男、次女で、家には仏壇もなく、仏事に直に触れることはなかった。母親が亡くなり、初めて仏壇を購入、我が家は浄土真宗(父方・西本願寺派、母方・東本願寺派)であることがわかった。
 タイで生活を始め、子供が生まれた時の出産証明書に、「宗教」を迫られた。それまで「無宗教」と答えるのに抵抗を持たなかったが、そのころには英語のAtheistic(無神論)Agnostic(不可知論)という単語を知るにつけて、無神論のような意味を持つ「無宗教」を簡単に口にすることができなくなった。神の存在は意識しつつ、はっきりとした信仰がない自分がやっとAgnosticであるとわかり始めた。だから「無宗教」ではなく「神道」と答えた。”Shinto”は日本人独特の宗教であるという認識があり、タイ人にすれば国籍「日本」のわたしがそう答えてもいささか違和感がない。天皇がこの宗教に絡んでいることを知っている人も多く、細かなツッコミはない。
 ところで、仏教国「タイ」で、私はなぜ「仏教徒」と答えなかったか?「仏教徒」であると公言すれば、タイ人としては仲間意識が湧き、親近感を持ってくれのはわかるが、当時、私がどれほど仏教の事を知っているかと聞かれれば、親の葬式で少しかじったぐらいだ。日常の祝祭や行事に直接触れているタイ人から比べれば、仏教の教えさえも知らない自分の存在に気付いた。高度経済成長の日本社会でそれなりに大学まで学校教育を受けていたが、社会については何も知らない自分の弱さが見え、答えられないと思っていた。やがて、イスラムユダヤ、クリスチャンの国での生活を終えて、二度目のタイ生活を始めた5年前から、年齢的にも、タイ社会での仏教に関心を持ち始め、少しは仏教について語れるようになった。そのきっかけになったのは、インド・ブッダガヤへのタビだった。(インド・ミャンマー辺境への一人旅②に記載)

 「タイ仏教」、同じ仏教ではありながら、日本のそれには伝来の過程や解釈のが違うことが少しずつ分かってきた。よくタイ人から質問を受けたのは、「日本の僧侶は結婚できるんだって?」。「仏門に入るために、タイでは出家が必要」であり、毎年の入安吾、出安吾の行事はいまだにタイ人の生活では重要な儀式となっている。お寺は重要な地域資源であり、コミュニティーを形成している。托鉢もある。タンブンもある。仏日には、村人はお寺に参る。

 この違いを、日本のそれは「大乗仏教」、タイは「小乗仏教」だからと説明された。同じインドを源とした仏教でありながら、この違いはなんだろう。タイ語ではニカーイ・ マハーヤーンนิกายมหายาน(大乗仏教)ニカーイ・ ヒンナヤーンนิกายหินยาน(上座部仏教、テラワーダ仏教、小乗仏教)とわけている。近年、政治的、経済的変化の中でタイ仏教も組織(サンガ)の変化や修行形態の変化も起きているが、やはり基本は小乗仏教だ。

 Yahoo知恵袋では、こう説明している。「とりあえず小乗仏教という言葉は大乗仏教側が用いる差別用語なので、使用を控えようというのが昨今の流れ。小乗仏教は本来、上座部仏教と言う。仏教とは修行して悟りを得ることを目的とした宗教で、その本来の教えに忠実に修行をしようというのが上座部仏教。それに対して、修行者が仏教の精神を広く説くことにより、人々が修行せずとも仏教を信仰することは可能だと説くのが大乗仏教上座部仏教は主にアジア南方のスリランカからミャンマーやタイやカンボジアなどに広がる。大乗仏教は日本・中国・韓国などに伝来した。タイなどでは僧だけが仏門に入り修行、人々は僧を尊敬しその修行を支えている。そのため、お坊さんが人々の尊敬を集め、身分が高いとされている」。大雑把に言うと、大乗仏教ではだれでも悟りを開けるが、上座部仏教では出家したものだけが悟りを開けるという違いがある。それ故、上座部仏教の出家者の戒律は厳しく、結婚や食事など200以上の制限がある。
 大乗仏教上座部仏教はいつ頃から別れたたのだろう。そこには、インドからスタートし、アジアに広く伝来の歴史に少し足を突っ込む必要がある。まさに、ブッダガヤからどのように教えが広がったのか知りたい。日本を含めた東アジアはまさに西域ガンダーラを通り、中国、朝鮮を経て六世紀なかばに伝来したというを日本史で習った。三蔵法師西遊記の話になればよく知っている方も多いと思う。そしてその足取りを歩いてみたいというのが現在の私のタビの興味どころでもある。

 さてカンボジアのアンコール遺跡群に話を戻すと、現在のタイ・カンボジアは当然、上座部仏教である。だから、7世紀以降のアンコールの遺跡群はヒンズー教をベースとして上座部仏教が関わっていると私は思っていた。ところが上記のようにアンコールには大乗仏教の影響が残っていた。その証拠を見せてくれるのが、アンコール・トムのセンターに位置するバイヨン塔。バイヨンの呼び方で広く知られているが、クメール語の発音ではバヨンの方が近い。バは「美しい」という意味で、ヨンは「塔」の意味を持つ。バイヨン (Bayon) は、カンボジアのアンコール遺跡を形成するヒンドゥー・仏教混交の寺院跡。

中国人(顎ひげ)との交流が描かれている



 アンコール・トムの中央付近にある。そこのレリーフにジャヤバルディ7世の時代、中国からわたってきた大乗仏教の影響を受けていた。観音像。そして、回廊には当時のクメール王朝と中国の関係が多く記録されている。当時、西域からシルクロードを通り北伝した仏教が中国から南下し、このクメール文化に大きく影響を与えていた。クメール王国の偉大さ、それは11世紀まで続いた。