toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー㉔ ホータン(和田)探訪

 ホータンはオアシス都市。町は川が流れ、公園には水辺の風景がある。が、道路に駐車した車には砂埃がかかっている。やはりここは砂漠の中にあるのは確かのようだ。町を歩くと日本の黄砂のような風景が普通にある。

ちょっと駐車している車に砂埃

 公共バスに乗って、仏教に関する資料を知りたいとホータン博物館を訪れた。11世紀にイスラムが入ってくるまでのホータン(于窴)王国は長い間、仏教王国だった。パキスタンのクシャーナ王朝のカニシカ王古稀のパックパッカー⑨)と繋がっていたと言われている。一時は、カニシカ王自身のホータン出身説まであった。1−3世紀頃の初期時代、ここの仏教はどんなだったのだろう。資料によると上座部仏教に近かった説一切有部(せついっさいうぶ)ではなかったかと説明されている。(説一切有部は、部派仏教時代の部派の一つ。紀元前1世紀の半ば頃に上座部から分派したとされ、部派仏教の中で最も優勢な部派であったという。参考:Wikipedia

 西暦 644 年。ここに数ヶ月滞在した玄奘はその間、古代コータンの都・ヨートカン(約特干)を訪れ、『大唐西域記』に「伽藍百有余所、僧徒五千余人、並びに多く大乗法教を習学す。王甚だ驍武にして、仏法を敬重する」と記録している。西暦7世紀はすでに大乗仏教の教えに変化していたのだろうか。そして当時、ここではクワを栽培し蚕を飼育し、絹織物も生産され、他地域への輸出品となっていた。まさにシルクロードの名にふさわしい。

菩薩頭。和田博物館収蔵

 午後から、「和田玉市場」に出向いてみた。

 南にある約海抜4000m上流の崑崙山脈源流から和田川が流れ、そして川はタクラマカン砂漠の中に沈んでいく。この川では古くから「和田玉」が採れる。古い河床またはその両側の河川敷に分布しており、地表に出ていたり、地下奥深くにもぐっていたり、河床に散在しているらしい。

 毎年秋に河床が低下すると、数万人から数十万人の人が和田玉を探すため、掘ったり、拾ったり、河に入って石をすくったりするという。うまく探し当てれば一夜でお金持ちになる人もいるし、何ヶ月経っても全く収穫すらない人もいる。何れにせよ誰でも採取することができる。

和田川

「玉」とは翡翠。妻に結婚指輪も渡してないような僕は、ほとんど宝石について門外漢なのだが、翡翠に関してはすこし学んだことがある。というのは、今から数十年前にタイ最北端のメーサイという町で宝石商をやっていた許さんという中国系タイ人との出会いが始まりだ。日本語を知りたいと訪ねてくるようになり、翡翠の話をよく聞いた。「Jade(ジェイド)」と言われる翡翠の世界的産地のミャンマー。国境にあるメーサイは流通経路としてたくさんの翡翠商売人が住み、許さんも大きな店を構えていた。

 彼がよく言っていた「翡翠には硬玉(ジェダイト)軟玉(ネフライト)の2種類があり、ビルマミャンマー)で産出されるのは硬玉。その中でも緑色のものが価格も高い。一方、軟玉として有名なのは中国のホータン。」という地名を覚えている。そして、翡翠の見分け方として、光を当てる方法を教えてくれた。「懐中電灯で翡翠を光にかざしたときに、内包物や色むらが少なく、透明度が高いほど価値が高くなるそうだ。しかし、翡翠は鉱物のため、どれだけ透明度が高いものでも、必ず色の濃淡や内包物がある。光に透かしてみて全く濃淡のない石や、気泡がある石は、天然翡翠ではなく人工石の可能性が高いから気をつけろ」と言っていたのを思い出す。 

 「和田玉」はネフライト。鉱物的に異なるジェダイドと比べ価格的には低いが、古代中国では健康、長寿の石として龍などが彫刻され、貢物として珍重された。とりわけ和田で取れる白色のネフライトは「羊脂玉」として、当時は最高級品としてシルクロードを通って長安に運ばれた。

 ホータンにはこの翡翠専用の市場がある。まさに一発屋が集めた石の売り買いをする場所だ。売り場にテーブルを持ち、大量の原石を並べる店以外にもポケットに石を入れた人々が、路上で品定めをする人たちを取り囲み、懐中電灯や小型顕微鏡で品質を見ながら交渉をしている。ここは公設市場となっているが、ふらふら歩いている僕にも近づいてきてポケットから原石を取り出して見せる。言葉がわからないのとやっぱ見慣れてないので目利きができず笑って誤魔化すが、まさに誰でも参加できる自由市場という雰囲気がする。

和田玉市場。多くの人で賑わっている。

 夜には、「和田夜市」という食堂街に出向く。羊などをベースとした新疆料理に並んで海鮮料理店がたくさん出店している。海から世界一遠いのではないかと感じるこの地域、何千キロも離れているのに魚介類を店頭で焼いている。食べ物には糸目をつけない中国人の胃袋と中国国内の鉄道や高速道路網の発達を感じざるを得なかった。僕はわざわざここまで来て魚を食べなくても良いと相変わらず安い麺類だけを食べる。もちろんビール付きです。

和田夜市。何千キロをタビした牡蠣なども並んでいる。