toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023  ウィズコロナの旅は続くよ


その⑬ 生きている湖、トンレサップ


 シェムリアップのタビは、アンコール遺跡群に集中していた。しかし、たった4日間では巡りきれない。時間が足りず、すべてを訪問するのが現実的で無いと理解るにつれ、ここは気分を変えて、すこし浮気することにした。文化遺産だけではなく自然環境も見たかった。その代表格はトンレサップ湖。さっそく市内から南に向かってレンタバイクを走らせてみた。距離とすれば10キロぐらいのものだった。街から川沿いに行けば到着する。ここから船に乗れば、首都・プノンペンまでも行ける。

 トンレサップ湖の面積はわからない。雨季と乾季で変動するからだ。生きている湖なのだ。中国、チベットを源流とし、ラオス、タイ、カンボジアを通りベトナムに流れる東南アジア最大のメコン川。首都プノンペン周辺で湖から流れ出るトンレサップ川とつながっている。雨季になると流水はメコンから湖に逆流し、乾季になると湖からメコンに流れ出る。つまりトンレサップ湖メコン流域の水を貯めたり送り出したりする心臓のような働きをし、メコン下流域の洪水調整、乾季の農業用水確保、そして豊富な生物資源の棲家になっている。

乾季と雨季のトンレサップの比較(JAXA衛星写真


 上記のJAXAの写真(2003年4月乾季と2003年10月雨季)を見てほしい。雨季の面積は、乾季の6倍ぐらいになると言われている。Wikipediaによると、「乾季の間、水深は1m程度に留まり、面積は2500平方km(琵琶湖の4倍程度)しかない。このため、定期船が暗礁に乗り上げかける場面がよくある。しかし5月半ばから11月半ばの雨季には、1万6000平方kmまで拡大し、深度も9mに達する」。

観光船


 トンレサップは観光資源でもある。住民たちが生活する場所とは別に、観光船の乗り場がある。夕日を見るツアーとして観光客を運ぶらしいが、昼に行ったら閑散としていた。残念ながらこの時期は乾季で、船着き場から湖岸までは遠く、湖の全景を見ることができなかった。湖周辺の家屋は、高床式造りとなっている。雨季にどの程度水量が増すのか、一目瞭然だ。そして水中だった場所は、肥沃な水田となり、農民が耕運機で耕し始めていた。

 余談になるが、私はタイで、「アクアポニックス」という農法を実施している。魚をタンクで飼育し、その水を大きなベットに流して野菜を飼育する農法である。ハウスの中でポンプによって水を循環させ野菜栽培する農業なので、多くの人は最新技術と考えるが、基本的な考え方は、水中にたまった魚のフンや有機質を、植物が栄養として吸収する農法だ。まさにトンレサップの湖岸で行われている農業がその原形となる。ナイル川流域でもみたし、南米チチカカ湖の浮島内でも見てきた。この湖岸でやっている農業もおそらく堆積した自然の肥料分利用する。

 今回、あまり時間がなかったので水上生活者の暮らしを見ることができなかった。次回は是非、農作物の収穫時期となる乾季の終わりに足を伸ばしたい。そして大きく拡大した湖の姿を見るために雨季の終わりにも来たいと思うようになった。この湖には色々な顔があるはずだ。

乾季になり水田として利用する

 アンコール遺跡群が600年も栄えたのはおそらくトンレサップと関連性があると多くの人が解説している。王朝が繁栄するには、権力を始めとした政治システムや人的資源だけではない。やはりそこにある自然資源が重要になる。農業用水として穀物・野菜果樹栽培、魚介類のタンパク質を供給するこの湖はアンコール王朝を支える人々を養ってきたはずだ。クメール王朝が水運の力を限りなく発達したのもトンレサップのおかげだろう。バイヨンの回廊彫刻にもチャンパを破ったクメール水軍の様子が描かれている。アンコールからトンレサップ、メコンを通り南シナ海まで繋がり、また遠くタイ(シャム)を支配できたのも水運のネットワークを拡張する技術があったからだろう。アンコール朝はトンレサップという自然条件を資源としてフル活用し、栄華を築いたのではないかと思う。

 しかし、アンコール・トムのジャヤ・ヴァルディー7世以降 クメール王朝は徐々に衰えていく。そして1431年、侵攻してきたタイのアユタヤ王朝によってアンコールは陥落する。どうしてこのようなことになったのか。いろいろな説がある。この「2023ウィズコロナの旅・・」、最後はクメールの崩壊について、まとめてみたい。乞うご期待。

高床式住宅は雨季の増水を予想できる