toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー ⑤苦行する釈迦像

苦行する釈迦像

 フラッグセレモニーを観て、ラホールの街に入ったのは午後9時を過ぎていた。夜間に新しい街に入ると、やはり戸惑う。ホテルを探して、チェックインしようとすると、前払いと言われる。ポケットに手を入れると国境の商店で残りのインドルピーを両替した1500パキスタン・ルピー(750円)しかない。近くにATMがあると言われ、行ってみるが外国のクレジットカードは受け付けない。部屋の鍵をもらえない。ホテルも頑固だ。結局、財布から100$を出し、デポジットとして預けることで落ち着き、やっとチェックイン出来た。

 さて、昼から何も食べてないのでとにかく夕食、いや夜食を確保したい。周囲は灯りがともっているが、皆、薬局や医療機器店。どうも泊まる地域を間違えたようだ。病院やクリニックが集まっている地域だった。夜には食堂がない。それでも500mも歩くと薄暗い灯りの大衆食堂があった。750円の持ち金を手に抱え、店先にならんでいる豆カレーとチャパティーを指差し、チャイも追加。右手だけでなく左手も使って急いで食べていると、その様子を見てチャパティの追加が来る。なんとか空腹を逃れた。料金は150円で済んだ。明らかにインドよりは安い。そして次の日の朝も、ここでチャパティと卵焼きで朝食。残ったお金でバイクタクシー(Uber)を利用、なんとか中心街の両替商まで行くことができた。

 

 「ガンダーラ」という単語を知っている人は多いと思う。テレビドラマ「西遊記」の中で、ゴダイゴが歌っていたのを思い出す人もいるだろう。僕が大学を卒業した頃のことだった。「 Gandhara, Gandhara、They say it was in India(それはインドにある)」と歌っていたが、現在の地図でいえば、パキスタンアフガニスタンに存在した古代王朝。残念ながらインドではない。まあ、昔のイギリス領インド帝国なら、これも正解だが、国境編でも述べたように印パの複雑さから考えると、パキスタン人が知ったら、この歌詞にクレームしてもおかしくないだろうと思う。

ラホール博物館

 ラホールを訪れた最大の目的は、とにかくラホール博物館。パキスタン最大と言われるこの博物館は、1894年に建設され百年を超える歴史を持つ。当然、大英帝国が監修しているので、建物も収蔵品も立派。インドサラセン様式のタマネギ型のドームやアーチ、そして木彫がなされた壮健なドア。建物にはただ「MUSEUM」とだけ記され、数ある博物館のいかにも中心という貫禄を見せている。ガンダーラ仏教美術を多く保存している。40度近い外の気温から中に入ると、自然のひんやりとした空気が漂っていた。

 そして、THE「博物館」の代表格が、「苦行する釈迦像」。これまで僕が観たどんな仏像とも異なる。煩悩を断ち切るために断食をしている姿。肋骨と浮き出る血管、目は窪み、腕は骨皮筋と言うほど痩せこけたこの仏像に、僕は釈迦(ゴータマシッダールタ)が人間であることを意識する。そしてこのような状態でありながらも、この釈迦像は、冷静で落ち着いている。像を目の前にすると「モノに執着するな」と語っているように感じた。

 ガンダーラで仏像が生まれた理由は、古代ギリシアの影響を受けていると言われている。(一部、ローマの影響とも言われる)紀元前2-3世紀、アレキサンドロスの東方遠征は、この地まで及んだ、そこで生まれたギリシャ・ヘレニズム文化と東洋のオリエンタル文化が融合あった。ギリシャ彫刻を生み出した技術が仏教にも大きく影響している。
 インドで生まれた仏教は当初、偶像崇拝はなかった。仏像が造られる以前、釈迦牟尼(しゃかむに)の存在は法輪・菩提樹・仏足石などによって象徴的に表現されていた。

ブッダが初めて説教したサルナートの初転法輪

 

 マウリヤ王朝アショカ王によって守護されたインドの仏教は西に進み、1-3世紀にこの地で栄えたクシャーナ王朝に影響した。カニシカ王はその治世の間に仏教に帰依するようになり、これを厚く保護した。そしてこの地で仏教美術の黄金時代が開花した。

 苦行する釈迦像の他に、この博物館には数々の仏像が収蔵されている。それらを観ていると、釈迦はヒゲを生やし、ギリシャ人のように見えるものもある。髪型、風貌だけでなく、着衣に立体感があり、更に裸体の像まである。

 さて、玄奘三蔵は、643年(?)頃、インドからたくさんの仏典を抱えこのラホールを通過、タシュクルガン、カシュガルを通り、長安への帰国の途についていた。