toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー⑱ 中国入国、税関で有害書類見つかる

タシュクルガン(塔什庫爾干)、新疆ウイグル自治区

 この町は、パキスタンだけでなく、アフガニスタンタジキスタンとも接している。そのためか、中国入国管理事務所は中パ国境上にはなく120キロ離れた市街に大きな建物を構えている。ここで初めて中国入国となる。朝パキスタンタンを出国し200キロ走り、夜9時にバスはタシュクルガンの事務所に到着した。入管はパスしたが、税関(カスタム)で僕は足止めという事態となった。

 係官が僕の荷物から書類を引き出し、パスポートと共に持っていた。詳細を説明しない。英語も喋らない。なんのことかわからないままに約1時間待たされた。周りはもう暗くなっている。困った事になった。まだ今日の宿泊先も決めてない。朝から食事もしていない。ビールも飲んでない。早くしろよ。

 待ってる間、頭を過ぎったのは、中国のビザ申請に偽りがあったためだろうか。僕はタイから中国雲南省昆明に入国すると申請していた。そのほうが入国の交通手段や宿泊先を書類上で記述しやすかった。ところが実際は、中国政府が一番気にしている新疆ウイグル自治区から中国入りした。それがバレたのかもしれない。といっても、熟考するとすでに入国スタンプはパスポートに押されているからノープロブレム。やはりわからない。時計は午後10時を指し、もう1時間座って待っている。

 係官が別室へと呼びに来た。上司と思われる職員が待っていた。「あなたが持ち込んだ書類に問題があります。」と英語で喋った。僕は「心当たりがない」と。ポルノ写真を持ち歩いているわけでもない。まして書籍は重くて持ち歩かない。日本人が良く持っている「〇〇の歩き方」やガイドブックなどもない。

 上司職員は僕が付帯していたA4版印刷物を机に広げた。タビの通過地点をグーグルマップに落とし、印刷コピーにしたものだった。タビで出会った人にこれを見せると、スゴロクのようになっており、どこからスタートしてどこに行くのかを現地で出会った人に僕のタビを説明しやすかった。スマホにも元データはあるが、電波が入らない時に簡単に取り出せる。

 彼らが問題にしているのは、この書類のようだ。ポカンとし、まだ理解できてないと見た上司職員は僕を机に座らせ、解説をし始めた。「あなたは、中国の法律にそぐわないものを持ち込もうとしている。それがこの地図だ。

没収された地図(有害書類)

彼の説明の要点は、

1.グーグルマップの地図は、台湾、南沙諸島を中国の領土ではないとしている。

2.インド、カシミールに関しても中国の領土と一致しない。

 説明を聞きながら、「問題はそこかい」と気付く。この紙切れごときにそんなに意味合いはない。所詮、ただのコピー印刷。元データはスマホの中にあるだろ。だからこんな処置したっていつでも複製できる。

 が、「待てよ」と僕の頭がひらめいた。多くの海外のビジネス関係者が地図問題を起こしているニュースを思い出した。中国政府は国内で活動する海外資本が、雑誌、パンフレットで使用している中国地図が間違っていると処分している。

 中国政府は「外国が紙上で中国の領土を分裂させている」とさえ思っている。その代表が台湾だ。だから外国作成の地図に、ある地域や島が「中国の固有の領土」として描かれているか否かをチェックしていたのだ。どうも、単なる嫌がらせではなさそうだ。

 僕にとってはただの紙切れが、「この国にとっては有害である」ようだ。相手のメンツもあるのだろう。余り意見を言っても時間の無駄。結論は、A4の2枚を没収。様式にそった書類が眼の前に置かれた。そして没収同意書にサインを求められた。昔で言えば有害図書焚書」だ。

 中国政府は領土問題を気にしている。共産党の上部の人たちの考え方だけかもしれないが。この100年に失った領土の復権というか恨みは強い。国民の目をそこへ向けさせ、内政問題を回避し、覇権国家を目指すように僕からは見える。

 ニュースなどで知っていたが、まさか自分にも火の粉が飛んでくるとは思わなかった。プリンターで印刷しただけの紙。僕のサイン入りの書類とともに上部の組織に送られるだろう。辺境の税関事務所の成果として。

 それにしても北京の意向がこの辺境の地まで徹底している。新疆ウイグル自治区だからか、それとも以前に比べて監視社会の徹底がすすみすべて記録されるからか。いずれにしても、国境を挟んでパキスタンイスラム社会と中国共産党社会には明らかに違いがある。目に見えるモノだけでなく、行政の対応、対人コミュニケーション、写真撮影にもう少し注意を払うべき事を自分に言い聞かせた。なにがトラブルの原因になるかわからない。人の動き、仕草をよく見ること。

 

 結局、僕が取調室から放免されたのは午後11時を過ぎていた。外は、真っ暗。これから宿を探さないと行けない。どこに宿があるのかもはっきりしない。はやくしないとカボチャの馬車になる。  

 しかし歳は取ったが、目標が単純ではっきりした時の動きは我ながら強い。行動の質より速さを重視できる。子供の時から得意だった。税関の門番に、タクシーが拾える場所を教えてもらい、中心街の近くへ。日本では鉄道駅前だが、ここでは「バスの発着場」に行く。そこは遠くからの乗客にあわせて深夜も営業する。そして安い宿があるというのが通説だ。

 バス発着場近くをよく見たらタビで一緒だったパキスタン人がいる。イスラム料理屋がある。パキスタン人のたまり場だろう。斜め前に安宿があったので、確保。早速シャワーを浴び、ビールが飲める食堂に行く。

真夜中に見つけたタシュクルガンでの賓館

 もう夜12時になるので閉店になるかもしれないと急いだが、食堂の壁時計を見ると9時を指している。中国公式時間とは北京時間で夜12時だがここでは午後9時。新疆に住む人達は日常的には新疆時間を使っている。パキスタン時間と同じだ。

食堂が閉まるまでまだ余裕あるじゃんと思い、他の人がテーブルで食べていた名前はわからない大盛り肉ライスを指差し、Vサインを出しながら「啤酒(ビール)」と注文した。食堂のおっちゃんがタバコを吸っていた。僕が物欲しそうに見ていると吸うかとサインを出す。今日一日の出来事と長い時間の緊張感が一気に切れ、ユックリした時間が流れ始めた。貰ったタバコは漢人のおじさんのライターの火に近づいていった。

 昨年からずっと禁煙していたが、まあいいか。言葉もわからないおじさんは僕の気持ちを察してくれていた。謝謝。