toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023  ウィズコロナの旅は続くよ

その⑪ やはりアンコール・ワット

中央祠堂


 「アンコール・ワット」。遺跡群の中で、カンボジアを訪れる人で、この名前を知らない日本人はいないだろう。シェムリアップを訪れる観光客が第一に訪れるところであり、東西1500メートル。南北1300メートルにも及ぶ、当時のクメール王朝の粋を集めた建築技術や宗教文化の素晴らしさは枚挙にいとまがない。さらに文化遺産としてでなく、その自然環境の素晴らしさに、初めて訪れる人々は感動する。カンボジアにとって重要な建築物であり、政変により国旗も何度かデザインが変わったにも関わらず、アンコール・ワットは常に描かれている。


 このアンコール・ワットはなぜ、こんなに有名になったのか。その背景には数々の理由があると思う。私は、この遺跡には、その歴史に物語性が付随していることが、観光客を魅了しているように感じる。
 まず、フランス領インドシナの植民地となったことから始まる。西洋人にとっては、密林の中で約600年間眠り、保存されていたこの遺跡は、とても神秘的だ。それから、近代の過酷なカンボジア内戦の中で、クメール・ルージュの立てこもりの舞台となりながら、奇跡的な維持保全がなされたことが、平和となった今の世界で、注目される存在になっている。

上:民主カンボジアポルポト政権)国旗、下:現在の国旗

 アンコール・ワットはスーリヤヴァルマン2世が、12世紀初頭から約30年かけて建設したヒンズー教寺院だ。多くの人がインドネシアのボロブドゥール、ミャンマーのパガンと並べて、東南アジアの三大仏教寺院としているが、建設当時は仏教寺院ではなかった。クメール王朝が衰退し、アンコールが放棄された後、16世紀半ばに、仏教寺院に変化していった言われている。アンコール・ワットが西洋人の注目を受けるようになるのは、1860年頃。この地がフランス領インドシナになった時代。数百年に渡り密林の中に隠れていた東洋の遺跡を初めて見るヨーロッパ人に取っては驚くべき文化であったに違いない。文化の国、フランス人によって調査研究が行われ、世界にそのストーリーは広まった。現実には、密林の中にひっそり隠れてたように見えるが、地元民はその存在を忘れることはなかったと言われ、13世紀以降、アユタヤを通して入ってきた上座部仏教の僧侶たちが住み付き、仏教寺院にしたと言われ、それなりの保存がされてきた。
 もうひとつの物語は、1975年、インドシナ戦争後、ポルポトが政権を握ったことによる。彼らのイデオロギーは、都市の住民、資本家、知識人からの財産や身分を剥奪した。その中には僧侶も含まれ、宗教を禁止し、アンコール・ワットの存在意義も否定された。実行組織であるオンカー(革命組織)によって、そうした人たちの大量虐殺がおこなわれたことは多くの人の記憶に残っている。1979年、ベトナム軍のカンボジア領内への侵攻によって、ポルポト政権は追放されたが、長年、タイ国境付近の領域を支配し、潜んでいた。アンコール・ワットはその拠点だった。壮大な寺院は堀と城壁に囲まれ、砦としての役割を十分に持っていた。さらに好都合なことは、遺産としての価値が高いために、クメール・ルージュを打倒するする側も、大きな武器を使わなかった。 1980年代クメールルージュは徐々に勢力を縮小、92年にアンコール遺跡群は世界遺産登録、さらに93年にはカンボジア総選挙が実施され、平和への道へ落ち着きを取り始めた。
 世界遺産、とりわけ文化遺産に関しては、外観からみる視覚的な素晴らしさだけではなく、やはり、すこし背景を知っているほうが、旅の面白さをましてくれる。そこにある歴史や維持保全の困難さに対して訪問者の多くがそのバックボーンを理解し、好奇心をわかせる。おそらく「知」の満足感だろう。そういう意味で、このアンコール・ワットは多くの人々を魅了する。1993年には12万人の訪問者が、コロナ前の2019年には660万人(カンボジア観光省統計)まで増大していることがそれを物語っている。
 私が学校で習った世界史では、世界の中心となった西洋の歴史がほとんどだった。東洋の歴史、とりわけ小国が多い東南アジアとなると、近代のベトナム戦争以外はほとんどん知らない。さらに、中世となれば習った覚えがない。でも、アンコール遺跡群を訪れる人には、ぜひ事前に歴史を勉強することをおすすめする。

 朝日が登るアンコールワットの姿を眺め、メインゲートの西門からゆっくり入場した。巨大な遺跡が語ってくれる壮大な歴史は、この齢になっても時として小さなことに悩む自分をふっとばしてくれた。ゆっくり石畳の上を足を運びながら考えた。

 『政治・宗教』から生みだされた人々の動き、エネルギーが文化を想像し、歴史を創っていく。タビは、歴史と重ねながら自分を紐解き、残された時間をいかに使っていくか考えるための道具だろう。身体が動く限り続けたいと思うと、急に足が軽くなった。

アンコール・ワット参道にて