toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー ⑧ペシャワール(その2)パシュトゥーン人

 昨日の騒動で緊張感は高まった。「タビ」と「旅行」の違いがハッキリしてくる。同じようにお金と時間を使い非日常の行動をするが、目的は「あえて苦労する」のと「快適を楽しむ」と大きく違う。「タビ」は自由であるが、最後は一人。自己判断と責任がついてくる。「旅行」だったら、おそらく昨日の段階で、ペシャワールから撤退になったはず。まあ計画もしていないと思う。

 僕の「タビ」は困難を乗り越えた時の快感を求めているのかもしれない。「タビ」を人生の縮図と考えてしまう。何れにせよ、安全は確保しなくてはならない。想定するような事態が起きた場合を考えて、ペシャワール内の地図を頭に入れ、夜のうちに。在パキスタン日本大使館の電話はスマホに登録した。

 疲れが溜まっていたのか、それとも冷房が効き、久しぶりに柔らかい掛け布団と枕が良かったのか、深い睡眠で目覚めは爽快。ペシャワール2日目の朝を迎える。

ホテルのガードマンは24時間、AK銃を持っている。

 街の様子を見るために、昼前からホテル周辺をウロウロする。相変わらず、警官の姿は多いが、緊張した雰囲気はない。僕の顔は明らかにパキスタン人と様相が異なるので目立つ。彼らに近づいてみるが、取り立てて反応はない。「外国人を宿泊させるな」というお達しがあるなら、なにか言って来るはずだ。それどころか、こちらが笑顔を見せれば、彼らも笑顔を見せた。昨日はペシャワールに来たばかりで、情報に振り回され、異質の目でペシャワールを観ていたようだ。これがここの通常かもしれない。通りはゆっくりとした時間が流れている。今日は金曜日、正午前には、正装してモスクにお祈りに向かう人も多い。おそらく、なにか事件が起きているのではなく、起きないようにする予防措置が取られたのかもしれない。

ホテル周辺、ロバの野菜屋も通常営業していた。

 ひとまず、ホテルに帰り、パキスタン国内のニュースをインターネット検索。ブレイキング・ニュースも無いので、午後から外出することに決定。行き先は市場。色々な商品を見るのも楽しみだが、人々の動きを見ることで、状況を判断するには格好の場だ。なにか動きがあるときは、人々は品定めをしたり、値段交渉をゆっくりするような買い物はしない。食料、早急な生活必需品を急いで買い込むし、走る人がいる。ピリピリした雰囲気を感じる。パレスチナで経験した。

キッサカワニ市場

 オールド・ペシャワールにあるキッサカワニ市場は、古くからある。ZU(専用レーンバス)に乗って向かう。時間帯からして混雑はしていない。通りから奥に入り、冷房の効いた洒落た喫茶店を覗くと、ジュースやチャイを飲んで談笑している人もいる。店の前で客を呼び込んでいる人へニコッとすると、彼らも返してくる。カメラを向けても嫌な顔ひとつしない。むしろ積極的に撮ってくれと仲間を呼んでくる。市場は殆どが男性で、女性の姿を見ることは少ない。初めて来た街の市場ではあるが、僕の嗅覚は「これは平常」という判断をし、ゆっくりぶらつくことにした。通りには生活に必要なものは何でも並んでいる。薬草屋を覗き込んだ。見たことも無いような自然の産物がドンゴロスに入れられ並んでいる。収穫を終えた乾燥ケシボウズも薬草になるようだ。ケシの樹液を取り出すために爪で引っ掻いた跡がある。これを見るだけでアフガンが近いことを感じる。

収穫後、乾燥させたケシ

 ペシャワールの人々はアフガンの主要民族であるパシュトゥーン人が多い。タリバンにも多い。ウィキペディアを要約すると、「アフガニスタン人口の45%とパキスタン人口の11%を占める。イラン語派のパシュトー語を話し、多くの部族集団に分かれて伝統的には山岳地帯で遊牧などで暮らしてきた。強固な部族の紐帯を維持しており、パシュトゥーンワーリと呼ばれる慣習法を持ち、男子は誇りを重んじる」と書いてある。

 眼光の鋭さ、ヒゲを蓄えた顔つき、いかにも戦士という感じの彼ら。そんな彼らだが、会話をすると柔らかさを感じることができる。ニコッとして「アッサーラムアライクム」で始まる最初の会話をすると、だいたい「どこから来たの?」と聞かれる。「日本から」と答えると、その顔はもっと和らぐ。快くカメラにポーズをとり、近くに椅子があれば差し出して座れと言う。パシュトゥーンワーリの一つが、「おもてなし」であると言われている。遠来の客をもてなす。僕をアジアの東からきた丁重なお客に扱ってくれる。見ず知らずの僕に「おもてなし」をしてくれた。

 チャパティ、カレー、チャイを頼んだ路地の屋台で、ゆっくり食事をしていると、制服を着た少し偉そうな役人が食べに来た。僕をジロジロ見て、声をかけてきた。英語が堪能な彼と話を始めると、「俺は毎日、ここで食べる。ここのオーナーは子供の時からの友達で、この店はとっても良い」と話し、オーナーを呼び、「遠来の日本から来た友達だ」と僕を紹介する。そして、食事を終えて、代金を支払おうとすると「いらない」という。ラホールやタキシラで経験したことがなかったので驚いた。外国人はいつもいつもボラれるのでは無いかと心配していた自分が恥ずかしくなった。パシュトゥーン語はわからないが、「シュクリヤ(ウルドゥー語)、シュクラン(アラビア語)」と何度も言って、胸に手をあてた。

カワ(緑茶)

 滞在中、近くのお茶屋でカワ(Kahwah)という緑茶を飲んでいた。インドからずっとミルクティーのチャイ(chai)に少し空きていたので、砂糖なしのカワは僕の口にあった。ティーポットに入れてくれるので、ゆっくりと何杯も飲める。そこで、出会ったイストラルもパシュトゥーン人。アフガンのジャララバード出身。27歳。若者らしく僕が持っている高度計やスマホに興味を見せる。

 「ビザが取れなかったけど、アフガニスタンに本当は行きたいんだ」と話したら、「国境までだったらバイクで連れて行ってやるよ」と簡単に答えた。嬉しかったが、「危険性」を考えると僕は丁重に断った。彼は、すぐ僕の胸の内を理解し、笑顔を見せて、家族の話に話題を移した。商売や他意を持って、僕を連れて行ってくれるという話し方ではなかった。これもホスピタリティの一種かもしれない。

 インド国境のパンジャブ人が多いラホールから北上し、アフガン国境のペシャワールまで来たが、同じパキスタンでも町の雰囲気が違う。ペシャワールと聞けば危なっかしいイメージを持っていたが、満員のバスの中で、わざわざ僕に席を譲ってくれた人、バスの途中休憩でチャイをごちそうしてくれた人、お茶受けのお菓子を分けてくれた人、たった3日間の滞在に地元の人にお世話になった感じがする。日本にも確かに、「おもてなし」はあると思うが、昔に比べると少なくなったように感じる。見ず知らずの人に無償の奉仕を提供するほど余裕がなくなった感がある。商売の道具として「おもてなし」が流行っている時代だ。

 ペシャワール、昔からたくさんの民族が交差する土地。そしてカイバル峠を超え、遠くから困難を乗り越えてこの地に来る人たちと出会っている。そして、自然条件だけでなく社会条件からもその辛さを理解っている。それ故、旅人への「おもてなし」が文化として染み付いているのではないか、と街に流れるモスクからのアザーンを聞きながら想った。

 明日はいよいよ、ペシャワール博物館に行く。ガンダーラ時代からのペシャワール、仏教との関わりを復習する。(つづく)

満面の笑みを浮かべる生地屋の兄ちゃん