toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー⑲ タジク人と石頭城

玄奘とタシュクルガン(塔什库尔干)

 タシュクルガンという地名はテュルク語(トルコ系)で石の塔という意味らしい。それ故、この町には石頭城という砦が残されている。そこにも仏教の跡があった。ここはアジア(中国)ヨーロッパ、インドをパミール高原を経由してつなぐシルクロードの要所であった。標高3000mにある町。643年、玄奘は帰国時にここに約30日滞在している。

石頭城遺跡

 石頭城博物館を訪問して、玄奘の復路の動きがはっきりしてきた。記録によるとどうも、僕が通ってきたクジュガン峠を超えるカラコルムハイウェイを通過していない。アフガニスタンのカブールから現在の地図でいうとアフガニスタン国内北東部のワハーン回廊を通過し中国国境ワフジール峠を超えて、タシュクルガンに入ってきている。  博物館の資料では、「入帕米尔高原。自揭盘陀国(今新疆塔什库尔干县 往东,途中遇盗幸脱险。复冒寒履险,约于年底辺 阗(今新疆和田县) ”パミール高原に入る。 ジエパントゥ王国(新疆ウイグル自治区タクシュクルガン県)から東に向かっていた玄奘は、幸運にも強盗から幸運にも逃れることができたが、再び危険を冒し、年末にはホータン(現在の新疆ウイグル自治区ホータン県)に辿り着いた」と記録されている。

玄奘三蔵(石頭城博物館)

 ▼タジク人  

タジク人女性、夜になると広場に集まる

 中国入国のイミグレーション・カスタムでは、漢人職員の対応に中国らしさと嫌な思いを感じたが、僕はこの町の雰囲気が気に入った。正式にはタクシュクルガン・タジク自治県という。街路樹がゆったりとし、人口約3万人の標高3000mの小さな町。そのうち80%がタジク人だ。ここで出会ったタジク人たちの顔の表情に社交性を感じたからだ。トルコ系のウイグル人とも違い、イラン系民族の顔つきをしている。どちらかといえば眉が濃い。体型的にも細めで身長が高い。朝早くからおばちゃんが道路の清掃をしているが、スタイルが良い。ポプラ並木の町にタジク族の女性たちが歩いている姿に出会うと、ロシア、東欧にいるのではないかと錯覚する。ほとんどがイスラム教。隣のタジキスタン共和国スンニ派と違い、ここはイスマーイール派に属すると言われたのでパキスタンフンザと同じ。戒律はそれほど厳しくない。町のどこでもビールが手に入る。さらに中国だからかもしれないが、女性が町の中で働いている。また、言語はパミール語系のサリコル語やワヒ語を用いるそうだが、街の中では漢語を話し、その光景がなんか不思議に思えた。タジクの人々は伝統的にタリム盆地西部の都市やオアシス集落を拠点としてきた。中華人民共和国が成立すると、「55の少数民族」の一つとして「タジク族(塔吉克族)」として独立したひとつの「少数民族」としての地位を獲得した。  

 滞在中に、食堂や商店を訪れたが、経営者は漢人、使用人がタジク人というパターンだった。僕が昼食に入った久しぶりのラーメン屋さん。亭主の漢語の指示をうけてテーブルに丼を運んできたのは、タジク人のかっこいい青年だった。

ラーメン屋の漢人亭主とタジク人従業員

 夜、町の広場に行ってみると、音楽とともにたくさんの人が集まっている。北京時間夜9時といってもまだ明るい。観光客相手に民族音楽のパフォーマンスかと思ったが、どうも様子が違う。周りを囲っている人たちもタジク人なのだ。そして曲が変わるたびに観客が踊り人になっていく。老若男女すべての世代が参加している。夕方から天気が良ければ、日本で言えば盆踊り会場となるようだ。皆笑顔で自由に楽しみながら舞っている。生きている文化を見せてもらった。ただ残念なのは、周囲に、警察の車が停車、監視しているのが気になった。

夜になると広場で踊っているタジク人