toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー㉘ そして新疆の中心、ウルムチへ

ウルムチに向かう車内で

  街の郊外にあるチャルクリク駅に向かおうとしたが、予約したタクシーが来ない。流しはいない。列車は一日一本なので乗り遅れると明日ウルムチ発の飛行機に搭乗できなくなる。中国公安は怖かったけど、近くにいた警察官に近づいた。いつものようにパスポートのチェックから始まるが、事情がわかると無線でタクシーを呼んでくれ、さらに大体の相場も教えてくれる。この方法が有効だとわかったのはホータン(和田)に入ってからのことだ。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」かな。

 今日の行程は、格庫線 (かっこせん)に乗ってタクラマカン砂漠東部を縦断し、コルラ (庫尓勒)へ。そして南疆線(なんきょうせん)に入り、天山山脈を左に見ながらトルファンに向かい、更に蘭新線(らんしんせん)でウルムチ(乌鲁木齐)を目指す。総距離1090キロ、11時間に及ぶ。料金206元(約4000円)

 

 長時間なので車内で飲食品を購入しようとするが、商店で2元の水が7元、5元のビールが12元だったり2−3倍もする。「ボッタクリ商売かよ」と言いたくなる。中国語がわからず、現金払いする僕だけがボラれているのだろうか。以前にも中国鉄道には数回乗ったことがあるけど、こんな感じじゃなかったような気がする。中国の列車車両はお湯が出るので周りの人々は持ち込んだラーメンを自分で作っている。

コルラ(庫尓勒)

 車窓からの砂漠の風景は相変わらず、霞んでいる。コルラ(庫尓勒)が近くなってきた。玄奘ガンダーラに向かう往路で、西にあるクチャ(庫車)から天山山脈を超えてキルギスに入っているので、このコルラも通過しているはずだ。山並みがうっすら見え始め、周囲の風景が緑豊かになってくる。道路沿いにはポプラ並木、灌漑がしっかりしているのだろうか、畑にはじゃがいもが植えられていた。

ポプラ並木とジャガイモ畑。水が豊富になってきた風景

 コルラの街に近づくと火力発電所が見えてきた。海から遠く離れた内陸発電所は独特の空気冷却塔を持っている。僕がよく使う湾曲がある陶器の焼酎カップを伏せたような形。島国日本では海水冷却ができるのでほとんどないが、大陸を駆け巡るとよく出会う。

 海外の報道は民族問題が争点となるが、中央政府にとって新疆ウイグル自治区が重要なのは、豊富な自然エネルギー資源があることが理由だ。「新疆は最も石炭資源が豊富で、その埋蔵量は2兆1900億トンと推定。これは中国国内の石炭埋蔵量の約40%を占めており、全国1位」と記されている。

 コロナウイルス禍で落ち込んだ景気、そして不良債権から起きる経済減速に対応するため、安価で自給可能な石炭を求めて「新たな火力発電所が建設されている」と聞く。2060年までに二酸化炭素(CO2)排出「実質ゼロ」を目指すとの国際公約はどうなっているのだろう。やはりコロナは将来の中国にとって大きな曲がり角になることは確かだ。

火力発電所。独特な空冷冷却塔が目を引く。

ウルムチ(烏魯木斉)

 夜、10時過ぎに予定通り列車はウルムチ駅に到着した。9年前、当時高校生だった息子とこの駅を訪れた。北京行き寝台列車に乗るために発車2時間前に到着したが、駅外からプラットホームまで3回の検問があり、もう少しで乗り遅れそうになったことを思い出す。その1年前の4月にウルムチ南駅で爆破があり82人の死傷者をだし、至るところで厳重な取締り、フェンスで囲まれた雑踏の中で人々のギスギスした雰囲気を感じた。しかし、今は大きく様変わりしている。新幹線もつながり、きれいで洗練された大都会のターミナルとなっていた。9年前のウルムチ駅の姿はどこにもない。当時地下鉄1号線工事が始まっているのを見たが、すでに開通し、2−4号線まで着工中とのこと。ウルムチ駅だけでなく、空港まで変わっている。看板や高層ビルを見る限り、中国東部の大きな街と比べても遜色ない。経済発展のスピード、中央が重要だとすればあっという間に変貌することをまざまざ見せつけられる。

高層ビルが立ち並び、経済発展が顕著に見える。

 すれ違う人々を見ると、漢人の比率が高い。これまで訪れた新疆の各都市に比べ、ウイグル人の顔をみることが少ない。9年前と違う。2020年の調査によると、中国新疆ウイグル自治区の首府であるウルムチ市の住民構成は、漢族が75.30%、ウイグル族が12.79%、回族が8.03%、カザフ族が2.34%などとなっている。ウルムチはすでに漢族の街になっているのではないかと勘ぐってしまう。

9年前のウルムチウイグル人のバザール、モスクが至るところにあった。


 早速、予約した西域港湾国際青年旅舎に向かう。この内陸のどこに港湾があるのだろうと勘ぐりながら場所を探したが、ビル街のど真ん中にあった。集合ビルの中にあるから、大きな看板もなく、目印がない。警備員らしいおじさんに漢字で書いたユースホステル名を見せると、二本の指でクロスをつくるサイン。一瞬、「もう閉まっているのか」と慌てたが、どうも10階へエレベーターで登れと言っているみたいだ。

ユースホステルは十階

 ここでも、チリから来ていた一人の留学生を除いて宿泊者は中国人ばかり。年齢的に明らかにおじさんたちもいる。青年旅舎には当然、「昔の青年」も宿泊できる。もちろんドミトリー(相部屋)が気にならなければ僕のような古稀の人でもOK。早速、シャワーを浴びて、明日の飛行機に乗るために、近くを散策しながら腹ごしらえをする。金欠病にかかっているので、高菜入りのチャーハンだけを頼むが、結構なボリュームの上に油っこい。いつもの食欲増進剤のビールも頼めず、半分ぐらいしか食べれなかった。お店の人が残りを包むから持っていくかと親切に勧めてくれたが、断った。お金が少なくなると胃までも小さくなるのかな。もう夜の12時を過ぎていた。身体が受け付けないのだろう。 

夕食は一品のみ。

 朝、起きたら海南航空からMailが届いてた。「昼過ぎの北京行きの飛行機が5時間遅れで夕方になる」と書かれていた。「おいおい、当日でなく、もっと早く連絡しろよ。そうすれば桜蘭の美女がいる新疆ウイグル自治区博物館を訪問することができたのに」とぐちが出た。一方、面倒くさいことも起きてきた。北京到着時間は21:35。それだと、22:05発のバンコク行きに乗り継げない。いずれにしても、空港に行き、バンコク行きの飛行機便を翌日に変更し、北京での宿泊先を提供してもらうように海南航空と交渉をしなければならなくなった。

 一気にタイまで帰ろうとしたが、なかなか脱出させて貰えない。