toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー⑫ チトラル・カラーシャ族(その3)宗教と女性

 年を取ると面白い。バックパッカーでタビをすると、表面的な現象より裏がよく見える。若い時より、見えるものが変わってきている自分がいることに遭遇する。そこで出会う珍しい食べ物や変わった衣装などのような現象的な事柄だけでなく、異邦人の風習、行動が違うことに対して、同じ人間としてどこまで理解できるかという楽しみにもなる。無意識に自分が持っている固定概念の確認作業にもなる。今回は、「宗教と女性」。説教くさくなるが、タビの成果としてあえて綴ってみる。これも若いときは言葉にできなかった。

 

 パキスタンの町では女性の姿をあまり見かけない。移動のために住民が使うバスやワゴン車に乗っても女性と男性はそれぞれ分けられた席につく。市場で物を買うのも売るのも男性。時折、ヒジャブを被った女性たちが近づいてくるが、それは物乞いのお願いだ。イスラム社会では、「男性が外で働き、女性は家事で外に出ない」と教えられたが、国、地域、家庭によってその差はある。

 僕がパレスチナで一緒に仕事をしたイスラム教徒の友人は公務員。遠距離から通勤していたが、よく遅刻したり、休んだりしていた。「子供が調子が悪いので病院に行く。学校から連れて帰らなければならない。買い物で忙しい」と電話で聞かされ、唖然とした。外とのコンタクトが必要な事は、家事を含め、男性である彼がすべてを担い、毎日忙しく動く。仕事が終わったらすぐに帰宅。一緒に雑談したりする暇はない。それまではイスラム女性は自由でないという僕の認識が違った側面から変化した。男性も大変よね。それとともに女性を保護するという視点が見え始め、イスラムを考える幅が広がった。

 「タビ」をしながら、世界ジェンダーギャップ(Global Gender Gap Report 2022)最下位のアフガ二スタンにつづくパキスタンの女性たちも社会進出の壁は高いと感じていた。一方、「男性たちも禁欲的で、家庭を守るために一生懸命働かなきゃ」という同情的な思いを持ちながら振る舞いを見ていた。

ルンブール谷

 そうした中で、ルンブール谷のカラーシャの村を訪問して驚きがあった。女性たちがカラフルな衣装で、村の中を歩いている姿に出会う。カメラを向けても抵抗がない。農作業、家事炊事や買い物も自分たちでしている。やはり、非イスラムの社会は違うなーと思ったが、「女たちは不浄であるために聖なるものと直接接触しないよう、日々の生活活動が制限されています」と、わださんの話を聞いてすこし頭がこんがらかって来た。宗教と女性蔑視、あるいは性差別という固定概念に左右されずに考えてみた。 

 わださんによると、「カラーシャの宗教の中で重要な部分が、聖(オンジェシタ)と不浄(プラガタ)の概念です。オンジェシタとは神と関わることができる聖なる存在で、カラーシャの男、水、ネズの木、ワイン、小麦、山羊、ハチミツなどが聖なるものと考えられています。その反対に神に対して不浄な存在がプラガタで、女、イスラム教徒、にわとり、女の生理と出産、墓場などです」。とりわけ女性の生理や出産は不浄の最たるものとされ、その期間は村から出てバシャリという〝隔離小屋〞で過ごさねばならないそうだ。

 

カラーシャの女性

 日本でも、相撲の土俵には女性は上がれない。建設中のトンネルには「山の神が怒り、事故が起きる」ので女性は入れない。インドネシアの国立公園内の金鉱に入ろうとしたら、同行した女性が拒否されたのを覚えている。タイのテーラワーダ仏教でも、女性は出家できず、入れない場所がある。カトリックでは未だに女性は司祭になれない。こうした事象を男性である僕はなんとなく曖昧に見過ごしてきた。

 

 これらを「差別」と見るか、「区別」と見るかと悩む。更に見る角度によって女性の自由を奪っているのか、あるいは保護されているのか判断に苦しむ。確かに「穢れ」という単語を使うと忌み嫌う、排除したイメージがつきまとうが、神秘な命は母体から生まれることを考えると、一概に同意できない。

 カラーシャの女性たちについて、わださんはこう続ける。「男性と口をきくのも自由、美しい民族衣装を身につけ、歌や踊りいっぱいの数多く行われる祭りを楽しめるなど、カラーシャの女性たちは神に対して不浄だからといって卑屈になってはいませんし、男性たちが女性を必要以上に蔑むこともない」。

儀礼、祭りを行う神殿入り口

 宗教(ユダヤ教4000年、仏教2500年、キリスト教2000年、イスラム教1600年)を作り出したのが男性であることは事実だ。当時の教えは男性中心主義だろうと僕は思っている。人間のための教えであるが、案外、男性のための教えだったかもしれない。そして長い時間を経て、平等、人権が重視され、男女の役割が変化した現代社会にそぐわないこともたくさんある。

  ブッダも女性を避けていたという話を聞いたことがある。悟りを開くためには、あらゆる煩悩を断ち切らなければならない。性欲もその一つだろう。出家する男性にとって、女性の存在そのものが煩悩となる。あやふやで乱暴な男性たちから女性を守るため、あるいは男性ホルモンが異常に高まらない環境を宗教を通して設定しているのではないかという説明が、僕には解りやすい。

 

 長い間、秘境とも言えるヒンドゥークッシュ山脈の渓谷で生活してきたカラーシャの人たちは、恵まれた自然環境の中で農業、牧畜を中心とした自給自足生活をして来た。季節を彩る食生活の豊かさに自然との営みが見える。標高2000から3000メートルにはアンズ、リンゴ、クルミ、ブドウ、イチジクなどが植えられ、川に近い低地では小麦、トウモロコシ、野菜類が栽培され、高地には、オーク(コナラ)や杉などの針葉樹もあるし、牛やヤギを飼育している。

家の壁を利用した養蜂

 とはいえ、自然は決して、「やさしい」だけではない。急傾斜の山肌に挟まれ、気候変化によって自然災害に遭遇することも多い。土砂崩れ、洪水、積雪などの「厳しさ」と表裏一体のはずだ。これを鎮めてくれる神の存在。宗教、儀式、祭りを大事にする。長い過去からの経験から自然界だけでなく、病気や諍いごとなど人間界での「災い」との関連性が強かったものが不浄となっているのかなーと思った。

わださん(右)、GHマネージャーのヤシール(中)

 次回は、「カラーシャ族と観光産業」へつづく。