toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023  ウィズコロナの旅は続くよ

その⑩ 仏教徒 ジャヤーヴァルマン7世

 アンコール・トムは、「ジャヤーヴァルマン7世がチャンパ国に対する戦勝を記念して12世紀末ごろから造成に着手したと考えられており、石の積み方や材質が違うことなどから、多くの王によって徐々に建設されていったものであると推測されている。当初は大乗仏教の寺院であった」(Wikipediaより)。

チャンパ水軍 バイヨンでの彫刻

 ジャヤーヴァルマン7世は、なぜ仏教徒だったのか。気にかかる。素人ではあるが、アンコール遺跡群の訪問は、歴史と宗教を勉強するタビでもある。昔は地理の方が好きだったが、齢を重ねると、歴史に興味が沸いて来る。昨日今日の話より、もっと長いスパンで人々の行動の法則性を見たいと思うようになるのは、人生の残り時間を計算し始めるようになったせいかもしれない。 
 東南アジアは、インドと中国の2つの文明に挟まれた地域であるが、クメール以前のカンボジアを見る限り、インド文化の影響を受けている。クメール文字もサンスクリット文字に似ている。古代、隣国となるチャンパ国(現ベトナム南部)を含め、海路による商人の経済的な影響や国家形成などを見ると、この一帯はインド化が進んでいた。そこでは、ヒンズー教バラモン教)や仏教の信仰が広まったとされる。ジャワ島の世界遺産ボロブドゥールもインドから伝わった大乗仏教を保護し、建設された仏教寺院である。8世紀のことだ。当時のジャワの王朝は、カンボジアやチャンパにも影響を及ぼし、歴史を知らない私にも、仏教との関連が見え隠れする。ただし、この時期の仏教は、上座部仏教ではなかった。上座部仏教は、クメール王朝がタイやビルマの勢力によって衰退し、スコタイ、アユタヤ王朝が栄え始める13世紀以降から、カンボジアに広がってきた。
 バイヨンで、当時の中国(南宋)とのつながり回廊彫刻を見て、前回の記述で、「西域からヒマラヤを越えて北伝した中国の大乗仏教が南下して入って来てきた」と思っていたが、どうもそうでもなさそうだ。タビから帰国して色々な文献を読みながら徐々にそれが判明してきた。

 

『1177年にアンコールがチャンパ国によって占領されたことを知ったジャヤーヴァルマンは、軍隊を連れてクメールに帰国する。チャンパとの戦闘にあたり、ジャヤーヴァルマンの妻ジャヤラージャデーヴィーは、勤行に身を投じてジャヤーヴァルマンの勝利を祈願した。プリヤ・カーン付近で白兵戦、トンレサップで水上戦が展開され、クメール軍はチャンパ軍に勝利する。戦争で荒廃したアンコール都城を復興した後、1181年にジャヤーヴァルマンは王位に就いた』(WIkipedia)。

 彼の即位直後に妻が亡くなり、彼女の姉妹インドラデーヴィーを新たに王妃に迎え入れる。この姉妹はとても熱心な仏教徒であったと言われ、彼自身にも大きく影響したかもしれない。ヒンズー教には、身分差別(カースト)や男女差別が、根強く残っている。ところが仏教では、すべての人は平等であると教えられている。私の勝手な想像だが、彼が仏教徒になろうとしたのは、妻たちへの想い入れかもしれない。

 一方、ジャヤ−ヴァルマンはとても好戦的な性格だったかも知れない。当時、チャンパ王国とのクメール王国の戦いは長く続いた。また国内にはジャヤーヴァルマンの支配が及ばない地域が多く、断続的に反乱の平定が行われた。そして1190年にチャンパを撃退、チャンパの首都を占領する。

 チャンパとの戦いで疲弊し、国王も精神的に病んでいたかもしれない。こうした状況が、仏教徒として、戦乱で荒廃した国の復興を目標とし、仏法で国を統治することへの志しとなったのではないか。仏教がどの様に彼の心の中に入ったのか定かでないが、「安らぎ」を求めたと想像する方が私にとっては納得しやすい。。アンコール・トム、そしてセンターにあるバイヨンがそれを物語っている。バイヨンはアンコール美術最盛期の象徴とも言われ、バイヨンに刻まれた浮彫にはチャンパ王国との戦いをテーマにしたものが多い。今回のタビはそれを確かめたかった。

 アンコール・トム周辺には、仏教にかかわる寺院や僧坊などがたくさん残っている。特に印象が強かったのは、ジャヤーヴァルマンとの関係が深い「プリヤ・カーン」と「タ・プローム」だった。

 プリヤ・カーンの位置は、アンコール・トムの北大門から1.5kmほど道を北東に進んだ右手に在る。この地はかつて王宮が建てられていたが、王宮を支配していたチャンパ王国をジャヤーヴァルマンはここで戦って討ち、その跡に自らの父を模して彫らせた観世音菩薩像を1191年に安置している。

プリヤ・カーン寺院の観音菩薩

 タ・プロームは、カンボジアにある、12世紀末に仏教寺院として建立された。映画「トゥーム・レイダー」の撮影で有名になったガジュマル等の樹木による浸食が激しい寺院。今回のタビの中で、とても』印象的だった。長い間、人と触れ合わなかった遺跡には、文字通り樹木が食い込んでいる。熱帯の巨大な樹木は遺跡を破壊しているようにも見えるが、いまや遺跡を支えているようにも見えた。

 残念ながら、ジャヤバルマーン7世が亡くなった1218年以降は、再び寺院全体がヒンズー化した。クメール王朝の衰退が始まり、西部に居住するタイ人の台頭によってアンコールを中心とした水陸のネットワークは崩壊し、現在のタイの基礎となるスコタイ朝やランナー王朝が始まる。そしてアンコールの遺跡群は長い間、ジャングルに覆われる。

樹木が食い込んでいる遺跡。ター・プロム寺院にて