toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー㉕ ホータンでクレジットカード紛失

 ホータンの町は、心地よい。砂漠の中にありながら水辺の風景がある。夕方から柳並木の公園の中を散策した。平日にも関わらず家族連れやカップルが清涼感を満喫している。カシュガルほど大きくなく、喧騒もない。

水辺のある風景・ホータン中心部


 街を歩いていると「臭豆腐」の看板が目に入った。ウイグル料理ではないけど、急に食欲が湧き始めちょっと寄り道。「漢人がやっぱり増えているのかなー」と思いながら覗いてみる。客はいなかった。臭豆腐とは読んで字のごとく、豆腐と野菜を漬け込んで発酵させたもの。アンモニアっぽい独特の匂いがあるが僕は気にならない。そもそもクサヤが好き。臭豆腐を初めて食べたのは、台湾の夜市だった。「長沙臭豆腐」という看板があったから、恐らく中国の湖南省が発祥地だろう。新疆ウイグルまできて久しぶりに漢族の味を楽しんだ。発酵度合いはそれほど高くなく食べやすく、ビールの友としては絶妙な味わいの臭豆腐だった。腹も満たされ、午後9時になりやっと薄暗くなった道をゆっくり宿に足を向ける。

黒っぽい臭豆腐

 しかし、その時になんか嫌な予感がした。肩にぶら下げたウエストバックを見ると、サイドポケットのチャックが開いている。指を突っ込むと中は空洞状態。中にあるはずのカードケースと鍵類がない。ほろ酔い気味の脳の中に一気に血液が流れ始める。

「やっちまったな~」。

 どこに落としたのだろう。臭豆腐店にふたたび戻るが、見て無いと言われる。歩いてきた公園内の道で落とし物を探そうと下を向くが、頭の中が同時に今後の対応を考え始めているので焦点がぼけ、上辺だけなぞっている感じがする。他人から見れば急ぎ足で手当たり次第に動いて滑稽な様子に見えただろう。陽も落ちて暗くなり捜索を諦め、勘違いして「宿に置いてあるかもしれない」と期待しつつ部屋に帰った。

 バックの中やベッドの下をくまなく探すが見つからない。一気に疲れが出る。紛失届けを出すためにホテルを通して警察に連絡した。この宿に連れてきてくれた警察官が対応してくれる。「街中に張り巡らされた監視カメラがあるので、くまなく再生すればわかるはずだろう」と淡い期待を持っていたが、対応が鈍い。もう誰かが手にしているはず。見つかる可能性は少ないだろうと思い始める。「どうして紛失したのか」と聞かれ、「盗難ではなく、落としたと思う」と答えた。公園あたりを歩いているときに写真を取ろうとバックを右肩から左肩にかけかえたり、地面に置いたり、ぶらぶらさせていたのを思い出す。そして、落としたと思ったほうが、自己責任になり、心のざわつきを落ち着かせてくれる。

 

 実を言うとクレジットカードを失くしたのはこれが初めてではない。数年前に、日本からタイに到着したばかりのドンムアン空港で経験した。荷物とともに満員のエレベーターに押し込まれた。そして腰につけていたバックからクレジットカードケースだけがどこかに行ってしまった。チャックが外れていたのでこれは確実に盗難だった。空港警察に行き書類を届けた経験がある。その経験から次にやることはわかっていた。カード類の使用停止連絡。

 

 まず、部屋に戻り、紛失したものの再確認。日本のクレジットカード3枚、デビットカード1枚、タイのデビットカード1枚、タイのIDカードと運転免許証等の番号確認。パスポートと現金は中国入りして、肌身放さずいつもポケットに入れていたので幸いにも手元にある。そして日本のカードの使用停止作業に入る。インターネットで日本にいる子どもたちとやり取りしながら、使用停止の届けを行った。一部のカードは電話対応しかできないので国際電話にも対応した。タイのカードに関しては、タイの友人に連絡して停止手続きをお願いした。 

 ただし、全てのカードを停止すると、手持ちの現金だけではこれから先、敦煌西安昆明ラオスを通過してタイのチェンライまでは到達できない。陸路だと最低10日は必要だろう。そのため電子決済用にGoogleに登録してあるカードの1枚だけは、タイに帰国してから停止することにした。それまでの間、誰かに利用されるリスクは伴うが、現金だけでは物足りない中国国内でのホテル決済や移動交通機関のチケットの電子決済の必要性があると考えた。そんな余裕ができたのも、以前の紛失経験があったからだろう。

 

 カード停止後、次に重要な決断をしなければならないことがある。それはこの古稀バックパッカーのタビを無理しても継続するか、それとも途中で断念するか。インドからここまで3週間以上歩いてきたが、体調はまったく問題なかった。通常、尿酸値が高いために、痛風の心配があったが、このタビでは毎日平均3−4キロは歩いていたし、アルコール飲酒の外的制限に遭遇していたので、その発症気配も感じなかった。腸内細菌を多種持っているため大きな下痢もなかった。精神的に中国に入って自由に動けない辛さを感じたぐらいだ。

 

 できれば玄奘が帰途に通った道にそって敦煌西安まで目指したいと言う気持ちは強かった。その可能性をゆっくり検討した。ホータンからチャルクリク(若羌)までは昨年開通した鉄道で移動できる。そこから敦煌までは青海省甘粛省へと省を超えなければならない。鉄道もバスも無い。現地で情報を得ながら山越えをしなければならないことは事前にわかっていた。もう一度、インターネットを開いて調べてみる。高速道があり貨物トラックは走っているようだが、バスなどはない。日本のようにヒッチハイクも考えたが、ここ中国では可能性は少ないだろう。それでなくても監視が厳しい上に省境では検問が必ずあるだろうと思うとそれだけで面倒くさくなる。タクシーをチャーターするしかなさそうだという結論に到達する。時間、お金がどうしてもネックになる。

 今後の移動の問題を考えてみた。西安まで行っても、まだ先がある。5年前にタイから西安までは陸路で移動しており、ある程度はどんなタビになるか予想できる。「タイまで陸路で帰る」という目標のためには、かなり急ぎ足で線と線をつなぐタビになりそうだ。本来の目的である「玄奘の通過した風景を眺めながら、コロナ後に変化している中国社会を感じながら人々の行動をウォチィングする」タビにすることにはならないだろうと思い始める。

 

 「途中退却」にすると決心したのは、すでに曜日が変わった午前1時になっていた。飛行機のお世話になるしかない。ここから一番近い国際空港は1000キロ離れた省都ウルムチにある。そこからタイのバンコクまでのチケットを探すと三日後の8月29日に格安チケットがある。といっても片道4万円するが、まだ停止していないクレジットカードなら電子決済で購入できる。早速予約を入れ、搭乗券を確保した。海南航空ウルムチ(北京経由)バンコク着。

 飛行機が決定すると、その次はウルムチまでたどり着く列車を探す。明朝ホータンからチャルクリクまで列車で行き、一泊後、ウルムチまで再び列車で行く。タクラマカン砂漠の東南端に到着、その後、北に向けて横断路線に乗る。なんと2日の行程。新疆ウイグル自治区は広い。なんとか、変更計画の目鼻がたったのは午前3時。それにしても、昨夜からインターネットを駆使しての作業だったが、これができたのもタイから持ってきたローミングができるSIMカードのおかげだった。中国国内でSIMカードを購入していたら、GoogleやYahooに繋がらない。電子決済やドライブに入れていた情報を活用することもできなかったと思うとゾットする。

予定変更:ホータンからチェルチェンの隣りにあるチャルクリフに向かう。その後敦煌に行かず、ウルムチを目指す

 このまま直ぐに眠りにつくことができるかと思っていたが、疲れも重なっており5分ぐらいで寝てしまった。起床したら宿を引き払い、ホータン駅に向かい、どんな座席でもいいからウルムチまでの列車チケットを購入、午後までには列車に乗ること。もう少し長く滞在したいと思っていたホータンとはあっという間にお別れとなる。(つづく)