toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー㉖ ホータンからチャルクリクまで列車の中で

 仏教が伝わった経路を辿って、敦煌西安を目指したが、どうも道は遠いようだ。「タイへ急遽帰国」という計画変更を昨晩決断した。70歳を迎える古稀の一人タビ、辺境の地を7キロの荷物を背負って、住民と同じ手段で移動・滞在・食事をしながらインドからパキスタン、そして中国へつなげてきたが、道半ばシルクロードでストップすることになった。

 当初、タビの途中で体調を崩し、諦めることがあるかもしれないとは予想はしていたが、まさかクレジットカードを失くし、金欠病に罹患して、リタイアとは情けない。トホホ。

 手持ち現金だけではこの先陸路日程をこなせない。ゆっくりと時間を楽しむ心の余裕も失くなった。帰国してカードや身分証明失効処理作業もしなくてはならない。

鉄道地図

 と言っても、現在、タクラマカン砂漠のディープな場所にはまっている。そう簡単に逃げ出せるものでもない。ホータンにも空港があり、国内線を乗り継ぎ高跳びできる可能性もあったが、運行便数が少ない上に飛行運賃がやたら高くなる。新疆ウイグル自治区省都ウルムチ(烏魯木斉)国際空港までたどり着ければ、タイまでの格安航空会社があるとわかったので、まずは1000キロの道のりを列車を乗り継いでいくことにし、ホータン(和田)駅に向かう。やはり背中の荷物がいつもより重い感じがするのは心の揺れだろうか。

 

 和田(ホータン)市と若羌(チャルクリク)を結ぶ和若鉄道は昨年開業した新鉄道路線。それまではローカルバスで乗り継ぎ移動しかできず、この行程は最低でも3日を必要とした。全長825キロ、世界第二の流動性砂漠であるタクラマカン砂漠の南縁を走る。一日一便しかない 列車で若羌(チャルクリク)まで行き、明日の列車でそこからウルムチを目指す。まだ運を使い切ってないようだ。列車チケットを手にすることができた。

列車の乗車券はホータンーチャルクリク(左)、チャルクリクーウルムチ(右)

 12時半に出発する5815列車が若羌(チャルクリク)に到着するのは真夜中。タクラマカン砂漠の南側を約10時間走る。車窓からの遠景はずっと霞んでいる。砂塵とまでは言わないが空気中に砂が混じり視界を遮っているのだろう。時々、目に入ってくる植物は、コトカケヤナギ(学名:Populus euphratica)。中国語名は「胡楊」と呼ばれ「ポプラ」の一種。幹に多量の水分が蓄えられており、穴を開けると水が吹き出す現象は「胡楊の泪」と言われる。葉は家畜の飼料となる。幹は建築用の木材や、また紙の原材料にも成り得る。 樹皮には駆虫薬の作用があると伝えられ、小枝を噛んで歯磨きにも用いられる。( Wikipediaより抜粋)

 防風林と土壌侵食の対策として線路や高速道路沿いに植林されているらしい。玄奘の時代だけでなく、古来よりシルクロードを歩く人達、そして移動生活をしていた遊牧民にとって、この植物は人々を助けて来た。何もない砂漠、そんなところでも自然の息吹に触れることができる。

コトカケヤナギ

  2等寝台車の中段の席だった。僕の上にはウイグル族の青年がいた。彼は僕が中国人と見て声をかけたが、英語で返答すると戸惑いを見せながら黙ってしまった。ただ、興味があるようでじろじろ見る。翻訳アプリを出してどこに行くのか聞くと、「新学期が始まるのでトルファンにある大学に戻る」という。ITを学んでいるらしい。そのうち彼も自分のスマホを出してきて、「日本は美しい国か」と聞く。砂漠の新疆から出たことがないらしい。「四季があり、海や山がたくさんある」というありきたりの返答だったが彼は再び遠くを見ながら黙ってしまった。ホータンに住む父親はウイグル族の警察官。兄弟は高校生の妹が一人といる言った。

 「ちょっと待てよ」。中国の一人っ子政策中国共産党が1979年に導入した人口抑制策。1組の夫婦がもうける子供の数を1人に制限した。パキスタンから中国に入る国際バスで重慶から来た漢族の親子と一緒になった。僕が「子供は2人かい?」と質問すると、8歳の娘と5歳の息子を紹介した。英語が堪能なお父さんが「2015年から法律が変わったんだ」と言ったのを思い出した。しかし、眼の前のウイグル族の彼に妹がいるというのはどういうことなのかと疑問が湧いてくる。彼の年齢は20歳で、妹は恐らく15−18歳。2015年以前に生まれたことになる。「今まで聞いた話と違うじゃない」。

 

 一人っ子政策は、主に都市部で実施され、労働力を必要とする農村部や少数民族地区では適用しなかった。ということを数年前、雲南省のハニ族の村で聞いたことがあったが、ここ新疆ウイグル自治区でも同じようなことがあったのだろう。彼にその辺のことをもっと聞いてみたいが、翻訳アプリだと限界があるし、知らない外国人が親世代のことを根掘り葉掘り聞き始めるとうんざりされそうで止めた。

寝台列車の中で

 共産党、政府が音頭をとって実施した人口抑制政策。やっぱり気になる。国家として経済発展や子沢山の貧困対策に必要だったかもしれないが、家庭の問題にまで入り込むのはやりすぎじゃないかと、最初聞いた時感じた。あまりにも急速で人為的な政策の中で育つ次世代の子供たちやそれに付随する家庭や社会の変化に僕は不安が多かった。ちょうど同じ時期、法律までは進まなかったが、タイでも家族計画を推進するNGOが、「子供は二人まで」と大々的なキャンペーンを展開、コンドームや避妊薬を無料で提供していた。国家が直接介入することはしなかったが、非政府組織がこれを代行した。僕はこの組織と一緒に山岳少数民族の村に出向いていた経験があるのでよく知っているが、日本では副作用で許可が降りない避妊注射(デポプロベラ)をアメリカからの支援によって推奨していた。

 今では、医療技術が進んで乳児死亡率も低下、また教育制度拡充によって人々の考え方も変化した。結婚をしない、子供を生まない傾向が顕著になってきた。合計特殊出生率(女性1人が生涯に産む子どもの人数)はタイで2022年で1.3人。ASEANの中で一番早く高齢化社会になると言われている。中国も2022年時点で1.09とその上を行っている。(ちなみに日本は1.26)

 これまでの政策や支援によって人口抑制策は社会に浸透し、今や少子化に歯止めがかかっていない。子は1人で十分、子供を育てることに自信がないカップルは子供を作らない。高水準の教育や高度な職業を得た女性は、快適なライフスタイルを望み結婚しない。

 先進国に仲間入りする前に少子高齢化核家族化に進む。医療、介護、年金など老後生活を支援する各種の社会保障制度が整備されないうちにこうした社会に突入することは、ますます貧富の格差を大きくさせてしまう可能性がある。そんなことを思うと、貧困対策としての人口抑制策は何だったのだろうと思ってしまった。

 

 ウイグルの青年と約一時間ぐらい、列車の中で話したが、思ったより新鮮な経験になった。途中から乗車したウイグルの女学生も加わり、僕に興味を見せて話に耳を傾けるが、内気な性格なのか自分から質問をしてこない。時折、僕の説明を青年がウイグル語で解説している。まさに異文化交流だ。

 会話に少し間ができたので、僕はSNSの中国で最も影響力のある「微博」(wechat)で「友達にならないか」と彼に投げかけてみた。反応がない。しばらくして「对不起(ごめんなさい)」とスマホで打ち返してきた。

 

 新疆に滞在している間、ウイグル問題とはなんだろうかと考えてきた。至るところにある監視カメラ、検問には流石に慣れてきたが、それらは共産党政府の行っている現象でしかない。人々は政府に対してどのように思っているのかはほとんど把握できなかった。デモや暴動などに遭遇すればはっきりするがタビで遭遇することはなかった。しかし、このSNSで「友達になれない」ということを通して、なんとなく、政府と彼らの関係性についてイメージが湧き始めた。僕のような外国人が彼のSNSの中に入ると、やはり目につきやすい。つまり、どこからでも見られているということを彼らは知っているのだ。まして、父親が警察官ならなおさら警戒するに違いない。さらに、僕は写真を取りたいといったら、拒否はしなかったが、顔を隠すような仕草をとっさにした。カメラやSNSに対して異常な反応をしていた。情報がコントロールされ写真も証拠としてどのように使われるかわからない社会に生きてる知恵だと認識できた。彼らはウイグル人で、新疆という特殊な事情で起きているだけかもしれない。中国全土がこのような状況では無いのかもしれないが、これが現実であり、僕にとってはやっぱりショックだった。列車の中では車掌が胸ポケットに小型ビデオカメラをつけて様子を伺っていた。

カメラを向けると、急に顔を背けるウイグルの若者

 日本のようにある程度「信用」がベースにある社会が、むしろ特殊であることは長年の海外滞在経験からわかっていた。「性悪説」という言葉を生み出した中国。やはり身内以外は信用できない社会。政府が「監視、管理する」ということは通常のこととして人々は受けとめている世の中のような気がした。スマホ決済やEC(電子商取引)が急速に発展したのも、お互いが信用できない社会であるがゆえに、両者に「信用」をかませるビジネスが成り立った結果であり、人々が望んだと考えるほうが納得しやすい。

 

 砂漠の闇夜の中を走る列車。遠くに見える一点の明かりが徐々に近づいてきた。若羌(チャルクリク)駅だ。すでに夜10時を過ぎている。下車すると、いつものように「どこから来てどこに行くのか」という改札口での検問があった。外国人は僕だけで一人取り残され、英語が少しわかる担当が来て、パスポートを見ながら記帳していく。街から離れた駅前はすでに人通りもなくなり、結局、警察官にタクシーを呼んでもらい、予約した宿に入った。もう明日になろうとしていた。



2023 古稀のバックパッカー㉕ ホータンでクレジットカード紛失

 ホータンの町は、心地よい。砂漠の中にありながら水辺の風景がある。夕方から柳並木の公園の中を散策した。平日にも関わらず家族連れやカップルが清涼感を満喫している。カシュガルほど大きくなく、喧騒もない。

水辺のある風景・ホータン中心部


 街を歩いていると「臭豆腐」の看板が目に入った。ウイグル料理ではないけど、急に食欲が湧き始めちょっと寄り道。「漢人がやっぱり増えているのかなー」と思いながら覗いてみる。客はいなかった。臭豆腐とは読んで字のごとく、豆腐と野菜を漬け込んで発酵させたもの。アンモニアっぽい独特の匂いがあるが僕は気にならない。そもそもクサヤが好き。臭豆腐を初めて食べたのは、台湾の夜市だった。「長沙臭豆腐」という看板があったから、恐らく中国の湖南省が発祥地だろう。新疆ウイグルまできて久しぶりに漢族の味を楽しんだ。発酵度合いはそれほど高くなく食べやすく、ビールの友としては絶妙な味わいの臭豆腐だった。腹も満たされ、午後9時になりやっと薄暗くなった道をゆっくり宿に足を向ける。

黒っぽい臭豆腐

 しかし、その時になんか嫌な予感がした。肩にぶら下げたウエストバックを見ると、サイドポケットのチャックが開いている。指を突っ込むと中は空洞状態。中にあるはずのカードケースと鍵類がない。ほろ酔い気味の脳の中に一気に血液が流れ始める。

「やっちまったな~」。

 どこに落としたのだろう。臭豆腐店にふたたび戻るが、見て無いと言われる。歩いてきた公園内の道で落とし物を探そうと下を向くが、頭の中が同時に今後の対応を考え始めているので焦点がぼけ、上辺だけなぞっている感じがする。他人から見れば急ぎ足で手当たり次第に動いて滑稽な様子に見えただろう。陽も落ちて暗くなり捜索を諦め、勘違いして「宿に置いてあるかもしれない」と期待しつつ部屋に帰った。

 バックの中やベッドの下をくまなく探すが見つからない。一気に疲れが出る。紛失届けを出すためにホテルを通して警察に連絡した。この宿に連れてきてくれた警察官が対応してくれる。「街中に張り巡らされた監視カメラがあるので、くまなく再生すればわかるはずだろう」と淡い期待を持っていたが、対応が鈍い。もう誰かが手にしているはず。見つかる可能性は少ないだろうと思い始める。「どうして紛失したのか」と聞かれ、「盗難ではなく、落としたと思う」と答えた。公園あたりを歩いているときに写真を取ろうとバックを右肩から左肩にかけかえたり、地面に置いたり、ぶらぶらさせていたのを思い出す。そして、落としたと思ったほうが、自己責任になり、心のざわつきを落ち着かせてくれる。

 

 実を言うとクレジットカードを失くしたのはこれが初めてではない。数年前に、日本からタイに到着したばかりのドンムアン空港で経験した。荷物とともに満員のエレベーターに押し込まれた。そして腰につけていたバックからクレジットカードケースだけがどこかに行ってしまった。チャックが外れていたのでこれは確実に盗難だった。空港警察に行き書類を届けた経験がある。その経験から次にやることはわかっていた。カード類の使用停止連絡。

 

 まず、部屋に戻り、紛失したものの再確認。日本のクレジットカード3枚、デビットカード1枚、タイのデビットカード1枚、タイのIDカードと運転免許証等の番号確認。パスポートと現金は中国入りして、肌身放さずいつもポケットに入れていたので幸いにも手元にある。そして日本のカードの使用停止作業に入る。インターネットで日本にいる子どもたちとやり取りしながら、使用停止の届けを行った。一部のカードは電話対応しかできないので国際電話にも対応した。タイのカードに関しては、タイの友人に連絡して停止手続きをお願いした。 

 ただし、全てのカードを停止すると、手持ちの現金だけではこれから先、敦煌西安昆明ラオスを通過してタイのチェンライまでは到達できない。陸路だと最低10日は必要だろう。そのため電子決済用にGoogleに登録してあるカードの1枚だけは、タイに帰国してから停止することにした。それまでの間、誰かに利用されるリスクは伴うが、現金だけでは物足りない中国国内でのホテル決済や移動交通機関のチケットの電子決済の必要性があると考えた。そんな余裕ができたのも、以前の紛失経験があったからだろう。

 

 カード停止後、次に重要な決断をしなければならないことがある。それはこの古稀バックパッカーのタビを無理しても継続するか、それとも途中で断念するか。インドからここまで3週間以上歩いてきたが、体調はまったく問題なかった。通常、尿酸値が高いために、痛風の心配があったが、このタビでは毎日平均3−4キロは歩いていたし、アルコール飲酒の外的制限に遭遇していたので、その発症気配も感じなかった。腸内細菌を多種持っているため大きな下痢もなかった。精神的に中国に入って自由に動けない辛さを感じたぐらいだ。

 

 できれば玄奘が帰途に通った道にそって敦煌西安まで目指したいと言う気持ちは強かった。その可能性をゆっくり検討した。ホータンからチャルクリク(若羌)までは昨年開通した鉄道で移動できる。そこから敦煌までは青海省甘粛省へと省を超えなければならない。鉄道もバスも無い。現地で情報を得ながら山越えをしなければならないことは事前にわかっていた。もう一度、インターネットを開いて調べてみる。高速道があり貨物トラックは走っているようだが、バスなどはない。日本のようにヒッチハイクも考えたが、ここ中国では可能性は少ないだろう。それでなくても監視が厳しい上に省境では検問が必ずあるだろうと思うとそれだけで面倒くさくなる。タクシーをチャーターするしかなさそうだという結論に到達する。時間、お金がどうしてもネックになる。

 今後の移動の問題を考えてみた。西安まで行っても、まだ先がある。5年前にタイから西安までは陸路で移動しており、ある程度はどんなタビになるか予想できる。「タイまで陸路で帰る」という目標のためには、かなり急ぎ足で線と線をつなぐタビになりそうだ。本来の目的である「玄奘の通過した風景を眺めながら、コロナ後に変化している中国社会を感じながら人々の行動をウォチィングする」タビにすることにはならないだろうと思い始める。

 

 「途中退却」にすると決心したのは、すでに曜日が変わった午前1時になっていた。飛行機のお世話になるしかない。ここから一番近い国際空港は1000キロ離れた省都ウルムチにある。そこからタイのバンコクまでのチケットを探すと三日後の8月29日に格安チケットがある。といっても片道4万円するが、まだ停止していないクレジットカードなら電子決済で購入できる。早速予約を入れ、搭乗券を確保した。海南航空ウルムチ(北京経由)バンコク着。

 飛行機が決定すると、その次はウルムチまでたどり着く列車を探す。明朝ホータンからチャルクリクまで列車で行き、一泊後、ウルムチまで再び列車で行く。タクラマカン砂漠の東南端に到着、その後、北に向けて横断路線に乗る。なんと2日の行程。新疆ウイグル自治区は広い。なんとか、変更計画の目鼻がたったのは午前3時。それにしても、昨夜からインターネットを駆使しての作業だったが、これができたのもタイから持ってきたローミングができるSIMカードのおかげだった。中国国内でSIMカードを購入していたら、GoogleやYahooに繋がらない。電子決済やドライブに入れていた情報を活用することもできなかったと思うとゾットする。

予定変更:ホータンからチェルチェンの隣りにあるチャルクリフに向かう。その後敦煌に行かず、ウルムチを目指す

 このまま直ぐに眠りにつくことができるかと思っていたが、疲れも重なっており5分ぐらいで寝てしまった。起床したら宿を引き払い、ホータン駅に向かい、どんな座席でもいいからウルムチまでの列車チケットを購入、午後までには列車に乗ること。もう少し長く滞在したいと思っていたホータンとはあっという間にお別れとなる。(つづく)









 

2023 古稀のバックパッカー㉔ ホータン(和田)探訪

 ホータンはオアシス都市。町は川が流れ、公園には水辺の風景がある。が、道路に駐車した車には砂埃がかかっている。やはりここは砂漠の中にあるのは確かのようだ。町を歩くと日本の黄砂のような風景が普通にある。

ちょっと駐車している車に砂埃

 公共バスに乗って、仏教に関する資料を知りたいとホータン博物館を訪れた。11世紀にイスラムが入ってくるまでのホータン(于窴)王国は長い間、仏教王国だった。パキスタンのクシャーナ王朝のカニシカ王古稀のパックパッカー⑨)と繋がっていたと言われている。一時は、カニシカ王自身のホータン出身説まであった。1−3世紀頃の初期時代、ここの仏教はどんなだったのだろう。資料によると上座部仏教に近かった説一切有部(せついっさいうぶ)ではなかったかと説明されている。(説一切有部は、部派仏教時代の部派の一つ。紀元前1世紀の半ば頃に上座部から分派したとされ、部派仏教の中で最も優勢な部派であったという。参考:Wikipedia

 西暦 644 年。ここに数ヶ月滞在した玄奘はその間、古代コータンの都・ヨートカン(約特干)を訪れ、『大唐西域記』に「伽藍百有余所、僧徒五千余人、並びに多く大乗法教を習学す。王甚だ驍武にして、仏法を敬重する」と記録している。西暦7世紀はすでに大乗仏教の教えに変化していたのだろうか。そして当時、ここではクワを栽培し蚕を飼育し、絹織物も生産され、他地域への輸出品となっていた。まさにシルクロードの名にふさわしい。

菩薩頭。和田博物館収蔵

 午後から、「和田玉市場」に出向いてみた。

 南にある約海抜4000m上流の崑崙山脈源流から和田川が流れ、そして川はタクラマカン砂漠の中に沈んでいく。この川では古くから「和田玉」が採れる。古い河床またはその両側の河川敷に分布しており、地表に出ていたり、地下奥深くにもぐっていたり、河床に散在しているらしい。

 毎年秋に河床が低下すると、数万人から数十万人の人が和田玉を探すため、掘ったり、拾ったり、河に入って石をすくったりするという。うまく探し当てれば一夜でお金持ちになる人もいるし、何ヶ月経っても全く収穫すらない人もいる。何れにせよ誰でも採取することができる。

和田川

「玉」とは翡翠。妻に結婚指輪も渡してないような僕は、ほとんど宝石について門外漢なのだが、翡翠に関してはすこし学んだことがある。というのは、今から数十年前にタイ最北端のメーサイという町で宝石商をやっていた許さんという中国系タイ人との出会いが始まりだ。日本語を知りたいと訪ねてくるようになり、翡翠の話をよく聞いた。「Jade(ジェイド)」と言われる翡翠の世界的産地のミャンマー。国境にあるメーサイは流通経路としてたくさんの翡翠商売人が住み、許さんも大きな店を構えていた。

 彼がよく言っていた「翡翠には硬玉(ジェダイト)軟玉(ネフライト)の2種類があり、ビルマミャンマー)で産出されるのは硬玉。その中でも緑色のものが価格も高い。一方、軟玉として有名なのは中国のホータン。」という地名を覚えている。そして、翡翠の見分け方として、光を当てる方法を教えてくれた。「懐中電灯で翡翠を光にかざしたときに、内包物や色むらが少なく、透明度が高いほど価値が高くなるそうだ。しかし、翡翠は鉱物のため、どれだけ透明度が高いものでも、必ず色の濃淡や内包物がある。光に透かしてみて全く濃淡のない石や、気泡がある石は、天然翡翠ではなく人工石の可能性が高いから気をつけろ」と言っていたのを思い出す。 

 「和田玉」はネフライト。鉱物的に異なるジェダイドと比べ価格的には低いが、古代中国では健康、長寿の石として龍などが彫刻され、貢物として珍重された。とりわけ和田で取れる白色のネフライトは「羊脂玉」として、当時は最高級品としてシルクロードを通って長安に運ばれた。

 ホータンにはこの翡翠専用の市場がある。まさに一発屋が集めた石の売り買いをする場所だ。売り場にテーブルを持ち、大量の原石を並べる店以外にもポケットに石を入れた人々が、路上で品定めをする人たちを取り囲み、懐中電灯や小型顕微鏡で品質を見ながら交渉をしている。ここは公設市場となっているが、ふらふら歩いている僕にも近づいてきてポケットから原石を取り出して見せる。言葉がわからないのとやっぱ見慣れてないので目利きができず笑って誤魔化すが、まさに誰でも参加できる自由市場という雰囲気がする。

和田玉市場。多くの人で賑わっている。

 夜には、「和田夜市」という食堂街に出向く。羊などをベースとした新疆料理に並んで海鮮料理店がたくさん出店している。海から世界一遠いのではないかと感じるこの地域、何千キロも離れているのに魚介類を店頭で焼いている。食べ物には糸目をつけない中国人の胃袋と中国国内の鉄道や高速道路網の発達を感じざるを得なかった。僕はわざわざここまで来て魚を食べなくても良いと相変わらず安い麺類だけを食べる。もちろんビール付きです。

和田夜市。何千キロをタビした牡蠣なども並んでいる。

2023 古稀のバックパッカー㉓ タクラマカン砂漠に沿ってホータンに向かう


カシュガル(喀什)からホータン(和田)へ

シルクロード

 監視の目に悩まされたカシュガル。でももう一度行きたい街であることは確かだ。中国というよりエキゾチックな雰囲気に魅了される。漢人の国内観光客もウイグル貸衣装を身につけ、写真を撮ったり、異国情緒ある街並みをぶらりと歩いていた。買い物型から体験型の旅行が中国国内でも展開し始めている。漢民族がここの民族文化にもっと触れることが増せば観光を通して人々の『多様性の尊重』が進み、理解し合えるかもしれないと思いながらカシュガル駅に向かう。

カシュガルからホータンへ

 列車はカシュガル10:43発、ホータン到着15:30のT9531号。10時といっても北京時間だから3時間の時差がある。駅に向かって宿を出た時は薄暗かった。


いよいよ新疆ウイグルの動脈の「天山南路」を外れ、玄奘が通った「西域南道」に入っていく。目指すはホーテン(和田)。その距離は488km。世界第二の流動性砂漠であるタクラマカン砂漠の南縁に位置する。『流動性』という単語は、この砂漠が時代によって動き地形が変化しているためだ。居住地だけでなく、川や湖も移動している。井上靖の「桜蘭」でその様子が描かれている。春から夏にかけて起きる猛烈な砂嵐をはじめ、常に風の力によって砂が舞っている。タクラマカンウイグル語で「一度入ったら出られない」という意味だそうだ。昼は40度、夜には零下20度にもなる。この砂漠に沿って歩き始めるのだと思うと、洋の東西を繋げた過去の歴史と壮大な自然を目の前にしてワクワク感が湧いてくる。

 列車の車窓に入ってくる景色は、喜多郎の曲「シルクロード」にあるゆったりとしたイメージとは異なった。右手に広がる崑崙山脈、そして左手にはタクラマカン。広大な砂地がどんどん拡がっていくが、砂が視界を遮る。日本の黄砂のような現象がずっと続く。

砂によって視界が悪い

 砂で線路が埋まらないように線路脇植物のアシで防砂・流砂処置が工夫されている。湿地に生えるアシが、乾燥した砂漠でも大きな役割を発揮し、「流砂固定」の材料となっている。アシの茎を乾かし砂丘に運び、1メートルの正方形を作り路線の両側に置く。「草方格」と呼ばれる。その敷設は鉄道や道路建設と同時に行われる。草方格が砂丘に敷かれていると、砂が吹き飛びにくくなるためだ。(参考:Sicence Portal China より)

アシによる「流砂固定」

 列車は定刻にオアシス都市のホータン駅に到着した。ここは漢・代の中国では「于窴(うてん)」として知られていた仏教王国だった。西暦 644 年。玄奘は、ここに数ヶ月滞在したと言われる。出国禁止の中をインドに向かい、唐の太宗からの帰国の許しが出るのをここで長く待った。彼が持ち帰った仏典の数は657部、馬を利用したが、この砂漠にはいり数十頭に及ぶラクダのキャラバンとなった。僕は快適な列車のタビになったが、移動だけでも大変だっだろうと広大な風景を見ながら想う。

 町外れに大きく建てられたホータン駅から移動中にアプリで事前予約したホテルに向かう。ところが、僕が予約書を提示すると、「部屋がない」と言っている。説明が中国語でされるが理解できない。「宿泊できない」のだろう。今回のタビで二度目(最初はパキスタンペシャワール)のドタキャンだったが、まだ日も長いのでわりと落ち着いていた。ペシャワールの時は一時的にテロ情報から一斉に外国人は止められないと説明があったが、今回の受付は「部屋がない」と一点張り。マネージャーを呼んでもらい、予約番号や日時を丁寧に説明した。翻訳アプリを通して少しずつ内容がわかってきた。「このホテルは外国人を宿泊できる資格がない」とのこと。高級ホテルではないが、6階建ての三つ星ホテルとされており、価格は3000円程度だった。Tripという旅行予約Webサイトも当てにならない。なんだかんだと言っているうちに、このあたりを管轄にしている警察が入ってきた。彼は、ホテルのコンピューターを操作しはじめた。そして、「このホテルには外国人は泊まれない」という。警察官が確認したのは、『外国人の宿泊者を登録するときに使うネットシステム』の登録末端がこのホテルにあるかどうかだった。中国国内のすべての宿泊施設は外国人を泊めるときに、このシステムを使ってパスポートにある顧客データをすぐに国に登録しなくてはいけないという法律があるようだ。それができない。カシュガルの青年旅舎でも直ぐにチェックインできなかったのはこのシステムを通して前日のチェックアウト処理がされてなかったことが原因だったことを思い出した。この国の外国人の移動はリアルタイムですべて管理されているこのシステムのことがだいたい理解できるようになった。中国語で外宾(wàibīn)と内宾(nèibīn)というらしい。外宾というのは「外国人客」。内宾で「国内客」。予約サイトに内宾と書かれていれば泊まれないことが確認できるらしい。結局、警察官が、近くで宿泊できる宿を紹介するということで落ち着いた。「ただし、このホテルより安いところ」と条件付きの要望をお願いする。彼の車で連れて行ってもらう。無料。恐らく訳のわからない外国人へのサービスだろうが、こんな警察の利用方法もあるのだと考え始める。

予約したが宿泊できないホテル

 ところで、登録末端をここ程度のホテルなら設置するのがなぜできないのだろう。もっとチープな青年旅舎の多くは海外向けの宿泊予約アプリには登録されているのに。旅館側も外国人を泊めればお金が入るので泊めたいはずだ。何か基準に満たないのだろうと勘ぐってしまう。そういえば、対応を待っている間にホテルのロビーの奥の部屋に「卡拉OK:カラオケ」看板を見かけた。おそらくこうした施設があるところは登録させないのだろう。共産党政権は特に外国人に対して見せたくないものには蓋をしたがる。

ウイグル人女性(列車の中で)

 夕方になり、ホテル周辺をぶらり歩いてみる。駐車してある車は砂を被っている。やはり砂漠の中にある街だと実感する。公務員や警察官などは漢人だが、街を行き交う人の顔はウイグル人。大きな街で、人口は40.89万 (2018年wikipedia)のうち90%を超えるウイグル族と言われている。興味ある資料を見つけた(西日本新聞)。ホーテンの漢民族ウイグル族の人口増加率が下がっている。2019以降の人口統計は発表されなくなったが、増加率は漢人に比べ大きく下がっていると記事には掲載されている。この数値はウイグル族の人口抑制が意図的にされているのではないかと予想される。

民族別ホータン人口増加率(西日本新聞より)

 さて、明日から定番の博物館訪問、そしてホーテンといえば有名な「白い翡翠」の現場を歩いてみる。



2023 古稀のバックパッカー㉒ カシュガルの街で感じた中国社会

 僕のタビは基本的に個人旅行。もちろんグループや団体で楽しく、美味しいものを食べる旅行も嫌いではない。が、線と線をつないで対象物となる観光地または有名店に行く(行った)のが目的となると、人々や生活に触れたりすることが少なく、時間にふりまわされ、時には退屈になる。

 ひとり気ままに歩くことは、時に自分の感性に触れることができる。異文化の中にマイノリティーとして身を置き、これまで自分が培った価値観や刷り込まれた社会システムへの気づきにつながる。新しく出会う社会ルールや人々の行動にどうも興味があるようだ。時には否定的になり、時には肯定的になり、自分が持っている社会への適応能力や意識の幅を確認できる。タビはすこしキツイこともあるが、自己判断し、生きている実感を肌でつかもうとしていることを納得できればこの年齢になっても楽しい。タビは人生の縮図のように思える。

管理社会

 こんなタビをインド・パキスタンでは楽しんできたが、国境を超え中国・新疆ウイグルに入ってから、バックパックを背負ったひとりタビにはすこし息苦しい気配を感じるようになる。タビは本人と対象者あるいは対象物の関係なのに、『第三者が割り込んでくる感覚がある』と言ったほうがわかりやすいかもしれない。何かしら目障りなのだ。建物に入るのにチェック、移動の度に身分証明、パスポートを常に手にしておく必要がある。僕一人が対象ではなく中国人たちもやっている。ウイグル人中央アジアの顔つきが違う人の方がもっと厳しいようにも感じる。これが社会ルールとなる。自由が効かないと思うのはこれが原因だろう。宿で出会った他省から旅行できた中国人(漢人)青年は、「新疆だからね」と言う。僕も初めての中国ではない。コロナ前には雲南省から遼寧省まで縦断したが、以前はもっと楽だったような気がする。

 この社会ルールが、中国共産党によってここ新疆ウイグル自治区を維持する基本的な姿勢だろう。管理、監視体制。共産党を通して漢人が民族、宗教が違うウイグル人たちを支配する手段に見える。『我々の法や制度を教えてやっている』という匂いが漂う。それに対する抵抗や反対を起こさせない予防措置が強く働いている。

路上での検問

 こんな光景を駅で見た。列車のチケットを購入するために長い列ができていた。そうすると横からウイグル人と思われるおじいさんがカウンター前に割り込んでチケットを買おうとする。チケットカウンターの漢族の女性駅員は列に並んだ人へのチケット発券にコンピューターを打ち込んでおり、取り合わない。しかし、何度も何度もおじいさんは話しかける。何を言っているか分からないが、引き下がらない。すると椅子から立ち上がり、おじいさんに向かって大声で怒鳴り始めた。ウイグル人を指さして、『何度も言ってるでしょ。皆並んでるの。順番を守ってよ』。中国語は解らないが、僕にはそう聞こえた。そして『これだからウイグル人は困るのよ』と思っている様子が顔にありありと出る。

 列車の中ではウイグル族のおばちゃん達がお菓子を6人席テーブルの上に広げて、ぺちゃくちゃ食べながらゴミを散らかしている。通りかかった車掌が来て注意した。ウイグルのおばちゃんは「ごめんね」ではなく、北京語で「謝謝」と言って気まずそうに片付けた。「中国人のあんたらだって、海外に出たら色々なトラブルを起こしているだろう」と思いながら複雑な心境になる。確かに、日本人感覚の僕から見ても迷惑だなと感じるが、インド・パキスタンを歩いてきた僕はそんなにきつく言わなくていいと思う。街を歩くと、確実にわかることはウイグル人漢人の顔つきの違いが一目瞭然だ。同じように暮らしているが、職業、住居エリア、社会行動にも違いを感じる。

駅でのチケット購入。ウイグル人の割り込みあり。

 単純には言えないがマスコミ等から流れるウイグル問題を見聞きしているので、つい「弱いウイグル人、強い漢人」という構造となり、弱者の肩を持ってしまうが、これを前提にものを決めつけないほうが良いだろう。漢人ウイグル人も皆、自分たちが中心という意識は強い。今の共産党政権は「管理しないと何をしでかすか分からない」が前提だろう。国が大きくなればなるほど、監視を徹底的にしようとする。経済発展や情報機器の発展はそれを助ける。そんな状況に遭遇することが多いのがどうも僕のタビを憂鬱にさせているのだろう。

タビの言語

 次に言語の問題がやはりどうもタビの障害となっている。幸い、日本人の僕には「漢字」という武器があるが、手間がかかるし僕の簡体字能力もおぼつかない。これまで歩いたインド・パキスタンに比べるとここでのコミュニケーションはスムーズにいかない。街に出るとすこし苦労する。ウイグルの人から声を掛けられることは少ないので、こちらから英語で話しかけるがどうも引き気味だ。原因は単に僕がウイグル語も中国語も使えないことにあるのだが、簡単な英語でのコミュニケーションがなかなかできない。それと感じるのは、言語の問題より見ず知らずの人と話したくないような傾向を見ることだ。ましてや彼らからすれば僕は漢人に見える。

 農村部よりは都市部の人、一般的な労働者よりはホワイトカラー、年配の方より若者に英語が通じる印象があるので、学生や若い人を狙って声をかける。宿泊にユースホステル(青年旅者)利用するのはそんな理由もある。大きな街にしかまだないが、若いスタッフの何人かは英語で対応してくれる。僕の印象では、大学生と話したが、思ったより英語ができないという感じがした。彼らは学校でも英語を習っているそうだが、日本と同じように日常社会の中で使うことが少ないのが理由だろう。

宿泊したカシュガルの青年旅舎。若いスタッフは英語を話す。

 日本でも最近の若者は外来語を使うことが多い。日本語はカタカナで表記するので見分けやすい。(といっても、最近はカタカナ語が氾濫して、意味不明のものもあるが…)

英語から中国語になった単語がある。若い人たちとはそういう言葉を使えば、ある程度理解し合えるのではないかと考えた。教えてもらうと、どうも違う。マクドナルドは麦当劳 mài dāng láo(マイダンラオと聞こえる)、スターバックスコーヒーは星巴克 xīng bā kè(シンバークと聞こえる)中国語は英語の音を意識しながらも意味を重視した翻訳をしているらしい。「音訳」といっても首をかしげたくなることも少なくない。だから日常使っている英語由来の単語との関連性があまり持ちにくいのかもしれない。

 翻訳といえば玄奘が持ち帰った仏教経典。サンスクリット語で書かれた仏典を彼はどのように翻訳したのだろう。「般若心経」をはじめ、彼が翻訳しているが、中国語に相応しい訳語を新たに選び直しており、それ以前の鳩魔羅什らの漢訳仏典を旧訳( くやく )、それ以後の漢訳仏典を新訳( しんやく )と呼ぶと言われている。それらは音訳より言葉の意味を重視したものとなっている。仏事では僕ら日本人はサンスクリットから漢語に訳された漢文で読むがその意味はほとんど理解できず、現代和訳に頼るしかない。やはり難しい。

店の看板見ながら夕食を決める

 漢字世界の影響を受けた日本語がどの程度役立つかは、疑問だが少なくともタビの食事にはアラビア文字をベースにした中央アジアの言語より役立っている。炒:炒める、蒸:蒸す、炸:揚げる、煎:煎り焼く、烤:焼く、焼:煮込む、拌:和える、などの単語と材料名を覚えればある程度の予想ができる。まあ、通常行く安食堂では目の前にある料理を指差すだけで済むのだがメニューを見るとこんな字を見ながらオーダーできる。カシュガルまでイスラム圏内を歩いていたので、久しぶりに豚肉を食べたかった。麺類と豚肉を頭の中でイメージ。汁でなく「拌」という単語に注目。「过油肉拌面」( 油豚麺)を注文。出てきた料理は下の写真のようなもの。具と麺が別の皿に分けてあり、ミートソース・スパゲッティーのような感覚で和えて食べる。ちなみにビールは「啤酒 」。お会計は全部で30元。レシートにはウイグル文字も表示されていた

今日は过油肉拌面啤酒を注文

2023 古稀のバックパッカー㉑ カシュガルの街、人々

 パキスタンペシャワール以来、ヒンドゥスタン、カラコルム山脈パミール高原と世界の屋根を歩いてきた。ずっと山の中だった。久しぶりに街に出てきた感があるカシュガル

中国最西端、新疆ウイグル自治区とはいえ立派な都会だ。「ゆっくり」を楽しむことがタビの目的なのだが、中パ国境沿いではいつ出発するかわからない乗合バスや曖昧な運賃で行程を組むのが難しくすこしうんざりしていた。あまり都会は好きではないが、たまには良い。やはり中国の都市部は公共交通機関が整備され移動がしやすい。


*交通移動

 カシュガル市内はもっぱら公共バス利用。隅々を走っている。地図アプリ「高徳地図」を使えば、目的地近くを何番のバスが通るか示してくれ、いちいち尋ねなくても利用できる。運賃は通常2元(40円)。乗る前に手元に1元札を2枚用意しておけば電子決済アプリがなくても乗車できる。下の写真のような画面がその実例だ。カシュガル博物館から、宿がある古城に帰った時のものだ。左がバスの番号で地図上のルートに沿って走る。漢字なので何とか読めるし、確認できる。

地図アプリ「高徳地図」と市内バス

カシュガル博物館

 2007年に新設されたカシュガル博物は立派なものだった。玄奘に関する歴史資料とウイグルに関する資料を探したが、玄奘の資料に関しては、石頭城博物館(タシュクルガン)に比べると少ないようだ。唐時代のことしか知らない浅学の僕にとっては他時代の様子を得ることができたが、数々の民族が入り組み、うまく整理できない。ウイグル族に関しても宗教や文化的な側面の詳細な展示を見ることができなかった。

カシュガル博物館と当時の仏像

シルクロードは大きく分けると3つのルートがある。

 天山山脈の北を通る「天山北道」。トルファンからウルムチを通りカザフスタンに抜ける。遊牧民が多く住み、盗賊などに出て安全性はあまり確保できなかった。

そしてトルファンからクチャ、アクス、カシュガルにつながる「天山南道」。名前の通り絹を主な商品とする貿易路として使われたのはこの路だ。

さらにタクラマカン砂漠の南を通る「西域南道」。タクラマカン砂漠の南端を囲むように通り、敦煌からチェルチェン、ホータンを通りヤルカンドまでつながる。

シルクロード概要図 https://sr-caravan.com/ より借用

 玄奘はインドに向かうにあたり往路は天山北路を通り、復路はカシュガルにまで到達した。この時代、疏勒国はすでに仏教を信奉しており、ある程度、安心できる旅をしたはずだ。ここから先、彼は天山南路を通過する予定だったのではないだろうか。しかし于闐(コータン)を通過する西域南道に進んだ。砂嵐や寒暖差があり、降水量が少ないために居住地もあまりない。自然条件の厳しいこの道をあえてなぜ選んだのか、博物館の中で考えた。

 玄奘が出国した当時(629)は、唐王朝が成立して間もない時期で、国内の情勢が不安定だった。その事情から出国の許可が下りなかった。玄奘は国禁を犯して密かに出国する。そうした中、高昌(トゥルファン)の王が往路で彼を歓待してくれ、旅の資金援助をしてくれる。当然、帰途にはお礼を込めて高昌に向かうつもりだったろう。が、高昌は唐の襲撃によって滅亡(640)したことを知り、先行きの不安を覚え、あえて条件の悪い砂漠の道を選んだのだろう。643年のことだ。学者僧侶として有名な玄奘だが、冒険家、さらに政治家としての判断能力の高さを見ることができる。

 僕もカシュガル後は、砂漠の西域南道を進む予定だが、メインルートでなく情報も少ないだけにこれからのタビに幾分か不安は残る。

*観光地 喀什古城

 博物館訪問を終えて、青年旅舎がある「カシュガル(喀什)古城」に戻ってくる。古い町並みは現在も使用されている。土建築群としては世界最大規模を誇る。曲がりくねった路地は迷路のようだ。暑い日差しを避けるような造り。家々の壁には乾燥に強い蔓性の植物、庭先にはイチジクなどが植栽され、中央アジアの各民族が交差する街だった面影を残している。漢民族の社会ではない。タイムスリップし、歴史のトンネルに入ったような気がする。

カシュガル古城街。路地に入ると少し静か。

 中国国内は数年前から、観光業が飛躍的に発展し、それに伴い、ここの表通りには民芸品、レストラン、カフェ、貸衣装屋などが並ぶ。地元文化を伝える役割を持っているが、観光開発コンセプトはこれまで訪れた中国の他の有名観光地とさほど違いがあるわけではない。特に夜間の街全体の照明が現代風にアレンジされ、この一角が巨大なテーマパークのようになっている。すこし派手すぎるように感じるのは僕だけか。とはいえ、訪れる人々はそれなりに異国の雰囲気をたのしんでいるようだ。

車両進入禁止にしてあり、静けさを保つようにしているが、観光客の数が多いために、若干の歩きにくさを覚える。コロナ後、特に国内旅行に力を入れようとしている姿がうかがえる。観光客の多くと商店の経営者は漢人。道端で果物や野菜を売っているウイグルの人をたまに見かける。しかし西洋人観光客を見かけることはなかった。

一昔前の中国旅行では、トイレで困ったが、古城には洒落た公衆トイレが設置されてる

 こんな観光地でも住民への監視はさらに徹底している。市街地は監視カメラだらけで、数百メートルおきに警棒を手にした警察官が立ち、目を光らせる。

 この古城にこの地方で一番大きいエイティガールモスクがある。イスラム教徒が8割を超えるこの町の中心でもあるが、広場や周囲に屯する人影はまばらだ。少し様子が違う。さらにお祈りのイスラム教徒以外は入場料がいる。観光地の建築物としての役割が強調されている。社会主義の価値観、法律が信仰より強いという中国共産党イスラム教の関係がぼんやりと見えてくる。

漢人の旅人たち

 青年旅舎には若者だけでなく、色々な年齢層の宿泊客がいた。ここが観光地の中心地という立地条件だけでなく、やはり安いということも魅力だろう。長く滞在する青年たちもいる。ほとんど漢人だ。沿岸部から来たと言う青年は、大学卒業後、就職もせずにユックリ新疆ウイグルを旅しているという。イギリスに留学していたがまだ職は決まってないという。ウルムチから来た青年は、働く場所を探していると話していた。若年層の就職困難は本当かもしれない。

 一般的な傾向として、中国の若者たちは、外国人の僕に興味は示しているようだが、個人的な話になると、あまり口を開かない。アプリで友達になろうとすると遠慮しがちだ。素性の知れない人に対してはやはり警戒感を持っているような気がする。そして、写真を撮影しようとするとあまり良い表情を見せない。パキスタンではだれもかれも写真を取ってくれという経験との落差が大きい。カメラが怖い監視社会で生きているからだろうか。

 一部屋6人ドミトリーで、青海省から来た同年齢のおじさんと仲良くなった。ヒゲをはやし長髪の風貌。最初は少数民族だろうと思っていたが、漢人で中国語しかできない。彼は、翻訳アプリを利用して興味深そうに話しかけてくる。建設業をリタイヤして、ここに一人で観光に来たそうだ。もう年金をもらっているそうで、一人息子がまだ結婚していないことが気になると身内話をしてくれる。街の屋台に一緒にでかけ、新疆料理でビールを飲みながら話した。台湾や香港で出会った話好きな古い中国人に出会ったような気がした。

 

青海省から来た話好きなおじさんとビールで乾杯。









2023 古稀のバックパッカー⑳ シルクロードの要所 カシュガル(喀什)へ

 国境の町、タシュクルガンからタリム盆地最西端の街カシュガル喀什)に向かう。中国人たちは「カス」と呼んでる。古代には疏勒(そろく)と言われ、シルクロード南路の要所となるオアシス都市。僕が通ってきた路を玄奘も降りてきた。大唐西域記では佉沙国と記している疏勒。玄奘仏教が盛んな国であると記述している。

7世紀時代、大唐西域記の地図(wikipediaより)

 現在、新疆ウイグル自治区の州都はウルムチ。だが、ここが本当の新疆の文化、歴史の中心かもしれない。僕は、カシュガルが過去においても現在においても西域を代表する町のように感じる。同じ宿に泊まっていたウルムチから来た青年がこう語った。「夜行列車で一日かけてカスに初めて来たけど、驚いた。ウルムチ漢人社会。ここはウイグル人が圧倒的に多いし雰囲気が違う」。僕も数年前にウルムチを訪れ、やっと新疆に来たと思っていたが、今回カシュガルを訪れ、街並み、人々、自然の違いを感じる。これまで持っていた「シルクロード」というイメージが浮かび上がる。中国国内かもしれないが、明らかに違う文化圏だろう。

 

 カシュガルまでは中国側カラコルムハイウェイで300キロのタビ。タシュクルガンからは毎朝バスが出ていると聞いたが、バスステーションは閉ざされ、そのような気配はない。乗り合いワゴン車が出ていると教えられ、北京時間朝9時(といってもまだ太陽は登っていない)から待っていた。満席にならないと出発しないのは、パキスタンと同じだ。徐々に乗客が集まり、10時すぎにカシュガルに向けてエンジンがスタートした。7人乗り。座席数しかお客は取らない。パキスタンならこの2倍は乗せるだろう。道路の舗装状況も良いのでこれなら楽チン。道中の苦しさを事前に予想し、準備する必要はない。中国は管理社会で厳しいと言われるが、この辺境でも交通規則は徹底されている。

タクシュクルガンからカシュガルへ乗り合いワゴン車7人乗り

 パミール高原の中を車は快適に進む。約100㌔走った後、右手にカラクリ湖が見えてきた。「カラクリ」は「黒い海」を意味するが、山々の白と青空が水面を彩り、風光明媚なところと言われ、多くの観光客が訪れるらしい。富士山頂上の標高3600mにある天空の湖。周囲は6000m以上の山に囲まれ、氷河の水が流れ込んでいる。湖の近くに集落地(村)がないため透明度もある。残念ながら、僕らの乗り合いワゴンは観光のための車ではないので止まってくれない。車窓から眺めるのみ。その代わりでもないが、途中二回、検問所でストップ。外国人の僕だけ車から降ろされ、パスポートを持って事務所に入っていかなければならなかった。その度に辺境通行許可証を持っているかと聞かれる。そんなものは持ってない。聞くと旅行などでカシュガルからタシュクルガンに行く人には辺境通行書なるものがいるらしい。パキスタンから越境してきた僕はそれを持ってないので、通常より時間がかかる。係官が本部と連絡取って確認後、最終的にはOKと言われる。さすが管理社会。

ラクリ湖(車が停車しないためにWikipediから写真を借りる)

 雪を被った山岳地帯から風景は徐々に変化しタリム盆地の端に入った。町の郊外は乾燥した平坦地。人口百万を超えるオアシスの街カシュガルだ。時計は午後2時をまわっている。ワゴン車がこの街のどこに到着するのかわからない。町の端に止まり、皆降りろと言われたが、3人がどうも約束の場所と違うと言って、運転手と揉めている。僕も街の中心に行ったほうが良いと思いその仲間に入る。車は再び動き出す。地図アプリで現在位置を見ていると人民西路を走っている。どうも予約したユースホステル(青年旅舎)に近いところを通過しているので、急遽下車。歩いて坂道を登っていくと中国風の観光地としてデザインされたツーリズムエリアに宿はあった。

路上でのイチジク販売。漢人社会とは雰囲気が違う

 しかし、チェックインをしようとすると、いきなり「できない」と言われる。英語ができる受付係は経緯を丁寧に説明してくれた。ここでは、宿泊客の行動はどうも警察が管理しているみたい。僕は昨晩、タシュクルガンの宿に泊まっているが、どうもまだ今朝チェックアウトしたという報告なされていないので、ここでのチェックインのコンピュータにアクセスできないとのこと。道路での検問と言い、どうも僕の中国入国後の動線は政府のコンピューターで管理されているみたい。これからの行動にもいろいろ支障がありそう。警察などの質問に辻褄が合うようにしておかなくてはならない。 

 とにかく、宿の電話番号を教えて、チェックアウト報告をしてもらうよう依頼、荷物をフロントに預け、チェックインが完了するまでの時間を利用して少なくなってきた中国元を確保するため街に飛び出た。

 

 中国に入って3日目。やはりこの国の歩き方は、これまでのインド・パキスタンとは違うことを肝に銘じなければならなくなった。酒も飲めるし、食物にもバラエティーがある。道路交通条件もこれまでに比べて整っている。宿もある程度清潔に感じる。が、どうもこの国で僕のような気ままに一人でタビ人には少し息苦しい。

 まず、お金の支払いだ。この国のシステムはどんな田舎に行っても、スマートフォン決済が当たり前。以前、中国を縦断し日本まで陸路と海路でタイから帰国しているが、コロナ以降、感染防止や隔離政策の中で、その利用率はさらに高くなったようだ。

 もちろん現金が使えない訳では無いが、どうもスムーズにいかない。問題点は高額紙幣での会計だ。お釣りがないとかブツブツ言われ、時には商品を受け取れないこともある。ホテルや大きな商店ではクレジットカードが代用できるが、僕のタビではあまり関係ない。やはり雑貨屋での小物の購入や町の食堂で苦労する。これは予想されたことだ。だから今回のタビではAli Payアプリをスマホにインストールしておいた。以前は中国国内に通帳口座がないとこのアプリは利用できないと言われたが、最近は日本のクレジットカードにつなげば利用可能だと言われ、大丈夫だと思っていた。

 しかし、中国に入った初日、タクシュクルガンの食堂で試したが、利用できないと言われる。事前に使用可能かどうかタイで試せば良かったが事すでに遅し。カシュガルに入って、中国人の若者の助けをお願いしてアプリを修正しようとしたが、どうも認証がうまくいかずあきらめた。少々面倒くさいが、今回も以前のタビ同様現金支払いをするしかない。

 さて、少なくなった中国元を手元に持とうと、教えられた銀行街を歩く。最初はATMで現金を下ろそうとしたが、ATMの機械が見当たらない。よく考えたら当然だ。スマートフォン決済をするのにATMはいらない。余程のことがないと必要ないので見つからない。日本もそのうち維持経費のかかるATMが撤去される時期が来るのだろう。銀行前には両替するというマークがあるのに、受付では両替を「今はやってない」と数件の銀行で言われる。最後に中国銀行でやっと可能になった。しかし、両替カウンターはなく、一般業務の順番待ち。さらに書類作成が何枚もあり、両替だけのために2時間かかった。なんでだろう。これだけスマホ決済で便利になっているのに、銀行内業務の面倒臭さ。銀行も国からのコントロールが厳しいのだろうか。

 中国のスマホ決済は2社で行われている。国は銀行を通して個人の懐事情をほとんど確認しているはずだ。中国国内の金融統計データは信用されないとされているが、実態は確実に把握され、経済的な流れや動向をビッグデータでコントロールもできるに違いないと思うようになった。管理社会、恐ろしや恐ろしや。

 

 カシュガルに来て、もう2つ学んだ。一つは監視体制。街角のいたるところに設置されたカメラや宿泊先での警察登録だけではない。移動の度にパスポートを見せなければならない。民族問題を抱える新疆ウイグル自治区だけのことかもしれないが、いつでも見せれるようにポケットに入れておくが、命の次に大事なパスポート。失くならないようにいつも気にする必要がある。精神的に良くない。 

 3番目は、自分の足で歩くために、地図アプリの問題だ。使い慣れたグーグルマップが使えない。タイのSIMを使ってローミングしているのでなんとかGoogle系のアプリは使えるが、位置情報や地図が実際とは違う。最後の最後、目的地に到達できない。仕方ないので中国製アプリの「高徳地図」をインストールする。漢字なので大雑把には使えるが、検索での漢字入力に戸惑う。中国語でなんというのかわからないと簡単に探し出せない。インド、パキスタンの方が動きやすいし、両替も簡単だった。やっぱりなれないと息苦しい。

 銀行から青年旅舎に戻るとすでにチェックインができていた。ドミトリーの部屋やロッカーはすべて番号打ち込みで作動する。紙にメモしてもらったが、桁数が多く字が小さい。老眼の僕にはすこし辛い。シャワーを浴びて、夜まで一休み。

イスラム教徒が多い割には人影が少ないエイティガールモスク