toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

飛行機を使わない旅〜タイから日本まで〜6

426日 一挙に瀋陽まで

旅に出る前、「夜行バス、夜行列車、夜行フェリーを利用すれば、経費も安くなるし、移動距離も稼げるので一挙両得」と単純に考えていた。しかし、どうも体力が持ちそうにない。やっぱり夜行移動を連続でするものではない。睡眠が浅くなり、着替えしないので身体が臭くなる。「夜行列車の次の日は宿」というパターンに変更したほうが合理的だとわかってきた。

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8時の出発前


翌早朝、距離を伸ばすため再び高速鉄道利用し、天津乗継ぎで瀋陽まで
1700キロの移動。世界最長の営業距離を誇り、2018年には香港にまで伸ばした中国の高速鉄道網は中国人の生活を大きく変えたと言えるだろう。広大な中国を短時間で移動できるようになったことを、今、自分が体感している。

196410月、日本の新幹線が開通して以降、日本の経済、人々の生活感もおおきく変化。高速鉄道がもたらす効果は、時間短縮の効果だけではない。沿線の経済効果、建設に伴う事業による効果などもあろう。重要な基盤インフラとして日本経済力を世界第2位まで押し上げ、人々は生活のひとときの豊かさを感じさせた。ビジネスだけでなく観光、ライフスタイルのみならず、思考体系まで一変させた。一方、このインフラ建設は東京一極集中という現象も加速させた。東海道、東北、山形、秋田、上越北陸新幹線のいずれも、首都圏との所要時間が3時間以内程度の地域では東京へのストロー効果を生み出していることも確かだ。このような中、実家がある島根県辺境部は交通包囲網から分離され、高速鉄道や高速道路もなく、空路で補おうとしているが、それも一日2便の東京便しかない。そして搭乗率の悪さから空路を維持するために行政は大変なエネルギーを使っている。それも大事だが、もっと大変なのはたくさんの人々を乗せていた地域内のバス路線やローカル在来線の維持さえできなくなりつつことである。

10歳の時に初めて県庁所在地の松江まで行った。4-5時間かけて車窓から見る海岸風景はいまだに覚えている。東京に初めて行ったのは高校を卒業した18歳。当時、田舎から遠距離の移動は簡単なことではなかった。自分が住んで居た世界とあまりにも違う都会の姿に驚き戸惑い、合わせるのが精一杯だった。田舎に帰るとホッとし、バスや駅前は賑わいがあり、楽しいコミュニケーションがあった。

     こんなことを、西安から天津までの列車の中で考えていた。人口15億を超える広大な中国、恐らく日本のような一極集中はないだろう。すでに、数千万の都市が点在する。通過した昆明重慶成都西安のように内陸部にありながら、大都会であり国という単位の規模に等しい。これをつなぐ高速鉄道の乗客はスマートなカバンを抱え、座席でコンピューターを打ち鳴らしている。彼らの頭の中では、中国大陸地図はかなり小さくなっているのだろう。一方、小さな地方都市や農村部、辺境部に移動する人々は、大きな荷物を抱え、夜行列車に揺られ、まだまだ民族や言葉の違いを乗り越えながら生活しているように思える。成都駅の待合室の風景がまさにそれを物語っていた。

    

北京-ハルビン(京哈)線、北京-上海(京滬)線の 大幹線鉄道の分岐点となる天津西駅は、交通の要衝となっている。約1時間のトランスファーで食べることができたのはハンバーガー。「食にうるさい中国人」というイメージが強いが,高速鉄道駅構内に飲食店が少ないのは何故だろう。これも経済発展による生活スタイルの変化だろうか。

夜、定刻通り乗り継いだ高速列車は瀋陽北駅に到着。列車に掲示された外気温は16度。持っていた3枚のTシャツを全部来て、駅を出た。車窓から見る植生はいつの間にかポプラ並木の街路樹となっていた。

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ポプラ並木が見えてくる。だいぶ北に上がったな

 今回の旅ではどのルートを通過するか悩んでいたが、瀋陽を訪問することは最初から決めていた。中国東北部の中心地北京に背を向け、北朝鮮を支援しているといわれる軍管区、朝鮮族との関係、街匂いが他都市と違うかもしれない。 列車内から インターネット予約した国際青年旅宿舎へ到着したのは午後8時。受付カウンターで一緒になった韓国人青年と夕食を食べる約束をした。そして英語がわかる中国人青年とロビーで遭遇、部屋に荷物も入れず話し込んだ。韓国に渡る丹東フェリーのチケットをインターネットで予約できると、明日の行動に余裕ができる。中国アプリではチケット予約ができると聞いていたが、どうもうまくいかない。それを彼らの助けでなんとかならないと思ったが、やっぱり連絡先や電話番号、クレジットカードなど打ち込むことが多く、途中でミスが出ると挫けてしまう。結局、丹東にあるフェリー会社で直接購入することに決めたが、 あーでもこーでもないと皆で私のスマホをいじり回すうちに、一気に親しくなり、夕食は旅舎のテーブルで持ち込み宴会になる。若い人たちが仲良くなるのは早い。ビール、焼酎、近くの屋台で買ってきた持ち込みディナーに話が弾む。韓国からの崔君は、中国語を学びに来ている。国際政治を学んだというが、ビジネスをしたいと考えているようだ。すでに英会話も堪能で、テーブルにいる3人の中国人に生真面目にどんな商売が可能性があるか探りを入れている。アメリ・フロリダ帰りの李君は、やはりビジネスの資格試験が瀋陽であるためにこの旅舎に数日前から住み込んでいる。両者とも経済的に裕福な家庭に育っているのだろう。就職先を探すという発想はない。リスクはあっても起業家と資格取得を目指している。だから、何か情報を持っているのではないかと、60歳を過ぎの日本から来ている爺に積極的に話しかけてくる。彼らから見ても日本の経済は低迷していることを理解しており、政治がどのように進むのか知りたいようだ。

崔君が、文在寅大統領の動向を批難していた。韓国人らしい。「彼が北朝鮮ばかりを見て、アメリカとの関係をうまくやってない。このままで行くと自国の経済が危なくなる」と勢い良くいう。北朝鮮を同胞と見るかという質問に、若い彼は、「別の国」とはっきり言った。中国人の李君は、韓国と中国の関係については、どうかという質問に対して、「北京次第、どうでも良い」という。彼の頭の中は、完全に欧米思考みたい。将来ビジネスもそちらとやりたいという。こうした伸び伸びしたエネルギーや意欲が中国経済を支えているかもしれない。共産党がこれらを自分の手中でコントロールしようとすると世界で戦う伸びしろは減るかもしれない。昔の国営企業のように。習近平もこのあたりで悩んでいるのかな。中国人の李君は英語ができない他の2人の中国人に通訳をし、国際基準のマナーや食べ物について説明しながら、調整役としてテーブルの雰囲気が壊れないように気を使っている。夜も深まり、若い彼らが興味を持っている女性のことや、それぞれの文化の違いを話題に、3時間は飲んだろうか。「カンペイ、コンベ、カンパイ」を何回しただろう。日本では、年齢層が異なると共通話題ができないように感じる。流行を追い、国内仕様の軽い話題でないと若者は疲れるのかな。同じでないと”壁”ができる。年寄りも孫、年金、病気以外の共通話題がないことが多い。今回あった中国、韓国の若者たちはかなりグローバル化していることを感じながら、政治や宗教の話題でもシラケない。ここが島国ではなく大陸だと感じながら、ドミトリーのベットに入ったら、5分ぐらいで寝てしまった。

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中国、韓国の若者と大騒ぎ