toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 古稀のバックパッカー⑭ 悪路をギルギットへ向かう

アフガン国境からカシミール

 

 玄奘三蔵が歩いた道のりからそれたが、再びカラコルム山脈に向けてギルギットを目指す。チトラルからの距離は380キロ。とはいえこの距離を一日で移動することはできない。陸路の直行便がない。ギルギット・バルティスタン州とカイバル・パクトゥンクワ州の州境のマストゥージという町で一泊し、乗り換えなければならない。

 カラーシャの村を出る時に、わださんが教えてくれた。「私はこの行程を走ったことがありますが、大雨で道が寸断され、徒歩と車の乗り継ぎで1週間かかりました」。その言葉に僕は「えっ!」の一言。まあ、「先の予約はなにもないのでそれもいいか、、、」と思いつつも悪路であることは覚悟しないとダメだ。

チトラルから望むティリチミール

 ヒンドゥークシュの最高峰、ティリチミール(7708m)を見ながら、チトラルのバスステーション(ただの広場)までわださんとヤシールに送ってもらった。いよいよ出発。バスと言っても四輪駆動のランドクルーザーだ。荷物はすべて屋根上、車内は4列4人掛け、ドライバーを入れて15人乗りに改造されている。

4人掛ける4列 まさに4×4。ランドクルーザー

 お客が一杯にならないと出発しない。斜めに座り、膝は固定。時々膝を動かすために力いっぱい隣の人の足を押し体勢を変える。僕は、運転手の後ろの席を確保できた。となりのじいちゃんが細身で助かったが、大柄のパキスタン人だったら大変。チトラルの町を出て、クナール川、マストゥージ川沿いに山と谷に挟まれた未舗装の道を延々と走る。川の左岸の道になると、眠っているわけにはいかない。ガードレールのない右側の底に川が見え、足が固まってしまう。至るところに山から落ちてきた岩があり、対岸には大きながけ崩れの跡が見え、不安を駆り立てる。幸いにも上には万年雪に覆われたブニゾム山を始めとした6000m級の山が連なる絶景、なるべく下は見ないようにした。

6000m級の山々の絶景を見るが、足元はとんでもない悪路

 途中、一回の休憩を挟む。ここでもどこから来たのという会話が弾み、「よくこんなところまで来たな。ウエルカム」といってチャイをごちそうしてくれる。いかつい顔しているけど、ホスピタリティーあるなー。

 六時間かけて、マストゥージに到着した。町だと思ったが、村だった。中心から200メートルも歩けば、家がなくなる。カラーシャのヤシールが知っているゲストハウスに行くが、宿代(エアコン・ホットシャワーあり)はいくらかと尋ねるが、「あなた次第だ」と言われる。「5000ルピー(2500円)」でいいかと聞けばOK。実はヤシールに足元見られるから5千と言えと教えられていた。

 到着後、早速しなければならないのは、明日のギルギット行きのバスのチケットを確保すること。ゲストハウスの従業員に連れられてチケットを売っているという店に行くと、「明日のバスはない」と簡単に言われる。明後日は?と聞くと「当分走らないだろう」という返事が返ってきた。理由はない。多分客数が採算に合わないのだろう。これは困ったことになった。わださんが言っていた「一週間のタビ」という言葉が頭に浮かんだ。ジープなら行くけど、満席にならないと出発しないらしい。チャーターだとOK、と従業員が説明するがそんな予算はない。とにかくさっきチトラルから到着したジープが屯する場所に行く。しかし誰もいない。

 ゲストハウスに戻り、シャワーを浴び日暮れにもう一度行くと、一人の青年が立っている。どこに行くのか聞くと「ギルギット」という。僕もそうなんだと言いながらチャイを飲んでいると、もう二人ギルギット行きが寄ってきた。4人集まった。でも8人集まらないとジープはスタートしない。まあ、なるようにしかならないとゲストハウスで夕食をたべ今日の記録をまとめていると、夜8時頃ジープのドライバーが僕を訪ねて来た。「本当にギルギットに行くか?」そして「携帯番号を教えてくれ、朝四時に出発する」と告げた。従業員が「8人集まったんだよ」と教えてくれる。それにしても僕がこのゲストハウスに泊まっていることを誰にも言ってないのにどうしてわかったのだろう。やっぱりここは村だ。

 

 翌朝、暗い中、懐中電灯をつけて集合場所に行くと、昨日の青年たちが準備していた。僕は一番先にドライバーの後ろの位置を確保した。車はやはりランクルだった。昨日チトラルから乗ったのとは形式が違う。おそらく古いN40型。40年前ぐらいの製造だろう。幌がかかり、後ろの荷台に大人5名と子供3人が乗る。前の席は2人の女性とドライバー。昨日よりはすこし楽かなと思った。明かりがない真っ暗な中、ランクルは山に向かって登り始めた。

改造ランクルN40型?

後部荷台は大人5人子供3人が肩を寄せ合う

 

 車の中がだんだん寒くなり、高度も上がり、山と谷だけだった外の風景が一変し、開けてきた。朝6時半。州境のシャンドゥール峠に到着。フランス語のような名前でやわらかい感じがする地名だ。標高3734m。富士山より高い。山間から登る朝日をうけて、羊飼いが放牧に向かう。高原の別荘地になるような場所だ。ここでトイレ休憩といってもトイレはない。乗客はあちこちに散らばる。ギルギット・バルティスタン州に入った。この州はは広い意味でカシミールになる。インド・パキスタン・中国が未だに領土を争う地域だ。

シャンドゥール高原

朝日をあびて放牧地に向かう羊飼いの群れ

 地図をみるとこれから大きな登りはない。道は一部舗装されているが、時々崖崩れによる岩の除去作業をやっているのでストップする。8時頃朝食休憩。道沿いの屋台で朝日を浴びながら腰を伸ばす。相変わらず、チャパティとカレーにチャイ。でも腹が減っているのでうまい。チャイが身体をあたためる。そして、12時になると再び昼食休憩。ビリヤーニ。パキスタンの食事に完全に戻ってしまった。ここで途中下車した人もあり、車の中にスペースが生まれ、ウトウトし始める。西から東に流れるギルギット川に沿って走っているが、長距離だ。同乗者が英語がわからず、僕もウルドゥー語ができない。会話がないから時間はさらに長く感じられる。夕方、12時間かけてギルギットの町の端に到着した。ヒンドゥークシュ山脈からカラコルム山脈の領域に入った。ここからカラコルムハイウェイを北に走れば中国国境に通ずる。

 さて街に着いたがが市内の交通手段の方法が分からない。一般車両とタクシーや乗合バイクの見分けがつかない。Grabのアプリを開いたがこの街では使えない。結局、ゲストハウスまでの3キロを歩いた。2日間18時間も同じ姿勢で座っていたので膝のためには良いだろう。

 シャワーを浴び、しばし休憩。夕食はモモ(餃子)にした。こんな料理があるのも、ヒマラヤに近くなったせいかもしれない。明日は仏教遺跡を見に行く。ビールは飲めないけれど、疲れが二度目の睡眠へすぐ誘ってくれた。

古稀バックパッカー、いたって健康なり。