toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

2023 ウィズコロナの旅は続くよ

その⑧ シエムリアップ・アンコール遺跡群

朝焼けのアンコール・ワット

 

 タイ国境からアンコール遺跡群があるシエムリアップまでの距離は150キロ。国道5号線を東に向かってひた走る。バッタンバンへの分かれ道となるシソポンという街を途中通過し、カンボジア最大のトンレサップ湖の北岸を進む。この世界遺産の街に入ると、中心部まで片側3車線の広い道路となり、両側には新しくできたテーマパークやビルが立ち並らび、これまでののどかな農村風景から一変する。

 コロナ以前、最盛期には中国人を中心に多数の観光客が訪れ、アンコールワットで自由に写真も取れないほど混み、観光経済は急発展した。 しかし2020年に入ると、コロナによる移動制限で、観光都市は経済的な打撃を受ける。多くの宿舎やレストランがシャッターを閉ざし、閉業となった。私が訪れた今年一月上旬でも閑散としており、道路渋滞もなかったが、西洋人の姿は、あちこちで見え始めていた。この時期のカンボジアは、冬の国から訪れる彼らにとっては快適な気候、マスクもしていない。地元の人々は、中国がゼロコロナ政策を変更したのでまた近いうちに観光客がくるだろうと明るい展望を持っていた。

 市内のゲストハウスに荷物を置き、さっそくレンタルバイクを探しに行く。公共交通機関があまり発達していない町で、地図が読めれば、自らが運転する方が良い。勝手知ったる街ならタクシーの値段の交渉などもあるが、初めて訪れる場所ではこの方法が一番だ。街が小さいからか、レンタル自転車も多い。もう少し足腰に自信があった頃だったら、自転車にしたはずだ。一日あたりのバイクレンタル料は値切って10ドルにしてもらえた。チェンマイあたりの観光地でのレンタル料が150バーツ(約5ドル)に比べるとまだ高い感じもするが、新車だったので許そう。運転は日本やタイと違い、右側通行なので少々戸惑うが、2年間のイスラエルでの運転経験があるので、なんとかなるだろう。ただし、人通りの少ないところでの左折、右折は要注意。無意識に反対車線に入った経験がある。今日一日はそのことだけを肝に銘じて、カンボジアの風をゆっくり受けながら、市内を一回りしてみた。

 滞在二日目の早朝。アンコール遺跡群入場のため郊外のチケットセンターに向かう。一日券37ドル、三日券62ドル、七日券72ドル。なるべく長く滞在して、ゆっくり堪能してくださいという価格設定だろうが、やはり高い。この国の平均月収が18000円(2022年WEBBOX)と比較しても取り過ぎじゃない、と思ってしまう。ちなみにカンボジア人は入場無料。世界遺産とは外国人の入場料で維持管理するものなのかと勘ぐってしまう。チケットセンターの発表によると。「2023年1月の入除者数は77,436人、販売入場料の合計は3,643,497ドル」となっている。月4億円以上の収入。数値が公表されていることは良いことだが、さて、どのような支出になっているのかぜひ知りたい。ちなみに1月の日本人入場者は2,042人で国別では11位だった。第一位は韓国で9,660人。さすが、ソウルだけでなく釜山からもシエムリアップまで直行便を飛ばしている国だけある。

 

 チケットセンターで三日間の顔写真入チケットは早速購入したが、どのようにして利用、確認するのかわからなかった。なにせとっても広い遺跡群だから。アンコールワットに関しては建物を取り巻く堀があるため、橋を渡る際に検閲可能だが、アンコールトムや郊外にある遺跡はどうなるだろうと考えながら、バイクを走らせていると、早速、道路上で、ストップをかけられ、チケット確認となる。私は、前を走るカンボジア人のバイクに合わせて走っていたから飛び出してきた係官の指示で急ストップ。前を走っていたバイクは止められずに行った。タイで日焼けした顔つきでカンボジア人と変わらない服装をしていたのに、どうして私が観光客とわかったのか。いまだに不思議でならない。初めての道でソワソワしていたのだろうか?しかし、かなり運転になれてきた2日目も3日目も同じ様に路上で止められた。私が借りたバイクに何か印になるようなモノが取り付けられているのか。アンコール・トムに関しては、現地人のようなふるまいができれば、外観は無料で見ることが可能。しかし郊外の遺跡は、アンコール・ワットのように担当官が遺跡入り口で直接チケット確認をするので、チッケト購入はやはり必須。

 さて、アンコール遺跡群について、おさらいを含め簡単に説明。

 世界遺産だから、観光地として知らない人は少ないだろう。近現代史に関しては、インドシナ戦争に巻き込まれたカンボジアについては、内戦それに続く大虐殺の記憶は刻まれているが、約1000年前の東南アジアの歴史は、世界史でも学ぶことは少ない。Wikipediaによると、「アンコール遺跡群は現在のカンボジア王国の淵源となったクメール王朝の首都の跡である。この地には、9世紀頃から数々の王建設が開始された。この遺跡に特に大きく関わったとされるのはスーリヤヴァルマン2世(1113-1145年)とジャヤーヴァルマン7世(1181-1218年)といわれる。スーリヤヴァルマン2世は特にアンコール・ワットを建設、その死後30年ほど後に王に就いたとされるジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムの大部分を築いたとされる」。

 今でこそ小国のカンボジアに見えるが、アンコール朝時代のカンボジア(クメール王国)は、12世紀にその歴史上最盛期を迎えている。領土は現在のカンボジアの周辺、南ベトナムメコン=デルタ)、ラオスの大部分、タイの東部を含み、インドシナ半島最大最強の国家となった。現在のベトナム最大の都市ホー=チ=ミン市(サイゴン)、ラオスビエンチャン、タイのバンコクもクメール王国に含まれていた(地図参照)。ヒンズー教大乗仏教はアンコール遺跡群の中でその姿を顕す。東南アジア文明の代表的な文化遺産として大きな影響を及ぼした。またタイ人が使うタイ文字は、13世紀、ラームカム ヘーン王によってクメール文字を元に生まれたとされている。しかし、13世紀になるとアンコール朝王室の内紛と、タイに圧迫されたことで、次第に衰退していった。14世紀にはアユタヤ朝の侵攻を受け、1431に都アンコールは占領され、プノンペンに首都を遷した。そのため放棄されたアンコール・ワットなどのクメール文化の宝庫は深いジャングルに覆われて忘れ去られることになった。


 

 この遺跡群の中でやはり、誰もが知っているのは、アンコール・ワットだろう。ヒンドゥー教ヴィシュヌ神を篤く信仰して壮大な寺院建築である。大伽藍と美しい彫刻を特徴としクメール建築の傑作とされ、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれている。しかし、今回の私のタビでは、それほど注目に値しなかった。一番興味を持った遺跡はアンコール・トムだった。その理由は、次回へ。