toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー㉖ ホータンからチャルクリクまで列車の中で

 仏教が伝わった経路を辿って、敦煌西安を目指したが、どうも道は遠いようだ。「タイへ急遽帰国」という計画変更を昨晩決断した。70歳を迎える古稀の一人タビ、辺境の地を7キロの荷物を背負って、住民と同じ手段で移動・滞在・食事をしながらインドからパキスタン、そして中国へつなげてきたが、道半ばシルクロードでストップすることになった。

 当初、タビの途中で体調を崩し、諦めることがあるかもしれないとは予想はしていたが、まさかクレジットカードを失くし、金欠病に罹患して、リタイアとは情けない。トホホ。

 手持ち現金だけではこの先陸路日程をこなせない。ゆっくりと時間を楽しむ心の余裕も失くなった。帰国してカードや身分証明失効処理作業もしなくてはならない。

鉄道地図

 と言っても、現在、タクラマカン砂漠のディープな場所にはまっている。そう簡単に逃げ出せるものでもない。ホータンにも空港があり、国内線を乗り継ぎ高跳びできる可能性もあったが、運行便数が少ない上に飛行運賃がやたら高くなる。新疆ウイグル自治区省都ウルムチ(烏魯木斉)国際空港までたどり着ければ、タイまでの格安航空会社があるとわかったので、まずは1000キロの道のりを列車を乗り継いでいくことにし、ホータン(和田)駅に向かう。やはり背中の荷物がいつもより重い感じがするのは心の揺れだろうか。

 

 和田(ホータン)市と若羌(チャルクリク)を結ぶ和若鉄道は昨年開業した新鉄道路線。それまではローカルバスで乗り継ぎ移動しかできず、この行程は最低でも3日を必要とした。全長825キロ、世界第二の流動性砂漠であるタクラマカン砂漠の南縁を走る。一日一便しかない 列車で若羌(チャルクリク)まで行き、明日の列車でそこからウルムチを目指す。まだ運を使い切ってないようだ。列車チケットを手にすることができた。

列車の乗車券はホータンーチャルクリク(左)、チャルクリクーウルムチ(右)

 12時半に出発する5815列車が若羌(チャルクリク)に到着するのは真夜中。タクラマカン砂漠の南側を約10時間走る。車窓からの遠景はずっと霞んでいる。砂塵とまでは言わないが空気中に砂が混じり視界を遮っているのだろう。時々、目に入ってくる植物は、コトカケヤナギ(学名:Populus euphratica)。中国語名は「胡楊」と呼ばれ「ポプラ」の一種。幹に多量の水分が蓄えられており、穴を開けると水が吹き出す現象は「胡楊の泪」と言われる。葉は家畜の飼料となる。幹は建築用の木材や、また紙の原材料にも成り得る。 樹皮には駆虫薬の作用があると伝えられ、小枝を噛んで歯磨きにも用いられる。( Wikipediaより抜粋)

 防風林と土壌侵食の対策として線路や高速道路沿いに植林されているらしい。玄奘の時代だけでなく、古来よりシルクロードを歩く人達、そして移動生活をしていた遊牧民にとって、この植物は人々を助けて来た。何もない砂漠、そんなところでも自然の息吹に触れることができる。

コトカケヤナギ

  2等寝台車の中段の席だった。僕の上にはウイグル族の青年がいた。彼は僕が中国人と見て声をかけたが、英語で返答すると戸惑いを見せながら黙ってしまった。ただ、興味があるようでじろじろ見る。翻訳アプリを出してどこに行くのか聞くと、「新学期が始まるのでトルファンにある大学に戻る」という。ITを学んでいるらしい。そのうち彼も自分のスマホを出してきて、「日本は美しい国か」と聞く。砂漠の新疆から出たことがないらしい。「四季があり、海や山がたくさんある」というありきたりの返答だったが彼は再び遠くを見ながら黙ってしまった。ホータンに住む父親はウイグル族の警察官。兄弟は高校生の妹が一人といる言った。

 「ちょっと待てよ」。中国の一人っ子政策中国共産党が1979年に導入した人口抑制策。1組の夫婦がもうける子供の数を1人に制限した。パキスタンから中国に入る国際バスで重慶から来た漢族の親子と一緒になった。僕が「子供は2人かい?」と質問すると、8歳の娘と5歳の息子を紹介した。英語が堪能なお父さんが「2015年から法律が変わったんだ」と言ったのを思い出した。しかし、眼の前のウイグル族の彼に妹がいるというのはどういうことなのかと疑問が湧いてくる。彼の年齢は20歳で、妹は恐らく15−18歳。2015年以前に生まれたことになる。「今まで聞いた話と違うじゃない」。

 

 一人っ子政策は、主に都市部で実施され、労働力を必要とする農村部や少数民族地区では適用しなかった。ということを数年前、雲南省のハニ族の村で聞いたことがあったが、ここ新疆ウイグル自治区でも同じようなことがあったのだろう。彼にその辺のことをもっと聞いてみたいが、翻訳アプリだと限界があるし、知らない外国人が親世代のことを根掘り葉掘り聞き始めるとうんざりされそうで止めた。

寝台列車の中で

 共産党、政府が音頭をとって実施した人口抑制政策。やっぱり気になる。国家として経済発展や子沢山の貧困対策に必要だったかもしれないが、家庭の問題にまで入り込むのはやりすぎじゃないかと、最初聞いた時感じた。あまりにも急速で人為的な政策の中で育つ次世代の子供たちやそれに付随する家庭や社会の変化に僕は不安が多かった。ちょうど同じ時期、法律までは進まなかったが、タイでも家族計画を推進するNGOが、「子供は二人まで」と大々的なキャンペーンを展開、コンドームや避妊薬を無料で提供していた。国家が直接介入することはしなかったが、非政府組織がこれを代行した。僕はこの組織と一緒に山岳少数民族の村に出向いていた経験があるのでよく知っているが、日本では副作用で許可が降りない避妊注射(デポプロベラ)をアメリカからの支援によって推奨していた。

 今では、医療技術が進んで乳児死亡率も低下、また教育制度拡充によって人々の考え方も変化した。結婚をしない、子供を生まない傾向が顕著になってきた。合計特殊出生率(女性1人が生涯に産む子どもの人数)はタイで2022年で1.3人。ASEANの中で一番早く高齢化社会になると言われている。中国も2022年時点で1.09とその上を行っている。(ちなみに日本は1.26)

 これまでの政策や支援によって人口抑制策は社会に浸透し、今や少子化に歯止めがかかっていない。子は1人で十分、子供を育てることに自信がないカップルは子供を作らない。高水準の教育や高度な職業を得た女性は、快適なライフスタイルを望み結婚しない。

 先進国に仲間入りする前に少子高齢化核家族化に進む。医療、介護、年金など老後生活を支援する各種の社会保障制度が整備されないうちにこうした社会に突入することは、ますます貧富の格差を大きくさせてしまう可能性がある。そんなことを思うと、貧困対策としての人口抑制策は何だったのだろうと思ってしまった。

 

 ウイグルの青年と約一時間ぐらい、列車の中で話したが、思ったより新鮮な経験になった。途中から乗車したウイグルの女学生も加わり、僕に興味を見せて話に耳を傾けるが、内気な性格なのか自分から質問をしてこない。時折、僕の説明を青年がウイグル語で解説している。まさに異文化交流だ。

 会話に少し間ができたので、僕はSNSの中国で最も影響力のある「微博」(wechat)で「友達にならないか」と彼に投げかけてみた。反応がない。しばらくして「对不起(ごめんなさい)」とスマホで打ち返してきた。

 

 新疆に滞在している間、ウイグル問題とはなんだろうかと考えてきた。至るところにある監視カメラ、検問には流石に慣れてきたが、それらは共産党政府の行っている現象でしかない。人々は政府に対してどのように思っているのかはほとんど把握できなかった。デモや暴動などに遭遇すればはっきりするがタビで遭遇することはなかった。しかし、このSNSで「友達になれない」ということを通して、なんとなく、政府と彼らの関係性についてイメージが湧き始めた。僕のような外国人が彼のSNSの中に入ると、やはり目につきやすい。つまり、どこからでも見られているということを彼らは知っているのだ。まして、父親が警察官ならなおさら警戒するに違いない。さらに、僕は写真を取りたいといったら、拒否はしなかったが、顔を隠すような仕草をとっさにした。カメラやSNSに対して異常な反応をしていた。情報がコントロールされ写真も証拠としてどのように使われるかわからない社会に生きてる知恵だと認識できた。彼らはウイグル人で、新疆という特殊な事情で起きているだけかもしれない。中国全土がこのような状況では無いのかもしれないが、これが現実であり、僕にとってはやっぱりショックだった。列車の中では車掌が胸ポケットに小型ビデオカメラをつけて様子を伺っていた。

カメラを向けると、急に顔を背けるウイグルの若者

 日本のようにある程度「信用」がベースにある社会が、むしろ特殊であることは長年の海外滞在経験からわかっていた。「性悪説」という言葉を生み出した中国。やはり身内以外は信用できない社会。政府が「監視、管理する」ということは通常のこととして人々は受けとめている世の中のような気がした。スマホ決済やEC(電子商取引)が急速に発展したのも、お互いが信用できない社会であるがゆえに、両者に「信用」をかませるビジネスが成り立った結果であり、人々が望んだと考えるほうが納得しやすい。

 

 砂漠の闇夜の中を走る列車。遠くに見える一点の明かりが徐々に近づいてきた。若羌(チャルクリク)駅だ。すでに夜10時を過ぎている。下車すると、いつものように「どこから来てどこに行くのか」という改札口での検問があった。外国人は僕だけで一人取り残され、英語が少しわかる担当が来て、パスポートを見ながら記帳していく。街から離れた駅前はすでに人通りもなくなり、結局、警察官にタクシーを呼んでもらい、予約した宿に入った。もう明日になろうとしていた。