toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

インド・ミヤンマー辺境への一人旅⑲ for Yangon Myanma (Sorry,only Japanese)

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ヤンゴン行き夜行バス


12 カレーミョ〜ヤンゴン AH1号線

  インドからスタートしたこの旅、気になっていた痛風も発症することもなく身体はいたって健康だったが、この夜、下痢になった。とうとう洗礼を受けた。友人から「インドは気をつけたほうがよい」と旅の前にさんざん言われていたが、ここまで平気だった。これまで、いろいろな田舎でストリートフードを食べてきたので、多彩な腸内細菌が生息し、体験的に抗体を持っていると思っている僕は、おそらく普通に気をつけていればそんなに問題はないはずだと自負していた。ミャンマーに入り、ゆったりした雰囲気のなかで少々気が抜けたのかもしれない。昨晩のカレー屋での食べ過ぎか、ビールのつまみか? 腹痛はあまりないが、力が入らない。どうしようか?カレーミョにもう一泊して、ゆっくり休むか。そして、可能ならチン州の田舎町をもう少し歩いて見る。悩んだ末の結論は、身体に負担のない移動なら「とにかく前に向かって進む」ことがベターという思いになった。夜中、これから動く経路、手段の情報を集める。

 

移動するには3つの手段がある。1)列車、2)飛行機、3)バス。

 地図で見ると、カレーミョには鉄道駅がある。できれば鉄道で南下したい。しかし、現地で確認すると、どうも鉄道は庶民の長距離移動の足となっていない。インドとは違う。本数がない上に、乗り継ぎが必要。イギリス植民地時代からスタートしたビルマ鉄道。残念ながら長い軍事政権化の中で、予算もなく維持管理があまりされてないことは、以前、ヤンゴンから古都バゴーに約2時間、列車の旅で経験済み。線路の状況が悪く、スピードを出せなかった。当然、時間も読めない。そして、当時は外国人料金があった。今はどうか知らないが、やっぱり鉄道ではスケジュールが組めない。

 次に、飛行機。カレーミョの町のど真ん中に飛行場がある。空港へは歩いてでも行ける。国内線がマンダレーヤンゴンに飛んでいるのは確認した。相変わらず外国人料金が有り、LCCを使い慣れた僕にとっては「どうしてこんなに高いの」とため息が出た。とりあえず、今回は陸路で、と決めていたので、一応リファレンスとして頭の片隅に置く。明朝、よほどお腹の調子が悪い場合のみの選択肢。

 やっぱり、バスかな。ホテルで長距離バスについて聞くと、この周辺の住民の移動の主流のようだ。ホテルのお兄ちゃんは、「リクライニングのバスは快適だ」と太鼓判を押した。本数もあるから予約は簡単とのこと。とはいえ、ここで一つ思い出が頭をよぎって来た。20数年前のことだが、ヤンゴンからマンダレーまでバスで移動した。乗ったのは日本のバス会社の中古車だった。4人がけシートでリクライニングもなし。ミャンマーの大動脈の道なのに当時は未舗装があり、窓の締め付けが壊れてガタゴトとなり続け一晩中眠れず苦労し、マンダレー到着後、感冒症状となり2日間寝込んだトラウマがある。そう思っていると、ホテルの兄ちゃんがバスの写真を見せてくれた。日本の田舎に住んでいるので高速バスを利用するが、「外見を見るとこれは日本より進んでいるかもしれない」と思い、早速バスに決定。

 そして、次は目的地をどこにするか。南に向かうヤンゴンか、東のマンダレーか?旅の準備をしている時は、北部にある中心都市のマンダレーに向かい、そこからシャン州を通り、タイ国境の町、タチレクに入る計画していた。国境をまたげば、私が住んでいるチェンライ県だ。しかし、この道はタウンジーとチェントン間が外国人通行制限がかかっていると聞いていたが、現地での情報も、やっぱり「無理」と判明した。チェンライに向かっていくには、ミャンマー南東にある、ミャワディー(Myanma)メソット(Thai)国境を通過しなければならない。その中継地として東のマンダレーか南のヤンゴンかという訳だ。距離的にはマンダレーが良さそうだし、首都のヤンゴンよりは落ち着きもあるし歩きやすい。しかし、バスの本数を聞くと、どうもヤンゴンが便利。そして、上手く行けば、ヤンゴンのバスターミナルでミャワディー行きの朝のバスに接続できる。その国の中心都市から放射状に交通が発達していることを考えると急がば回れと判断。

 翌朝、症状が重くならなかったので、昼間までエアコンの効いたホテルで休息、昼1時のヤンゴン行きの夜行バスの電話予約をしてもらった。とにかく、下痢止めを飲んで、腹にはミネラルウォーター以外何もいれないという治療法だ。サイドカーが付いたバイクタクシーでバスターミナルへ。長距離バスに乗る時はビールや地元の肴を買うが今回は断念。もう少しあれもこれも食べたいという食欲が出てきたら回復の兆しがみえるのに残念だ。

 経済発展に伴い、ミャンマーのバス交通は急速に発達しているようだ。道路インフラはまだまだ改善の余地があるが。バスは写真で見たような日本の高速を走れるぐらいの設備が整っていた。マットレスが敷かれ、乗車する時、靴を脱がないといけないのかと言うほどきれいだった。出発するとお菓子や水、ウェットティッシュ、毛布が配られた。リクライニングも倒れるのでゆっくり休める。出発時はお客がそれほどいなかったが、途中数カ所でピックアップ、日が暮れる時間帯には満席となった。大きな都市間をつなぐ路線ではこんなこともないだろうが、高速夜行バスは路線バスの役割も持っている。全く家がない田舎でもお客を拾っているから、庶民にとっては利用しやすい。これではおそらく鉄道網の改修より、道路網の整備の優先順位が高くなる。田舎道と言っても、やっぱりアジアハイウェイ1号線だ。

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AH(アジアハイウェイ)1号線

 ヤンゴンまでの間、バスは3回休憩した。夕食の時間帯、12時頃の夜食の時間帯、そしてヤンゴンの手前の朝7時頃。夕方、夜は、田舎の道路沿いの掘っ立て小屋のようなところで食事が出される。暗くてあまりわからないが、周りは農村風景。お腹の調子が悪い僕は、お茶だけ頂いた。座ると数種類の料理が運ばれてくる。食べたものだけを支払えば良いシステムのようだった。朝は、ヤンゴン近くとなり、高速道路脇の大きなパーキングがある食事処だった。面白いことにここでストップする前に歯ブラシ、洗顔セットが配られる。皆、トイレに行き、歯磨きをする。女性洗面所の前にはタナカ(注1)がセットされ、お嬢さん方は鏡を見ながら、頬などに丁寧に塗っている。ミャンマーでしかか見れない光景だ。

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朝の休憩でタナカを塗るミャンマーのお嬢さん

 ヤンゴンバスターミナルに到着したのは、午前9時前だった。8時までに到着すれば、そこからミャワディー行きのバスに乗り換えできたが、もう出発している。夕方までもうバスはない。これからどうしようと思っていたら、バスを降りたところで、「どこへ行く」と声をかけられる。いつものタクシーの客引きかなと思い、「ミャワディー」と答えると、「ついてこい」という。ミャンマー独特のロンジー(注2)でスリッパのおじさんは、スタスタとターミナルの中を早足で駆け抜けていく。バスターミナルから離れた場所に行くと、ワゴン車が停まっている。インド国境タムの町からカレーミョまで利用した乗合タクシーと同じものだ。

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タイ国境行き乗合タクシー

 9時30分発。あと15分しかない。「乗るか」聞かれ、少し迷った。行き先はビルマ語でしか書いてない。読めない。周りに待っている人にこの車は「ミャワディー行きか?、タイに行けるか」と確認するとそうだと言う。これからヤンゴンの中心部で時間を潰し、再び夕方のバスに乗るのも面倒くさい。長丁場になるけど、「乗ってしまえ」。僕を連れてきたおじさんは、そのままバスターミナルの方に帰っていった。僕からの案内料も取らずに。おそらく、タクシー会社からバックマージンがあるのだろう。チケット売りのお姉ちゃんと話していたから。インドでもそうだったが、案内板がなかったり、雑踏のようなバスターミナルや駅で、不案内な僕らは、一人でやたら看板を探しやインターネットで情報を取ろうとする。しかし、日本のように公的なサービスはなくても、私的なサービスはいくらでもある。使い方によっては、大きな荷物も運んでくれるし、トイレ、食堂まで案内してくれる。金さえあればいたれりつくせりの王様旅行にもなる。不便なような社会だが、実は便利かもしれない。自分が持っている情報と身体一つで稼ぐ方法が至るところにあるのだ。これをどのように見るか。貧困だからむやみやたら支援するのは、彼らのエネルギーや意欲を削ぐこともある。

 インドでは明らかにだまして高い手数料を露骨にとろうとする場面にも遭遇、辟易した。列車のチケットを買いに来ているのに、「ここでは外国人は買えないので、私が案内してあげる」という輩もいた。ともあれ、ここミャンマー人は、インド人と比べ英語による言葉巧みなオファーができないのか、しつこさが無かった。なにしろ、旅慣れているこちらとしては、特に都会では相手から寄ってこられたら猜疑心をもって望むが、僕が損をしているような感覚も起きないし、最後には連れてきて「ありがとう」とお礼まで言った

 結局、僕のヤンゴン滞在は、たった30分だった。まる一日半、水分補給だけだったので、僕は急いで、路上屋台で麺類を掻き込み、タバコを一服して、狭いワゴン車の一番奥に座った。夕方までにはミャワディに着くといわれて。(つづく) 

 

(注1)色は主に黄土色で、茶色っぽいものや白色っぽいものもある。化粧としてだけでなく日焼け止めとしての意味もある。原料はタナカの木で、タイミャンマー国境近くを中心に見られる。

(注2)ミャンマーで日常的に着用されている伝統的な民族衣装。下半身に着用する筒状の衣類。

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一日半ぶりの食事。太い米粉の麺