toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー ④印パ国境

子どもたちも国旗シール貼り、応援する

 アムリツァルとパキスタン第二の都市ラホールは直線距離にして60キロ程度。中間地点あたりに国境がある。

 アタリという町まで乗合バスでいき、インド最後の昼食を町食堂でいただき、サムロー(自転車)に乗り換え、パンジャブの風の匂いを感じながらインド側イミグレーションに入る。出入国者はほとんどいない。人口100万人を超えるアムリツァル、そしてパキスタン第二の都市、ラホールは1000万人を抱える。お互いパンジャブ語を理解できるのにここには人の賑がない。

 聞くところによると、通常、両国民はお互いのビザ取得が難しく、民間業者を通してわずかに発給されているとか。イミグレでスタンプを押され、国境地点に運んでくれるバスにも僕以外5人しかいない。パキスタンとインドの関係が決して良好ではというのは、否が応でも肌で感じる。過去同じイギリス領だったこともあり、親類縁者を訪ねたりはできるそうだが、やはりそれなりの理由書が必要とか。僕がインドビザ申請をした時も、「両親、祖父母、配偶者、またはパキスタンで生まれた場合、パキスタンとのつながりについて言及した場合、インドの電子ビザ申請は承認されない可能性が高い」と記載されていた。

 両国関係の複雑さ、そして人の行き来の難しさを考えながら、さぞ、国境線は寂れているだろうと思い、重たい雰囲気で出入国に臨んだが、インド側の国境地点に立つと、その光景に驚いた。僕たちの出国ために開けてくれた重曹なゲートからインド側の後ろを振り返ると、野球場のスタジアムのように見えた。何千人の観客を収容できる観覧席を見上げるながらゲートに立つと、甲子園球場のバッターボックスにいるような感覚。そして次は2メートル先のパキスタン側のゲートが開く。入国するとサッカー場のような建物になっている。こんな国境検問所は初めて。

インド側スタジアム(?)

  ここは一大エンターテイメントを繰り広げる舞台になっていった。ネガティブな匂い漂う印パの関係。そのまさしく最前線で、毎日、日没時間には戦闘ならぬ盛大な儀式が行われれる。

「フラッグセレモニー」という。夕方、両国国旗を降ろし、国境を閉める儀式。ただ関係者だけで実施されるのではなく、毎日たくさんの応援団が加わり、セレモニーと応援合戦を繰り広げる。地元民だけでなく、両国民が訪れる一大観光イベントとして定着。第三者の外国人には、前列の指定席を準備してくれる。

 僕がパキスタンのイミグレを通過して、入国したのは午後3時。今日は「午後6時過ぎにセレモニーが行われる」と、入国係官が教えてくれるので、ラホールにすぐ向かわず、ゆっくりしていると、国旗や顔にシールを張った人がぞろぞろ集まってくる。インド側もしかり。日中静かだった国境が、夕方には一気に人で埋め尽くされる。。セレモニーが始まる前から、「パキスタン」の合唱が始まる。インド側からも「ヒンドゥスターン」の声が聞こえる。ただの応援合戦ではない。お互いの国家の威信をかけて盛り上がっていく。外国人の僕から見ても「熱い」。応援団長のような人はインドに負けないよう「もっともっと声を出せ」と煽る。

 セレモニーを演じる役者(?)は、国境警備に当たるインドはBSF、パキスタンはレンジャー部隊だ。身長2mもある大男たちが、インドに向かって威嚇のポーズを取る。そうすると次はインド側がパキスタンに向かって大きく足を上げる。式典を繰り広げる両国兵士に阿吽の呼吸を感じる。そして降旗を終え、両軍のボスが素早く握手をして、国境は閉められる。

インド側に向かって威嚇のポーズとするパキスタンレンジャー

 セレモ二ーを見ようと両国から毎日、多くの観光客が訪れる。特にアムリツァルからは専用バスがツアーとして組み込まれている。そして至るところで土産物店もオープン、観光産業としても成り立っている。もちろん両国は自国の国威高揚を目指しているので、応援団は真剣に取り組んでいるし、観客席も段々ヒートアップしてくる。両国の兵士たちのパフォーマンスを見ていると、お互いが共同企画して式典を運営してると思えるぐらい息があっている。おそらくこの両者の信頼関係は、なんかの突発事故が発生し、大きな事態に拡大しないように未然に防ぐ機能を持たせているのかもしれない。  
 世界各地の国境を陸路で超えたが、ここほどほど印象に残った場所はない。

身長2mの国境警備隊


 70年以上、お互いが簡単には越えられない印パ国境。互いの威信にかけての式典に、楽しさを加わえ、観光までにしている感覚が、東アジアに育ち、遊びが少ない僕に理解できるにはまだ時間が掛かりそう。素晴らしい。板門店でも採用したらどうだろうと思ってしまう。