toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

インド・ミヤンマー辺境への一人旅⑯ Moreh 、INDIA (Sorry,only Japanese)

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ナガ族の親子の案内で国境ポイントに到着

⑯ アラカン山脈 ミヤンマー国境の町、モレ(Moreh)へ

 

 この国境が開いたのは2018年の8月。僕はずっと前から注目していた。これまで多くの外国人がビルママンダレーから悪い道をここまで到達するが、追い返された話を聞いている。その原因として、インパールとモレ(Moreh)の間に武装勢力が存在するため道路の安全が保たれていないことが挙げられていた。

 

 早朝、インパールのホテルで聞いたモレ行き乗り合いタクシー乗り場に行くと、軽ワゴン車が数台並んでいる。「急峻な山道ではない。道路状況もそれほど悪くはないだろ」。車の能力をみて判断できる。正確な出発時間が定まっている訳ではないから、7人揃うまで一腹。只今の客は5人。チャイを飲みながら待つ。イライラすると旅が面白くなくなる。座って、深呼吸をし、人々の動きや風景に目をやることができれば、面白い。うまくいけば自分がこの町に住んでいるような感覚になる。そうするとテンションが下がり、リラックスする。

 突然、運転手がしびれを切らして「出発」という。どんな計算をしたのだろう。市内をゆっくり回り、市場近くで声をかけ、二人を追加ピックアップした。「君の読み、当たっているじゃない」。いざモレへ、車は朝の心地よい風を受けて、スピードをあげる。

 車中、運転手が、「パスポートコピー持っているか」と聞いてくる。「一枚あるよ」と答えると、「それじゃ駄目だ。5枚いる」。彼によると最大5ヶ所のチェックポイントが有り、足りなくなることもあるそうだ。昨晩、ヴィシさんが、「モレに行くなら友人がいるから連絡しておく。何かあったらいつでも連絡してくれ」といった。観光客では見えない部分がある。なにが起きても対応できるよう、心の準備はしていた方がどうも良いだろう。

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ラカン山脈

  軽ワゴン車がギアを落としてきた。盆地は終わり、アラカン山脈に入っていく、周囲の景観が変化し、長く連なる稜線が青い空にきれいな線を描く。インパールから退却した日本軍兵士たちはこの景色を見ただろうか。7月の雨季は全く違っただろう。厚い雲に被われ、大きく張り出した木々や草に悩まされたろう。制空権を持ったイギリス軍から逃れるため、谷沿いのぬかるみの中の撤退だったろう。それも夜行で。肉体だけでなく精神も疲弊した彼らに映ったこの山々の姿は、暗い自然の恐ろしさだったかもしれない。前線にいた兵士の悲痛、叫びを想像できる。タイ、ランプーンで暮らしていたインパール作戦残留旧日本兵の藤田松吉に生前、戦争の話を持ち出した時、突然怒ったように「牟田口のばか野郎、殺してやる」と言った。その感情がすこし理解できるかもしれない。

 

 カーブを回って、車が縦列になって止まっている。チェックポイントのようだ。稜線上に大きな駐車スペースがあり一台一台誘導される。運転者が「お前はあっちだよ」と外国人コーナーを指す。担当官がA3サイズのノートに入国、移動経路を書き込んでいく。僕は今日2人目の外国人だった。パスポートにスタンプはなかった。コヒマの時のように、大きな三角チェックポイントスタンプを何個も押されては、パスポートのページがなくなり嫌だなと思っていたが、パスポートコピーを取られるだけで、チェック終了。軽ワゴンを待つが、出発できない。銃を持った係官にインド人たちは荷物だけでなく、車の隅々まで調べられている。「何を探しているのだろう」。途中、軍隊の基地が幾つかあったが、車が停車させられたのはここ一箇所だった。車は山を下り始め。3時間ほどでモレに到着した。

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チェックポイント

 車道はここまで。これ以上入れないと町角で降ろされた。どっちが国境方面かわからない。グーグルマップでも開いてみようと荷物から携帯を取り出そうとすると軽ワゴンに一緒に乗っていたナガ族親子が手を振る。、「私達も国境に行くから」。ミャンマー側の親戚に会いに行くそうだ。「日帰りか」と聞くと、2、3日はミャンマー側で泊まり、最後にこの町で買い物するそうだ。この地域に住む人にとっては、国境はあってないようなもの。インド・ミャンマー国境というより地域の大きな市場なのかもしれない。インパールの住民も、物価の安い国境へドライブついでに買い物という恩恵を受けている。物流はミャンマー側からインド側へがほとんどだ。ミャンマーの農産物、そして中国、タイから運ばれた生活用品、国境向こうの商店に並んでいるのが見える。

 

 彼女らと一緒に国境を越えようとしたら、僕にストップがかかった。係官が「外国人はもう一箇所別な所」という。来た道を引き返しながら、インド側にある商店を覗いてみた。よく見ると扱っているのは大きな家具。材はもちろんチーク材だ。おそらく、これらの商品は、これからミャンマーに向かって行くのではなく、既にミャンマーから到着した商品と予想される。密輸品かもしれない。大きな荷物を車道まで運ぶのだろう。木製の人力リヤカーが並べられている。

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インド側商店、運搬用のリヤカーが並んでいる

 多くの木材店の存在には驚いた。価値の高いチークはこの辺りが原産地となっている。特にミャンマー側の天然チークは風合い・強度・安定性に最も優れている高級品だ。海外で森林管理行政の仕事に関わったことがある。木材は人里離れた場所にあるだけに、違法伐採が行われやすい。また政治的に安定してない国では、行政職員の汚職・癒着などがはびこっていた。森林資源がどんどん減少する中で、店で販売しているチークも違法伐採、密輸入だろう。それにしても堂々と販売している。ちょっと調べたくなるな。食堂に入り、最後のインドカレー定食を食べながら「国境マーケットから民族問題」を考えてみた。

 

 「このような流通が行われているのは、大きな権益が発生しているからだろうな。中央、地方行政だけでなく、ナガ族の組織など大きく関わっているはずだ。夫々のバランスが安定している間は問題は起きない。しかし、一つ問題が起きれば、大きな争いに発展する。民族問題は人権や多様性文化の尊重と言う視点から解決してほしい望むが、一方では、やはり資源の奪い合いというストーリーの中で繰り広げられていることも忘れるわけにはいかない。。中央政府が地域の資源を管理・コントロールしたいがために、法律を繰り出す。地方、特に有力者たちがそれは認められない。文化的な価値観や宗教が伴う社会的ルールが違えばなおさらだ。その時に民族、マイノリティという単語が表面に出てくるケースもある。扇動もしやすい。グローバリズムの影の部分として麻薬や武器なども当然あるんだろう。それらの権益はさらに大きいだろう。しかし、最終的に苦しむのは住民かもしれない」。

 外国人用イミグレーションは数キロ離れたとこにあった。裏道を歩いていたらいよいよ迷った。近くのお兄ちゃんに聞いてみると、右左言われ、ますます分からなくなる。そしたら一人の青年が俺のバイクに乗れと言ってくる。こちらも疲れているのでわたりに船。新築された外人用イミグレーション玄関まで運んでくれた。「いくら払えばいいの?」と聞くと、「いらない」。こういう場合、吹っかけられるのが落ちだが、他の外国人も無料で乗って来たという。まだまだ観光ズレしてないのかもしれない。いずれにしても最後には気持ちよくインドから出られた。ナマステ。

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橋向こうはミゃンマー。誰も渡っていない。