toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

インド・ミヤンマー辺境への一人旅⑩ Dimapur Nagaland ( Sorry only Japanese)

 

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ディマプルに多く住むカチャリ族

⑩ ディマプルへ

 旅をしていて、「自分は、何故ここにいるのだろう」と考えることが良くある。10年前、フランスからスペインのサンティアゴまで約900キロを一ヶ月かけて歩いた。「エル・カミーノ」。日本では「サンチアゴの道」と呼ばれている。帰国後、多くの友人に尋ねられた。「旅はどうでしたか?」。僕は、「歩いている途中でいつも『なぜ歩いているのだろう』とばかり考えていた」とまず最初に答えていた。毎日毎日、朝から7~8時間歩くと途中でどうしても辛くなる。そして「なぜ歩いているの」という自問の世界に入る。歩きながら一人で考える。慣れてくると瞑想(メディテーション)のようにも思えてきた。過去にあったことや他人が語った言葉が、頭のなかに気泡のようにブクブクと浮かび上がってくる。止まって休みたいが歩きながら考えるから良い。明確な答えはいつも出ないが、その気泡はそのうち出なくなる。肉体の疲れが精神を疲れを吹き飛ばす。そして、周りの自然豊かな景色や人々の顔が意識の中にパッと広がりインパクトを与える。その繰り返しだった。しかし、そのおかげで毎日、無意識な足は数キロの距離を進んでいた。

 サンチアゴの旅で学んだことは、「人生は旅のようだ。なぜ歩いているのか(生きているのか)常に考える。答えは出ないが、ある時、ふっと視界が広がり、その時に歩いている(生きている)素晴らしさが見える」。そしてもう一点、「歩き続けるには荷物を軽くしろ」。毎日30キロ歩き続けるには必要なもの以外を持っていてはその重さ(執着)で、自分が押しつぶされることを体感した。必要なものとは何か?も。その時は一生懸命考えた。僕の答えは、「必要なモノ」と「欲しい(あったら良いもの)」の境界線を自分で引くこと。断捨離。スッキリした。

 博物館からグワハティ駅までの道は、背負った荷物がやたらと軽く感じた。奇跡的な出会いによって闇雲に「人を探す」という課題に一筋の光が見えたという実感を味わいながら僕はディマプール行きの列車に乗った。バラナシからの23時間の「列車のトラウマ」はすでに消えていた。まわりの景色が美しい。約5時間の旅だったが、列車の快適さも有り、あっという間に到着した。

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駅の改修を始め、町の中は掘り返されていた。ホーンビル・フェスティバルの垂れ幕が土埃の中、霞んで見えた。

 ナガランドは、ほとんど山に囲まれた州。州都はコヒマだが、平野に位置するディマプルはアッサムとつながる商業都市だ。少数民族の中でも、水田作を行うカチャリ族がこの町には多い。ディマプルという地名も、カチャリ語で「大きな川沿いの町」と言うらしい。町を歩きながら人々の顔を見る。ここまで来るとモンゴロイドの比率は5割はありそうだ。とはいえ、この町の人口はどんどん拡大しており、ナガ族だけでなく、ベンガルを始め、インド各地から様々な民族が混じり合い始めているそうだ。外国人入域制限もなくなり、観光産業の拡大も期待できる。ミャンマーとのモレ国境も開放され、ここがバンコクからミャンマーを縦断し、デリーまで続くアジアハイウエー1号線(AH1)の通過地点としての期待が大きい。駅舎を中心として、街中が掘り起こされていた。マスク無しには歩けない。どこが歩道なのか、車道なのかもわからない。経済発展の可能性に向けてインフラ整備が行われている勢いは感じるが、なんとなく計画性が見えないな。「こりゃ時間がかかるだろう」と思い土埃の中、いつものようにターリー(カレー定食)を食べて宿に向かった。今日は昨日見た魚市場を思い出し、魚カレーを注文した。

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初めての魚カレー定食(ターリー)

 駅前の安宿に入ると、隣部屋にいた若者が声を掛けてくれた。Kabithui Rongmei君。「名字のRongmeiが、僕の民族」。ナガ・ロンメイ族の若者だ。そして彼は教えてくれた。「名前を見れば、だいたいその人がどの民族かわかる」と。「なるほど!」。今日、僕と同じくグワハティからここまで来て、明日、同じくコヒマのホーンビル•フェスティバルに行くと言う。「またおもしろそうな奴に出会ったな」と思った僕は、近くのチャイ屋に彼を誘い、お茶を飲みながら談笑した。グワハティのタタ社会学研究所の大学院生。

 「ナガランドでは、多くの若者がインド国内で高等教育を受けているが、帰って働くところがない。それが問題。中央から遠く、産業も発展していない。商業はヒンズー教アーリア人に握られているし、」。僕が地域開発の仕事を国外でやってきたんだと話すと、そう切り出した。さすが社会学を学んでいるだけあり、その筋の専門用語がどんどん出てくる。ナガランドの公用語は英語。小学校から英語で教育を受けた彼らは、インターネットが普及したこの時代、世界中の情報を知っているし、専門的な知識を持っていれば情報のやり取りもスムーズに行う。すべてのナガ族の若者がそうではないと思うが、政治にも大変興味を持っている。自分たちが置かれた立場、そして将来を案じれば、年齢は若くても話題にするのは当然だと思う。

 これまで世界各地で若者と会話する機会を持ってきたが、彼らは音楽、ファッション、食べ物などと同様に政治や宗教に関してもそれなりの受け答えはする。日本の多くがそうであるように、シラけた雰囲気はあまり感じない。日本の将来が危ういと感じるのはそんな時だ。世界の若者がどれほど政治に関わっているか、そして社会に対してエネルギーを持っているか比較した時に実感する。経済的統計や教育レベルの数値などの解説より確かだ。香港のデモや環境問題のグレタさんの発言をみてもそう思う。おそらく日本では、なぜ世界の人々がこれほど彼らに注目しているのかポイントがわからないような気がする。それが問題だ。他者の問題として話題性だけでしか捉えてない風潮が強い。そして、豊かな情報も限られたチャンネルでしか受け取らない、受け取れない。日本の若者が悪いわけでない。「失われた20年」という表現をされているが、高度経済成長、学生運動の時代が終わり、安定への「守り」システムが社会を硬直化させ、衰退への道を作ったのではないかと、疑問を持つ。僕も年齢的にはそうした政治・社会体質を許し、作った世代であることが、今考えると恥ずかしい。『変化に対して対応しない、対応できない生物は生き残って行けない』。『強者生存』ではなく『適者生存』。進化論のダーウィンを思い出す。

 Kabithui君は、勉学とともに社会運動にも一生懸命だった。競争に勝つための知識を得るのでなく、社会にそれをフィードバックさせるのが学問であれは、当然でもある。パレスチナの多くの若者が「自分の国のために学び、海外に飛び立ち、力をつけて帰って来たい」と語ったのを思い出す。彼らも自分の「社会の将来」のために学ぶ意欲を持っていた。困難ではあるが、そのプロセスを内在している社会が、変化を起こすのであり、生き残る道でもあると思う。

 その夜、「これから友達と会わなければならない」と彼はまた外出していった。またコヒマのホーンフェスティバルで会おうと約束したが、それっきりだった。「グワハティでCAB(注1)の動きが活発化し、大学院にとんぼ返りした」と、メッセージが後で入ってきた。僕がインドを去ったその後、このCABで大きなデモがグワハティで起き、モディ首相が厳戒令を発令、安倍首相のインド訪問が延期になったことが日本の新聞でも報じられた(注2)。

 列車での旅はこれでおしまいだ。これからはいよいよ山道へ。車の旅になる。早朝6時、コヒマに向かう乗り合いタクシー乗り場に向かって宿を出た。

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この四駆に10人の客を載せる。

 

注1:CAB 市民権改正法案(Citizenship Amendment Bill イスラム教徒が多数を占めるアフガニスタンバングラデシュパキスタンでの迫害から逃れてきたヒンズー教徒やシーク教徒、仏教徒ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒がインドの市民権を獲得できるようにするもの。(現地で見た私的解説)インド東北部ではクリスチャンが多く、ニューデリーが言う反イスラムという宗教的な匂いはなく、現地の学生は、大量のベンガル人への市民権が与えられこれまでの地域経済や先住民族の比率低下が混乱を起こすと言った視点で反対していた。宗教的な問題のように見えているが、むしろインド全体を統一するためのヒンズー至上主義の強化への反対に思える。

 

注2:【12月13日 AFP】インド北東部で12日、市民権に関する新法案に抗議する群衆に対し警察が発砲し、2人が死亡、複数が負傷した。地元医師が明らかにした。政府は北東部アッサム州グワハティに治安部隊5000人を派遣し、携帯電話によるインターネット通信を遮断したが、法案に反対する人々は外出禁止令に背いてデモを実行。治安部隊に加わった警官隊が、空包と実弾の両方を発砲した。グワハティ医科大学病院の医師がAFPに伝えたところによると、多数がさまざまな種類のけがをして治療を受けている。21人が病院に搬送され、中には実弾を受けた人が複数いたという。11日に議会を通過した「市民権改正法案(CAB)」は、近隣3か国からインドに入国した少数派宗教信者の市民権取得手続きを迅速化するものだが、イスラム教徒は対象外となっている。イスラム系団体や野党、権利団体らは、ヒンズー至上主義を掲げるナレンドラ・モディ首相が同法を通じ、インド国内に2億人いるイスラム教徒を疎外しようとしていると主張。モディ首相はこれを否定している。一方で、北東部の住民の多くは、同法によってバングラデシュから入国したヒンズー系移民が市民権を得る可能性があるとして反発している。(c)AFP