toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

インド・ミヤンマー辺境への一人旅⑪ Kohima Nagaland(Sorry,only Japanese)

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ホーンビル・フェティバル


6 コヒマ① 少数民族、ホーンビルフェスティバル

 

 ナガランド州は、人口約190万の州。経済・交通の中心となるディマプル市は州北西の端にあり、州都のコヒマKohima市は山の中にある。コヒマに向かう山道は曲がりくねり、いたるところで山肌が削られ、未舗装。四輪駆動車は土埃をあげて登っていく。ほんとうに州都に向かっていくのだろうか。しかし僕にとってはとても懐かしい光景のようで、稜線、谷、時々見える集落に眼を奪われていた。インドが植民地時代、ナガランドはほとんどイギリスの支配を受けていなかった。こうした地形だとそう簡単に支配するのは難しい。

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州都コヒマ。山の稜線上に町は広がる。



 名前でもわかるように、少数民族ナガ族(総称)が多数派となる州だ。各民族間の会話をつなぐナガミーズという言語はあるが、公用語は英語。若い世代はもちろんのこと、多くの人が英語を理解するので、道を迷った時も心配はない。そして看板や書類も英語。この地にたどり着いて、これまで悩まされていたヒンズー語とはおさらば。顔は「モンゴロイド」、話す言葉は「英語」。そしてここは「インド」。それぞれの単語が持つ固定概念が複雑に絡みあい、なんとなく不自然。「自分はどこにいるのだろう」という戸惑いは起きるが、緊張感は無い。なんかタイの自分のテリトリーで生活しているような錯覚になってきた。

 

 途中一回休憩をして、つづら折りの道を4時間ほど登って、10人乗りの車はコヒマに到着した。標高1500メートル。山の稜線につくられた町は、まさに天空の都市。おそらく下の森から夜の町を見上げれば、稜線に幾つものなライトが散りばめられ、不夜城のように見えるはずだ。大きな通りは等高線上にそって伸び、車道にクロスするように人が歩ける急な階段の道が縦糸のように繋がっている。

 ホーンビル・フェスティバル開催中のこの時期、多くの観光客が訪れ、街は賑わいを見せる。インターネット予約では安い宿は満杯となっていたが、バスターミナル近くのゲストハウスで飛び入したら部屋が取れた。ベットとトイレがあるだけで、何もない。汚い。窓一つ、壁の上部はオープン。ひんやりしている。一泊750円。他を探すのも面倒くさいので、ここに決定。場合によってはキャンプ場で寝泊まりも有りと思っていたので、屋根の下で泊まれるだけでもいいか。しかし、夜は寒そうだな。厚い毛布が一枚あった。フロントに行くと他の旅行客が、毛布が2枚無いと眠れないと不平を言っていた。この日の朝の温度は6度だったそうで、人々は太陽の日差しを求めて部屋から出て日向ぼっこしている。

 

 早朝、ディマプールでチャイと軽いお菓子しか食べてない。「昼食を」と街に出た。他のインドの町では道ばたでチャパティを焼いていれば,定食屋と判断できたが、ちょっと雰囲気がちがう。椅子とテーブルがあるので何か食べれるのは確かなようだ。しかしどんなものか検討がつかない。数軒覗き、先客がいる店に入る。家主は奥の厨房で料理を作っているのかなかなか出てこない。「ここで何が食べれるのか?」お客に尋ねると、壁を指差す。「豚」、「牛」、「犬」?それぞれ150ルピーと書いてある。ここはおそらくナガランド風定食(ターリー)屋なんだな。それにしても、「メニューは3つ。具を選べということですね」と理解した。

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豚、牛それとも犬?



  ナガランドは90%がキリスト教を信仰している。だからヒンズー社会では食べられないモノが堂々とメニューになる。豚、牛まではわかるが、犬には驚いた。アジア大陸では犬食文化が各地にある。タイのアカ族もよく食べる。僕も、以前アカ族のお宅で、恐れ恐れ一口、ご相伴にあったことがあるが、頭で食べようとするので食欲をそそらない。犬肉は冬場に食べると身体が温まると、どこの民族も言っている。そう考えると、高地にあるここも、特に冬場を迎えた今は本番シーズンだろうなと納得。タイ少数民族では、「狩猟が下手な民族が犬を食べる」とからかわれるが、ナガ族もそうかなと、勝手に想像した。すでに、サルナートのチベット料理屋で牛は食べているので、ここでは豚定食を注文。すこしカレーっぽい豚の煮込みスープ、野菜、ご飯の定食が出てきた。おそらくナガ料理の定食だろう。一般的なチャパティは付いて無い。ご飯を全部平らげたら、「追加しようか」といってくれるが、ボリュウム満天。旨かった。

  

 お腹も落ち着き、まずナガランド州立博物館見学に出向く。やはり、民俗学的な資料館展示となって入る。彼らの文化風習に関しては、日本人としてとても興味が湧く。コマまわし、綱引き、石けり等。タイの山岳少数民族にも伝統として残されているが、まさかインドで見るとは思っていなかった。また、農耕、狩猟、衣料、生活器具に関してもミヤンマータイ北部、ラオス北部、中国雲南省で見た来たものと材料、形状等ほとんど一緒で、「やっぱり。ここはアーリア人の世界ではない」と僕の頭の中が段々整理されてきた。近代以前のこの地の歴史的な流れを知りたかったが、調査・発掘などの予算が足りないのだろうかあまり見受けられない。10年前までは外国人が入ってくるにも許可がいった時代だったことを考えれば、博物館がインド本土、あるいはイギリスの視点による資料収集だった事は間違いない。僕の個人的な要望を言えば、このナガランドの博物館にはもっと「東」を向いて欲しい。中国・ミヤンマーそして日本までを俯瞰したアジアの中で見るとこの地域の役割や作った歴史がもう少し違った形で浮き彫りになるような気がした。

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民族の遊び 博物館展示

 突然、博物館内部が停電になった。真っ暗になり復旧の可能性がいつになるかわからないので、残念ながら出口に向かった。インフラ、博物館運営の予算が足りないのだろうな。入場料も安すぎる。ナガという特異な民族州だけにこれから観光産業を推進し、正しく理解してもらうためには、博物館は重要な拠点だろう。展示も過去のものを棚に置くだけでなく、もっと動きが見え、来訪者が体感できるような展示になると素材が良いだけに「生きた遺産」としての価値が増すかもしれない。海外、インド本土からの訪問者だけでなく、地元の次世代にとっても。

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博物館展示



  ヒンズー、イスラム、仏教でもないクリスチャンのナガランド。至るところで立派な教会を見た。ほとんどがプロテスタント・バプテスト派だ。イギリスが政治や軍隊で手をつけられなかった山奥、首狩族といわれ戦闘能力が高かった村に、アメリカの宣教師たちは果敢に入っていった。そして、音楽を通して布教を広めたと言われる。谷を挟んで山々で人々は農作業、生活の合間に歌っていた。若い男女は谷向こうにいる恋人に歌を送る。日本の歌垣のような世界があった。自分の気持ちを自然界の鳥や花や森の季節感で表現しながら。決して「I love you」なんて直接的な表現はない。これは「彼らの教養」と言った人がいた。当然、声がよく通り、音程がしっかりした方が良い。そんな山の人たちの才能、能力を宣教師は聖歌の練習で中で見いだしたのだろう。聖歌隊の結成や音楽指導を通して布教を成功させ、世界で唯一のバプテスト教会が主流の州と言われている。

 そうした宗教の流れも含み、ホーンビル・フェスティバルは開催され、今年で20回目を迎えた。州政府の強力なバックアップによって、毎年12月初旬、16民族がキサマ(Kisama)のナガ遺産村(Naga Heitage Village)に集まり、10日間の祭りを行う。当初、反目し合う民族の統一が目的だった。観光客のためのものでもなかった。各民族の歌や踊りの競演会であり、お互いを認め合うイベントとして形成され、そこには教会も大きな役割を持っていた。(つづく)

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インド州別地図とナガランド

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ナガランド州地図