toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

インド・ミヤンマー辺境への一人旅⑤ Varanasi INDIA (Sorry only Japanese)

f:id:toyotaid:20191230112825j:plain

ガンガーと瞑想


3 ヴァラナシ 喧騒そして聖なるガンガー

 ブッダガヤの次は第一目的としていたインド北東部のアッサム、ナガランドに向けて動く予定だったが、ヴァナラシ(ベナレス)への興味が強くなってきた。ヒンズー教の聖地。さらに郊外のサルナートは、ブッダが悟りを開き、初めて説法を開始した場所。「思ったより精神的な癒やしを感じたブッダガヤ、ここまで来たら行くしか無いな」と変な納得をして、インド鉄道局の列車アプリを開き、列車の予約を取った。なんだか聖地巡礼の旅のようになってきた。

僕はヒンズー教をあまり知らない。これを機に、もうすこし中に入れたらいいな。同じ人間だし、65年生きてきた経験を使えば、宗教観や哲学的視点から理解できる部分が出てくるかもしれない。古代ヒンズーいわれるバラモン教はタイでも眼にすることが多い。代表的なのが、庭の片隅に立てられている祠。バンコクのエラワンホテルの横にある大きな祠(廟)は立派な観光地となっている。タイ人はサッサナー・プラムと呼ぶ。2年前、タイで家を建設するときも、お祈りができる祈祷師が来て、米・バナナ・水、酒を使って悪霊がつかないようにお祓いをしてくれた。この地鎮祭のようなお祈りを通して、理解したのは案外、自然神への崇拝を含めて神道に近いという認識だった。バラモン教の流れを組むヒンズー教。このあたりが入り口になりそうだ。

 インドの中のインドと言われているヴァラナシ。到着したジャンクション駅は、いきなり大都会だった。とにかく人、人、人。喧騒の中で道路をゆっくりと渡ることもできない。夜到着なので、駅前にあるホテルを目指していたが、中の部屋を見せてもらうと窓もないタコ部屋。予約していたが南京虫がいそうなので、キャンセル。他の宿を探すと政府のCフォームを提出しなけらばならないので「外国人お断り」の挨拶。インド全土からお客が訪れるこの街ならこれも有りかと。経営も国内需要で十分成り立つ。自分の足では探せないだろうとリキシャのお世話になり、4−5軒のホテルをまわり、午後9時過ぎにやっと外国人OKに遭遇。とはいえ、ここもだいぶ古く、清潔感はまったくない部屋。そして足元を見られて、一泊1000ルピー(1500円)も吹っかけてくるが、値切り交渉するエネルギーも無かった。とにかくバッグを降ろし、シーツの上に持参している寝袋を広げた。ここも南京虫がいるかもしれない。

 暗い夜には判らなかったが、早朝、地図を見ると歩いてガンジス川まで歩いて行ける距離。朝日が顔を出す時間帯には間に合わなかったが、一気に足を伸ばす。朝6時というのに、大通りを行き交う人の数は半端ない。旅行カバンを持っている人も多い。鉄道時刻表も見ても、深夜、早朝にも各地から列車は到着している。ヒンドゥー教最大の聖地はまさに、不夜城。24時間動いているんじゃないかな。

f:id:toyotaid:20191230123933j:plain

町を歩くサドゥー(修行僧?)

 ヒンズーといえば、カースト制度(ヴァルナ・ジャーティ)。これも中学の時に習ったので覚えている。生まれ持って身分や職業を限定する。当時、僕らは民主主義という西洋思想をベースとした学校教育に疑問も持たず、「こんな差別があって良いのか」という疑問と反目があった。そして理解できないことと未開発国というイメージが交差していた。ヒンズー教は、輪廻転生観を基盤とした世界観を強化した社会原理と言われている。カーストは親から受け継がれるだけであり、誕生後にカーストの変更はできない。ただし、現在の人生の結果によっては次の生で高いカーストに上がれる。現在のカーストは過去の結果であるから、受け入れて人生のテーマを生きるべきだとされる。

 ガートと呼ばれる沐浴場がガンガー(ガンジス)川左岸に点在する。水は「聖なる水」とされ、沐浴すればすべての罪を清め、死後の遺灰をガンガーに流せば輪廻からの解脱が得られると信じられている。だから、インド全土からヒンズー教徒は、何はさておき、ヴァラナシを目指す。

 ブッダガヤのアジャイさんが言っていた。「ガンジーは不可触民を神の子(ハリジャン)と言ってカースト制に反対した。今は彼らの中から国会議員もいるし、商売で成功したものもいる。これまでなかった職業であり、インド経済を牽引するIT企業にもハリジャンの若者がたくさんいる」。ただ異カースト間の結婚、ヒンズー教からの改宗問題などの話も聞いた。世界の大国として経済発展の道を進む中で、一国の宗教から国際化に向けて、ヒンズー教は次世代にどのように変化していくのだろう。

 インドは大きい多民族国家であり、世俗主義を唱えてきたことを忘れるわけにはいかない。一方、隣のパキスタンというイスラム国家との問題を抱えるインド。現モディ首相が率いるBJPは、今ヒンズー至上主義を掲げている。選挙による民主国家の民衆統治はたいへん難しいが、あまり強く宗教をバックに推し進めると足元を救われるかもしれないと僕はかすかに感じた。住民も当然変化している。どんなに規制しようと多々の情報を得る社会となっている。

f:id:toyotaid:20191230123845j:plain

祈り、沐浴をす人たち。


 ガンガーの対岸から昇る朝日を受けて沐浴する人々の光景は、これまで訪れた国とは異なるなにかを感じる。大きな何かに包まれたようなゆったりとした時間が流れている。ガートで腰を降ろし、人々の生活、祈りを見ながら、「河川崇拝を通して自然の力を敬っているんだな」人間、自然を含めた大世界をブラフマー、ビシュヌ、シヴァの神が取り仕切っている。そして人間はそれを超えられない、ただ祈り、修行、規律ある生活をすることの重要さについて理解はしようとする僕がいた。

 数カ所のガートをめぐり、再び町にむかって歩き始めた。朝9時を回っていたが、車のクラクション、そして罵声、人の多さは昨日の夕方と同じぐらいになっており、人をかき分け、そして足元の牛糞を踏まないように神経を使わないといけない。歩くだけで疲れが出てくる。もう一度河に戻って深呼吸しようかと考えた。しかし、川辺に近づいて見ると、ガンガーの水も濁っていた。有機質が豊富に含まれているという意味では豊かな川だろう。しかし、いわゆるゴミも多くあった。川で衣類、シーツの洗い取る作業にもおそらく化学洗剤であろう。数千年前とは異なる現実社会があることは確かだ。

f:id:toyotaid:20191230124053j:plain

大通りでは、ヒンズー教団体によって無料の食事が配られていた。