toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー ⑦ペシャワール (その1)

 耳に柔らかく、覚えやすいこの地名「ペシャワール」。 この単語を初めて聞いたのはソ連のアフガン侵攻の頃だった。1979年。撤退まで10年の歳月を要し、結果的にはソ連自身の崩壊の道に向かい、ドイツの統一や湾岸戦争などに繋がったターニングポイントでもあった。ペシャワールは戦火のアフガンから逃げてきた難民のキャンプとなり、欧米を中心とした多くのNGOが支援をしていた。日本ではベトナム戦争に比べると平和運動や支援の盛り上がりは少なかったが、ニュースや新聞で流される現地の情報に僕は耳を傾けていた。

 中村哲先生(2019年銃撃により死亡)の「ペシャワール会」を知っている方も多いはずだ。本来は、パキスタンで医療活動を展開していたが、紛争による避難民を援助するだけでなく、その後、アフガニスタンでの支援に移行していった。生活基盤となる灌漑、農村支援活動を展開し、多くの成果を上げてきた。ペシャワールアフガニスタン支援のベース基地とも言える。だから、僕も「ペシャワール」はアフガニスタンの街と勘違いしていた。

 政治、民族、宗教、そして大国によって動かされるアフガニスタン。米軍が撤退し、カブールが陥落、タリバン復権した。カブールの空港から脱出する人々の映像は記憶に新しい。日本政府も在留邦人のために専用機を派遣した。つい二年前のことだ。だから、ペシャワールに向かうということは、それなりに自分の身の安全に関しては注意が必要、と考えていた。パレスチナで2年間生活した経験から、人々の動きや周囲の風景に耳や目を集中する必要がある。とはいえ、残念ながら古稀を迎えるとその視力や聴力はだいぶ落ちている。だから雰囲気を感じ取るように集中した。移動する時も眠ってはダメだと言い聞かせ、車に乗っていた。

ペシャワールに入り、途中通りかかった軍事施設。緊張感はなかった。

 タキシラ近郊からペシャワールへは、大型バスはなく、住民が移動するワゴン車に乗った。ハイエースは4列の長椅子に改造され、一列4名、運転手を入れて15人満杯になるまで発車しない。まあ、160㌔の距離移動に料金が日本円にすると200円だから仕方ない。車内で待つこと一時間、昼過ぎにやっと出発した。手足が伸ばせない状態でこれは大変だと思ったが、高速道路が整備されており、途中の乗り降り客もなく移動時間が3時間なので助かった。ペシャワールの降車場で、とりあえず、明後日の目的地・チトラールに向かうバスの予約に行くと、バス会社が警察に行って滞在届を出した方が良いという。ビザも持っているし、これまでパキスタンを移動したきてそんなことはなかったので、適当に聞き流していたが、その後、事前に予約したゲストハウスでの対応で、緊張感が出てきた。

新しい高速バスシステム(ZU)。女性と男性は乗り降りが別

 新しくできた、専用バスレーンを持ったバス(ZU)に乗り、38度の気温の中を約30分歩き到着したゲストハウスに入ろうとしたら、門番が「今日は満室」と一言。予約しているので、とにかく中に入れてもらうと、はやり、受付は「泊まれない」とぶっきらぼうな挨拶。これまでBooking.comの予約システムを使って世界各地の宿に泊まったけど、こんなことは初めて。スマホの予約書を見せると、「知っている」と。「だから今朝、メールしてある」と続ける。そういえば、ずっと見てなかったメールを開くと、「政府警察からの通達によって、今日から外国人は宿泊できない」と記されていた。それでもと思い、近くのゲストハウスへも問い合わせるが、同じような回答が返ってきた。さっそくトラブル発生。「今夜は野宿か」と考えるとどっと疲れが出てきた。

 と同時に、10日前の7月30日にペシャワールに近いバジョール地区の町カルでイスラム主義政党の集会中に爆発があり、少なくとも44人が死亡したという情報を思い出した。明日は金曜日というのも頭に浮かんだ。モスクなどに礼拝のために多くの人が集まり、テロが起きる可能性が高い。こうした政府の通達があるということは、なにか起きているか起きようとしているという緊張感が走った。

 何れにせよ、「今晩、どこだったら泊まれるんだ」という質問に対して、オーナーは、旧市街の市場近くの高級ホテルを紹介してくれ、タクシーで向かう。そして、受付で、部屋代を聞くと一泊6000円。僕の予算の3倍だ。でも泊まれることは確かだ。選択の余地はない。チェックインをする間、レセプションの男性に、「外国人は泊まれないと通達が出ているけど、」と聞くと、「知っている。しかし、それは中級以下の宿舎だ。テロの温床となる隣国からの人間がよく利用している。しかし、ここのホテルは地元の警察との連絡を通してセキュリティーは万全なので宿泊客を受けている。君の宿泊も警察に連絡する」と流暢な英語で説明してくれた。そして、バス会社で聞いた「警察への滞在届」の件を思い出した。

ホテルの前にもAK銃を構えた警備員がいた

 次の訪問地のチトラルの友人に連絡すると、「こちらではそのような動きはない。外国人旅行者も来ている」と聞く。おそらく、ペシャワールだけの通達だろう。夕食がてらにホテル近くの市場にでて様子を見ると、警察官の数が多いと感じる。余計な心配かもしれないが、屋台でシュワルマを買って、ホテルで夕食。長い一日の疲れを取るために、シャワーを浴び、今後どうするかを考える。郊外の保存状態の良いガンダーラ遺跡のタフティバイに金曜日は行くことにしていたが、とりあえず中止。今後の予定も変更ありと思い始める。久しぶりにふんわりとしたベットでいろいろ考えたが、まあ、明日は明日の風が吹くと思い、目を閉じる。冷房も効きがよく、思ったより深い眠りにはいった。(つづく)

ゆったりとした高級ホテルのロビー