玄奘が帰路に通過したフンザは7,000m級の山々に囲まれた谷にあった。ここから先は中国国境のクンジュガンラボ峠(4693m)まで渓谷は細くなり、落石の危険性も多く、難関な道であったことは確かだ。おそらく玄奘は、唐に向けて早く帰国したいと、最短距離のこのコースを選んだのかもしれない。。当時、どのような人々が暮らしていたのか詳細は分からないが、雄大な景色と心地よい風に玄奘も一休みした姿を想像する。。
ギルギット(Gilgit)からのバスは中心地アーリアバードに昼過ぎに到着した。大通りに沿ってバックを背負って歩く。太陽光線はきついが、谷を吹き抜ける風で快適だ。とはいえ、予約した見晴らしの良いゲストハウスに向かう横道に入ると、かなりの登り坂になる。V字谷の等高線上を歩くのは問題ないが、90度曲がると急な坂になる地形。
フンザ中心部は標高2590m。パキスタン有数の風光明媚な観光地として多くの外国人が訪れる。アプリコット(杏)の花が一面に咲く春が最高の観光シーズンらしい。冬になると雪景色、国内観光客が南部の都市から訪れる。「最後の桃源郷」と言われた。日本では芥川賞作家、宮本輝の小説「草原の椅子」がドラマ化され、きれいな映像を見せてくれている。また「風の谷のナウシカ」の原作モデル景観になったのではないかと、コロナ以前は多くの日本人観光客が訪れていたそうだ。
少し息を切らしながらゲストハウスに到着。部屋の窓を開けると、渓谷とラカポシ山(7788m)が一面に広がっていた。ここなら一週間ぐらい予約したほうが良かったかもと少し後悔。
★フンザの女性たち
滞在二日目の朝からフンザの観光中心地カリマバードへ山道をハイキング。
アプリコット(杏)やリンゴの果樹園で農作業や放牧をする女性達に出会い、写真にも応じてくれる。パキスタンに入ってイスラム教の女性が農作業姿を見るのは初めて。ここはイスラム教の中でもイスマイリ派が多いと聞いた。スンニ派に比べて柔軟で戒律は厳しくない宗派と言われているからだろうか、顔を隠していない。カリマバード近くでは女性グループが郷土のフンザ料理店を切り盛りしていた。
★フンザの食事、果物
インドからパキスタンでの定番はナンやチャパティ、豆カレー、ミルクティー。美味しいけど続くと飽きる。フンザに入ってダウド(カレー味うどんスープ)チャプシュロ(肉野菜入りパイ)など郷土料理が待ってくれていた。日本人の僕に取ってはとても口に合う。特に麺類は8月でありながら夕方になると少し温度が低くなり、身体を温めてくれ毎晩お世話になる。
果樹類は種類も多く、アプリコットを始めクルミ、桑の実、ブドウ、桃、リンゴ、梨、ザクロ、アーモンド、サクランボが季節ごとに実をつけ、ドライフルーツにもなっている。桃源郷と言われる所以だ。チーズもある。僕はご相伴になれなかったが自家用ワインもあるそうだ。
★長寿の村
フンザは長寿の人が多いことでも有名だ。3日間の滞在では確かでは無いが、僕が見た関連しそうな点を書くと、、、、
・高齢者が坂道を歩いている姿をよく見る。そういう地形なのでしかたないか。
・年間を通してたくさんの地元果物が手に入る。
・ハーブティーをよく飲む。僕もここの人が日常飲むトゥウーモー(wild thyme)を村人に飲ませてもらった。
・水が豊富。至る所で雪解け水が流れ、彼らの命の源と言われている。見た目は灰色っぽい汚れているが、ろ過して飲用している。恐らくミネラル分があると思う。
5.午後からは谷に沿って強めの風が吹き、涼しい。農作業もしやすい。
6.パキスタンの他の街と違って時間がゆっくり流れ、人々の顔がリラックスしているように感じる。
こんな条件が長寿の村を作り出しているような気はする。
冬にはここから中国に向かうカラコルムハイウエイは雪害をうけ、10月から翌年5月までは国境は、封鎖される。一週間ぐらい休みたかったが、日曜日は国境超えのバスが出ないので日程調整も必要。そして、何と言っても中国に入って早くビールで喉を潤したいという欲望が強かった。
三日目の朝、パキスタン側のイミグレーションがある国境の街、ススト行きに乗合ワゴンの出発を待つ間、フンザの野菜の種を買い、靴を磨いてもらい、髪と髭を整えてもらった。明日はパキスタン最後の日なる。