toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

インド・ミヤンマー辺境への一人旅⑱ kalemyo 、Myanmar (Sorry,only Japanese)

f:id:toyotaid:20200220171138j:plain

街は大木に覆われているカレーミョ

カレーミョ・ミャンマー チン族の街

カレーミョ。「ミョ」は町という意味だから、さしずめカレー町となる。街の通りには昔ながらの大きな街路樹が覆い被さり、静かな佇まいを醸し出す。

  タムからの乗り合いタクシーで一緒になったイタリア人のバックパッカーと一緒に街の中心で降ろしてもらい、宿を探す。彼は、ロンリープラネット(ガイドブック)を早速開き、一生懸命に読み始める。安いゲストハウスを探しているらしい。ネットを開くが、外国人が宿泊許可がある安宿が少ない。この町もこれまでの入域規制で観光産業は始まったばかり。僕は、朝から長い行程を移動してきたので、どこでもいいから落ち着きシャワーを浴びたい。道路脇にあるホテルに飛び込む。1軒目は満室で断られたが、2軒目で部屋があった。ビジネス向けのホテル。首都ヤンゴンから出張などで来るのだろう。駐車場は車が満杯だった。予算より高目だが、1日の移動距離と疲れを考えれば仕方がない。背中の荷物を早く下ろしたい。

  シャワーついでに洗濯をしたら、夜8時になった。朝から軽いモノばかりなのでガッツリ食べたいと大通りにでる。街灯は薄暗く、自転車タクシー、バイクタクシーも殆どない。人とすれ違うことがない。さらにほとんどの商店、食堂がもう閉店。通りに夜の賑わいはない。ないないづくしでインドと大違い。インドと違って、酒は買えるけど皆どこで酒のんだり、遊んでいるんだろ。

 やっと見つけたネパール人オーナーのインド料理店で、定食を注文。ただし、客は僕一人。大きなテーブルを独り占め。奥さんが、暇なのか僕の皿をずっと見ている。そして、少なくなるとサブジ(カレー汁)やライスを追加してくれる。空腹だったので力一杯食べた。食堂でビールも飲めたので満足だった。

 

 タムから南下する際、右手に見えたアラカン山脈。インパール作戦の攻撃では、日本軍第33師団が北上した。ミャンマー西部、バングラデシュ東部、インド北東部にまたがる自然豊かなこの山脈のミャンマー側は、チン州と呼ばれ、ここで生活する少数民族を、チン族と呼んでいる。しかしナガ族と同じく総称で、実際は53の部族(サブ・グループ)に分けることができ、それぞれ独自の言葉、文化を持つ。総人口は200~250万人。いまでは、インドとミャンマーに国籍を分けられているが、ナガの中のクキ部族は、言語的にもチン族の近いとされている。それゆえ、インド国内のナガ族闘争では、クキ部族の立ち位置が不明瞭で、部族間抗争を引き出している。

 

 この旅の間、雲南省からインド アッサムまでの山岳少数民族の名前を何十種族と聞いた。どことどこの部族に類似点が有り、地形・地域的な居住地域などを手繰りながら整理しようとするが、物忘れが激しくなった僕の頭では覚えきれない。衣装や家の形に違いを見ようとするが、近代になり、交通移動や情報が入ってくると他の民族や文明の影響を受けて、少しずつ変化しているようだ。はっきり区別できる境が浅識の僕には見えない。そして、同じ部族でも国や地域によって呼び名が変化する。歴史・政治の影響を受けている。僕がよく接している、タイのアカ族は、中国ではハニ族と言う。タイ人からは「イコー」と呼ばれていた。アカ族はこの蔑称を嫌うため今では聞くことが少なくなっている。

 そんな中で、部族名称の一部に、聞いていてとても引っかる単語があった。カチン、チンポー、そしてチン。共通する「チン」。僕はこの言葉が気にかかっていた。

 「中国」の呼称については、漢字文化圏以外からは、チーナ、シーナという呼称が一般的に用いられている。インドを通じて中東に伝わってアラビア語などの中東の言語ではスィーン (Sīn) となる。また、更にインドの言葉から直接ヨーロッパの言葉に取り入れられ、China(英語)、Chine(フランス語)などの呼称に変化した。日本でも、仏教文献で「支那」となり、昭和の中期まで利用された。これらの単語の由来は、史上初めて全土を統一した「秦」(しん、拼音: Qín、紀元前778年 - 紀元前206年)あるとされている。「チン」という単語は、この「秦」にあるのではないかと。おそらく、周辺の諸民族だった彼ら少数民族モンゴロイドの彼らにすれば、東方でアーリア、ドラヴィダ民族と接触する際に、自ら呼称、あるいは一部に「チン」を組み入れたのではないか想像していた。

 チン族も以前は精霊信仰(アニミズム)だったが、今では9割以上がクリスチャンとなっている。少し前まで女性が顔に入れ墨を入れる習慣があったが、今はほとんど見ない。(理由は諸説あるが「他の村の男に連れ去られないよう醜くするため」が有力説)。それでもカレーミョにいる間に会えるのではないかと高齢淑女の方々を注意してみたが、そのような方はいらっしゃらなかった。

f:id:toyotaid:20200220174034j:plain

チン族の女性 参照:Photopedia:Jmhullot - Jean-Marie Hullot

(つづく)