toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

インド・ミヤンマー辺境への一人旅⑳ for Myawaddy、Thai Border (Sorry,only Japanese)

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乗り合いタクシーは途中でパンク

12 (つづき)ヤンゴン~ ミャワディ AH1号線

  出発前に到着時刻を聞いた。「夕方6時にはミャワディだよ」。チケットを販売するお姉ちゃんは自信を持って答えた。距離400キロ。8時間半。「なるほど」。予定より少し出発は遅れたが、乗り合いタクシーは、ヤンゴンから高速道路をすっ飛ばす。多少の揺れはあるが、昼休憩をはさむまでは、順調に進む。しかし、シャン台地に源を発し、マルタバン湾へ流れ込んでいるシッタン川を過ぎた辺りから、様子がおかしくなる。ドライバーが数回車を停車、車体を確認している。「大丈夫か?」と思っていた矢先、パンクが判明。修理場所を探しながら、小さな町でタイヤ交換が行われた。午後3時。GPSで距離を見ると、もう半分ぐらいは過ぎているので、まあそれほど遅くならないだろう」と安心していた。

 修理後、再出発したのは良いが、超スローペース。なんと至るところで道が掘り返されているのだ。大幅な道路改修が行われている。タイ国境からヤンゴンまでの道のりを高速化させるため工事中と一緒に乗っている人が話してくれた。土埃、片側通行、渋滞。思うように前に進まない。

 ASEANの中で、タイは地政学的に経済発展の中心となっているが、特に労働賃金の高騰と少子高齢化が進む中、生産年齢人口の多い周辺国を巻き込み、経済発展を遂げていくことが必要不可欠だと言われている。また、民主化闘争が長く続いたミャンマー。最後のフロンティアとして経済発展するには基礎となる物流インフラを早急に改善する必要がある。バンコクヤンゴンを結ぶこのAH(アジアハイウエー)1号線の道路舗装、拡張は最優先事項となっているのだ。すでに、ミャンマー側国境のミャワディーからコーカレー間はタイの政府の支援によってバイパスが開通している。しかしその距離はたった40キロ弱しかない。

 

 日が暮れて夕方7時になり、車は夕食のために休憩した。そしてコーカレーの高速道路に入ったのは、すでに8時となっていた。実を言うと僕は、ヤンゴンバスターミナルの僅かな時間に、今晩の宿泊予約をインターネットでした。ミャワディーではなく、国境を挟んだタイのメソット側のゲストハウスに。外国人チェックが厳しいミャンマーでは、多くの安宿は外国人宿泊許可を取ってないため、パスポート提示の宿泊ができない。ある程度しっかりしたホテル以上でないと拒否される。コストが嵩む。一方、タイ側は観光産業が発達し、小さな町にも外国人が泊まれる安宿があり、その多くは新しいし、競争があるのでそれなりのサービスも期待できる。しかし、夕方、休憩に入った食事処で僕は、タイ側のゲストハウスに再び、メールを送った。「今夜中にタイに入国できないのでキャンセル」と。ヤンゴン出発の時に、ミャワディー到着時間を確認したのはそのためだった。国境が閉まるのはタイ時間で夜8時。ミャンマー時間だと7時30分だ。6時到着なら少々遅れても、越境は楽勝と予想した。しかし、ミャワディー到着は夜9時前となった。

 

 タクシーの同行者の中で、ビルマ語がわからない僕にタイ語で声をかけてくれたのは、ビルマ人の青年だった。レストランで食事の注文に戸惑っているように見える僕に、「クイッティオ(麺)を注文してあげようか」と言ってきた。下痢のため昼食も食べてない姿を見て、注文できないと思ったらしい。彼も、ミャワディ到着後、タイに国境越えし、働き口を探しに行くと言う。「この時間じゃ、国境が閉まっているよ」というと、それほど気にもしていない。「町に宿はいくらでもあるし、駄目なら、お寺に泊まればいい」という。それじゃ、到着して一緒に宿を探そうということになり、少しずつ、彼の生い立ちを聞き始めた。Soe君。20歳。

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新しく作ったSoe君のパスポート。許可を得て撮影させもらった。

 7歳から両親と共にタイに出稼ぎに出ていったという彼、13年間タイで生活していた。今年に入り、帰省する両親と一緒にミャンマーに帰り、作ったばかりのミャンマーパスポートを持って、自分一人でこれからタイに働きに行くそうだ。長いタイの生活で、言葉には不自由していない。しかし、少年期、タイでは学校には通ってない。両親はバンコク周辺で、労働者としていろいろ仕事をしていたらしい。名前がわからない僕を「ア・ヒィヤ」と呼ぶ。あまりキレイではない単語を使う。この単語がおそらくこれまでのタイでの経験を物語っている。僕を中国系タイ人の「旦那」と勘違いしている。 

 

 僕が住んでいるタイ北部もミャンマーに接しているので、多くのミャンマー労働者がいる。今年1月末現在のチェンライ県に合法的に滞在する28,667名。あくまでも行政が把握している合法的労働者だ。この県では最低賃金が一日あたり300バーツ(千円強)と設定されているが、地元タイ人単純労働の日雇いは4~500バーツ支払ってもなかなか探せないことが多い。僕の家を建設する時に、棟梁はいつも人を集めるのが難しいと嘆いていた。

 しかし、タイ国籍を持たないビルマラオスカンボジアからだと300バーツ以下でも雇える。現に水で悩んでいた僕の家の井戸は、そうした人たちが掘ってくれた。その中には、少数民族のように、ミャンマーの国籍もなく、無国籍の状態で生活している人も多い。かれらの場合は、守ってくれる国もないので、就労問題以前に、人権が確保されてない。特に親が無国籍のままタイで生活をし、生まれてきた子どもたちは、ある程度の教育を受けることはできるが、卒業後、移動や就職に大きな制限がかけられる現実に遭遇する。 

 タイ労働省は2019年11月現在、この3カ国からの労働者は300万にを超えると発表した。この統計調査は、合法的な労働者の数で氷山の一角しかない。違法で入ってきている人を計算に入れるとどれぐらいいるのだろう。やはりタイ経済発展は、周辺国からの労働に頼らざるを得なくなっている。政府も違法労働を取り締まらないわけにはいかないが、まともにやると産業にも影響を及ぼし兼ねないのでいたし痒しだろう。そうした中で、違法入国し、ある程度生活基盤を持った人々に、タイ政府は「バッ・タンダオ(エイリアン・カード)」という身分証を発行する。これを持っていれば、条件付きだが登録した県内での労働や移動が認められる。Soe君もこのエイリアン・カードを持っていた。

 

 ミャワディに到着後、Soe君が安宿がどのへんにあるか、住民に聞いている。いかがわしそうな若者が路地裏を案内してくれるので、僕も便乗して見に行く。「どこが宿だよ」ただの安っぽい家の一部屋を貸すという話。日本円で一泊200円。僕が「ここはダメだ」と言うと、彼も「案内したやつはガラが悪い」と頷く。もう一軒小さな看板を上げている宿を自分たちで探し、入った。これも500円程度だったが、僕がパスポートを出すと「泊められない。他を当たってくれ」と拒否された。理由がわからないSoe君に宿主が、「外国人だから」という説明をビルマ語でした。僕は外国人宿泊の難しさがある程度わかっていたから、もうすこし大きなホテルに行こうと彼を誘った。結局、大通りに再び出て、ミャワディー・ホテルという4階建ての建物に入る。外国人でも泊まれることを確認し、今度は僕がカウンターで空き部屋の有無を聞く。部屋代は30ドル。これを聞いたSoe君は、「僕にはそんな予算は無い」と言い、お寺を探すと動き出す。フロントに、「30ドルはツインの部屋で定員は2名か」、と確認し、急いで「君が良ければ、無料で泊まれるよ」と招待した。夜の10時になっていた。「こんなホテル初めて泊まった」というSoe君は少し興奮していたが、旅の疲れと前の路上で一緒に飲んだビールの酔もあってぐっすり寝込だ。

 翌朝5時半。国境が開く時間だ。1日1本しか無いチェンライ行きのバスがメソットの停車場を7時に出発するのに合わせてチェックアウトした。まだ薄暗い街の中を、僕らは国境の泰緬友好橋を目指した。彼と外国人の僕は入国管理の窓口が違うので、メソットのタイ入国検査終了後、再び待ち合わせた。少し手間取った彼。タイ入国に際して、新しく作ったミャンマーパスポートは使わなかった。その代わり、前から持っていたエイリアンカードを使用したという。「パスポートを使うと合法的な入国だが、滞在期間が限られているし、働けない。エイリアンカードは、メソートがあるターク県以外には移動できないが、とりあえずお金を稼ぐことはできる」と説明した。そして「毎日300バーツ稼げれば、ミャンマー側の両親にも送金できる。いい仕事があったら連絡してね」と電話番号を書いた紙切れをくれた。

 タイ側で、僕らは別々のバイクタクシーをチャーターした。東側から新しい太陽が登ってきた。僕はバスステーションへ、そして彼は、既にタイに住んでいる姉のアパートに向かう。そこで日雇いをして、いい仕事が見つかれば、上手にバンコクでも行くそうだ。「Good Luck」。

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朝、国境の橋。中央の矢印のところで右側通行から左側通行になる。