toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー⑬ チトラル・カラーシャ族(その4)カラーシャと観光

朝、学校に向かうカラーシャの子どもたち

貨幣経済の浸透 

 40年前からタイの山岳民族の暮らしを見てきている。寄生虫駆除、トイレ建設そして女性グループ支援のプロジェクトに携わったが、この間山岳民族の世界は大きく変貌した。当初は外部のタイ社会との接触が少なかった。タイ語が話せる人は限られていた。

  いつも「海と空、どっちが広いと思う」という質問が彼らとの会話のスタートだった。海を見た経験がある人はほとんどいなかった。彼らの持っている情報がどんなもので、どのような例えなら打ち解けてもらえるのか、若いプロジェクトスタッフと話し合い、考えついた質問だった。

 雨期にはバイクの後輪にチェーンをつけ、ぬかるみの中を村へ登った。日帰りできるほど効率的な行程は組めなかった。村に泊めてもらい、彼らと食事を共にした。谷に降り、水浴び、洗濯をする小川から汲んできた水で調理や皿洗い。家の中にある囲炉裏で火を起こす。煙が漂う薄暗い居間には、保存用の干し肉や魚、乾燥野菜がたくさん吊り下げられていた。自給自足のお手本のような営みだった。町から買ってくるのは、塩と味の素ぐらい。僕らは村にお土産としてよく魚の缶詰を持って行きナタで蓋を開け、一緒に食べた。

 村人たちはいつも夕食が終わってから集まってきた。ケロシンランプの下で、自前のお茶とタバコをくゆらせ、夜な夜な彼らの生活の知恵を学ばせてもらい、村の将来について話し合った。住居は竹と茅葺きの家。村人の共同作業で建てられる。お金は持たなくても森が材料を供給し、家主は作業後に豚料理を皆に振る舞えば、それで十分だった。

 道路が舗装され、タイ政府の医療、教育が村に入ってくるようになり、宗教団体の支援を求めて改宗した村も多くなった。村は徐々に変わっていった。電気が通じ、子どもたちはタイ語で話すようになり、セメントやスレートを使ったタイ風の家が建ち並んだ。テレビ冷蔵庫などの電化製品も徐々に浸透し、車やバイクで町との頻繁に移動するようになる。村の生活は確かに便利になった。いわゆる「近代化」の流れに乗ることができた。

 目で見える変化より、村人の思考が変わったことがよくわかった。これまで森の恵みである食物や資材はお互い分け合い、助け合ってきた。しかし、当たり前かも知れないが、お金は分け合うことができない。現金が重要であることも学んだ。腐るものでないから貯めておける。そして、各戸が個人化し、共同体としての行事、作業、互助関係が薄くなってきた。

 交通手段、燃料、電気、建設資材や医療教育等お金が必要だ。生活の糧となる農業は商品作物栽培に転換し、自給用の陸稲を見ることは今では稀な事になった。教育を受けた若者たちは遠く都市部のチェンマイバンコクだけでなく、海外労働にもでかける。村に残った一部の若者は一攫千金を狙い、違法な麻薬取引に関わり、新しい問題を引き起こすこともある。村は貨幣経済の流れに染まっていった。

町と村をつなぐジー

 

 カラーシャの変化

 前置きが長くなったが、カラーシャの村を訪れ、貨幣経済の流れにどの程度組み込まれているのかが知りたかった。タビ人としてたった3日間でわかるはずもないが、この地に住むわださんの力を借りれば、見えないものが見えるかもしれないと思った。村までの道路状況は、タイ山岳地帯ほど発達していないが、すでにジープが数台ある。村外から来る商品を売る雑貨店も所々にできている。学校(小中高)や診療所もある。そして情報通信施設が一応設置されスマホを持つ人もいる。わださんは、「自給自足だった昔より定期的な現金収入を得る機会が多くなってる」と今の様子を語る。警官、兵士、学校教員、病院清掃夫など地元公務員として給料を貰う家庭は以前より安定している。定期収入がない家庭は「家畜の販売によって観光で少しずつ現金収入を得ている人もいる」と続ける。

カラーシャの春の祭り(わださんのブログより)

カラーシャと観光

 毎年、季節ごとに行われるカラーシャの祭りは村人総出による儀式で、外部の人たちを魅了する。彼らの独特な文化は大きな観光資源となっている。見世物ではなく、住民主体の活動である。男女揃って数日前から若者たちは祭りの準備練習を始める。それが楽しみであり、出会いの場でもある。

 観光が注目を浴びている原因として、わださんは「イスラムに改宗しなかったことが良かったと村人は思っている」と語る。生きた遺産(living heritage)であり、共同体の誇りにもなっているのだろう。非イスラム教であること、少数民族であることが強みとなった。僕もビザ取得に訪れたパキスタン大使館でもカラーシャの人たちの祭りの写真が大きく載っているパンフレットを見た。政府観光局も支援している。

 彼らの伝統風習そして生活。その価値に以前から多くの外国人が気づいていた。人里離れたところにあるパキスタン社会とは異なる独自の文化。生活食としてのチーズ、ワイン、クルミ、果物を日常的に食べている。これらの文化が収入にもつながるなら観光産業として村人の現金経済を助けてくれるだろう。でもタイミングを間違えると外部からの力によってコントロールできなくなってしまうことは多い。

朝食に出された自家製チーズ、クルミパン

 ゲストハウスのマネージャーのヤシールさんはこういった。「観光は大事な現金収入の道だが、問題もある。特に国内旅行客」マジョリティーであるイスラム教徒の人は、ここの伝統・風習のマナーを理解せずトラブルも起こる。さらに外からの資本投資によって収益が外に出ていくことを心配していた。隣の谷では外部のムスリムによってタクシー経営やホテル経営が行われ、カラーシャに利益が還元されてないようだ。

 

 滞在中、わださんや地元高校生の案内で集落周辺を歩いた。静かな谷あいの果樹園は季節によって彩りを変え、家々まで水路が引かれ、水車小屋では穀物の製粉が行われる。子どもたちがその水路で遊び、あでやかな衣装の女性が洗濯する。すこし高地に行けばヤギ放牧や農作業風景がある。「住民は更に山の上に夏の家を持っており、そこで農作業をする。そこからの風景は絶景」わださんは言う。僕は行くことができなかったが、上部には聖なる湖もあり、おそらくヒンドゥークッシュ山脈の山々を望むトレッキングルートやエコツアーになると予想できる。

村から高地に向かうと村人の夏の家がある

  現金経済によって村人間の貧富の差が出ていくのは仕方ない。それをそのままに放置しておくと共同作業や互恵関係が崩れていく。ひいては村人全員でやっていた行事、作業そして伝統儀式も少なくなって来たのをタイ少数民族の村で見た。

だから「住民主体」は、重要だと思う。多くの住民が現金を得られる機会の創出や、都会で教育を受けた若者のUターン先の確保、組織つくり、文化の持続性を高めることなど様々な活動が必要となる。

 観光事業を住民主体でやろうとするとハードルが高い。できればガイドはここに長く住んで来た村人がいい。しかし質の高いガイドで収入を得るためには、地理、歴史、生物だけでなく、語学知識の育成がいる。独自のガイドトレーニングやエコツアーのルート、共同組織運営ができるような努力がいる。行政、専門家からの支援も必要だろうと考えながら3日間のカラーシャ族、ルンブール谷のタビを終えた。

集落をガイドしてくれた高校生は英語もできる