toyotaidの日記

林住期をタイで過ごしています。ここをベースとした旅を綴ります。

インド・ミヤンマー辺境への一人旅⑥ Sarnate INDIA( Sorry only Japanese)

f:id:toyotaid:20200104180845j:plain

アショカ・ピラーを再生したもの。上部の法輪はインド国旗に。その下の4頭獅子柱頭は国章として紙幣などに描かれている


4 サルナート 国際仏教村でゆっくりと考える

 

 ヴァラナシの喧騒から逃れるようにして、サルナートへ。ヒンズー教の聖地からふたたび仏教の聖地に。といっても車で30分ぐらいの距離しか離れてなかった。僕の頭の中が勝手な妄想を抱き、地理感覚を麻痺させていたようだ。それほど2つの宗教の違いが距離感の増幅をおこなっていた。

 とても落ち着いた郊外の静かな街だった。歩いて回れる範囲に外国寺院が点在している。さながら国際仏教村というべき観光スポットがあり、各国寺院は展示パビリオンのようだ。この周遊を目当てに訪れる観光客も多い。日本、韓国、中国、タイ、ベトナム、ミヤンマー、ブータンスリランカを始め、アジアの各仏教国が独自の建築様式や庭園を持ってこの街を飾っているだけでなくお寺の活動を実際に行っている。その中で僕にとって、圧倒的な存在感を醸し出してくれたのはチベット寺院だった。亡命政府がインドにあり、ダライ・ラマも訪れる。寺院に力強さを感じる。多くの若い僧たちが寺院内で修行をし、生活感がある。寺院の前にはチベット料理屋が有り、僧に混じって僕もトゥクパとマントウを昼食で頂いた。

f:id:toyotaid:20200104181407j:plain

チベット食堂でのトゥクパとマントウ。久しぶりに牛肉(水牛?)麺を食べた。

 ゴータマ・シッダールタブッダガヤで悟りを開いた後、以下のようなことを考えたそうだ。

"悟りの内容を世間の人々に語り伝えるべきかどうか?" 28日間にわたって自問した結果、

"この真理は世間の常識に逆行するものであり、法を説いても世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうから、語ったところで徒労に終わるだけだろう"との結論に至った。Wikipediaより)

 客観的に、「人々は悟りの境地を知ることができない」、と言っている点に平凡な僕は興味をひかれる。この人の心理をついた論理性が、仏教が宗教というより哲学だと感じる所以である。人間が煩悩(誘惑)を持つことは自然であり、もっと飛躍した解釈をすれば、「煩悩の存在が、人間が生きるエネルギーとなっているかもしれない」と言っているようにも僕は聞こえる。

 ブッダはその後、梵天(ぼんてん:仏教の守護神である天部の一柱。古代インドの神ブラフマーが仏教に取り入れられたもの。=Wikipedia=)が現れ、人々に真理を説くようと言われ、このサルナートに来た。その理由として、「世の中には煩悩の汚れも少ない者もいるだろうから、そういった者たちについては教えを説けば理解できるだろう」と。その対象者として、ともに苦行をしていた五人の沙門がここに居たからだ。説法の内容は、「中道」、「四諦」と「八正道」。仏門にいる方ならご存知のこと。初めての方、興味ある人は検索してください。

f:id:toyotaid:20200104182324j:plain

遺跡公園内のダメーク・ストゥーパ(仏塔)


 仏教徒にとってサルナートで有名なのは、ダメーク・ストゥーパ(仏塔)。アショーカ王が建設したものと言われている。ブッダがはじめて説法(初転法輪)した場所。現在はインド政府によって整理され遺跡公園になっている。仏教の聖地と言うより、史跡公園という色合いが強い。

 紀元前260年前頃にマウリヤ王朝として、インド大陸をほぼ統一したアショーカ王。インド人にとってはこの地の主役は、ブッダよりどうもアショーカ王だろう。インドの子どもたちの修学旅行バスが子供たちをのせてひっきりなしに訪れ、列をなして遺跡を歩いていた。 隣接したサルナート国立博物館には、貴重な考古学資料が保存されていた。アショーカ王石柱の先端部に乗っている「法輪:アショーカ・チャクラ」の一部だ。インドの国旗を見たことがある人も多いと思う。国旗の中に描かれている「法輪」。その本物がここにあったとされている。残念ながら、僕はスマートフォンのカメラしかなく持込み禁止で撮影できなかった。インド人にとって今のインドという国の形を理解することは、重要なこと。アショカ石柱に刻ざまれた碑文はエビデンスとして、この国の形、歴史を認識する貴重な遺跡なのだ。

f:id:toyotaid:20200104181322j:plain

アショーカ王による石柱の説明文

 アショーカ王の存在は大きい。ブッダ死後100年(?)、石柱碑文によって、たしかに古代仏教はインドで開花している。しかしその後、どうして仏教が衰退したのか。宗教・哲学を専門に学んだこともない僕にとっては、とても気になってくる。

 話は飛んでしまうが、僕は2年間、イスラエルのテルアビブとパレスチナジェリコで生活をしていた。この時期、ユダヤ教キリスト教、そしてイスラム教の世界の中に取り込まれた。とりわけ、初めて接するユダヤ教の世界、彼らの社会原理や考え方、そして日常行動には驚かされる場面も多かった。

 その一つはイスラエルではクリスマスが無かったこと。世界中、日本やタイのような国でさえも、クリスマスはツリーが飾られ、街中が華やかになり、若者たちは友人や恋人たちと楽しむのが当たり前。商業資本によって作られているのは確かだが、イスラエル最大の商業都市テルアビブでもその賑わいはなかった。ましてや敬虔なユダヤ教徒が多く住むエルサレムに至っては、クリスマスの「ク」の字すら無い。旧約聖書新約聖書の違いぐらしか理解していなかった僕は驚きを感じた。そして、イエスユダヤ人だった。イエス新約聖書によって伝えられるように、ユダヤ人のためのユダヤ教の形式化、神との契約を批判し、キリスト教の始祖となった。その言行は『新約聖書』によって伝えられている。もっと細かく見ると、イエスはあくまでユダヤ教の枠内で、その改革を主張し、容れられずに処刑されされた。その後、その使徒たちによって、人種・民族を越えた救世主であると説かれ世界宗教へとなり、時間を掛けてキリスト教ユダヤ教から分離していったと言われている。

 ユダヤ教とイエスの関係のように、バラモン教ヒンズー教)とブッダもそれに近いのではと、旅の途中ふと思った。仏教の祖となるゴータマ・シッダールタは、バラモン教が持つ、宇宙の神によって創造された世界の中で輪廻転生、身分差別に疑問を持ちはじめた。今のヒンズー教の基礎となる古代バラモン教の苦行信仰を止め、悟りを開いた。全ての現象は、「原因や条件が相互に関係しあって成立しているもの、生きるすべての人は、煩悩(誘惑)→行為→苦悩に苦しむ」。彼はこれから開放されるあたらしい法を説いた。民族宗教的なバラモンから、仏教は民族や人種を超えた世界宗教の道を歩み始めた。そしてブッダ滅後、アショーカ王はその教えをインド全域に広めている。

 残念ながら現在、キリスト教も仏教も、発祥の場所では育っていない。夜中、町の屋台にて地元の青年たちと仲良くなり言葉を交わしたが、このサルナートの住民の多くもヒンズー教徒。仏教はマイノリティと感じざるを得ない。紀元前には一時的にインド全域に広がったとされる仏教、一方、その後ヒンズー教では、ブッダをビシュヌの9番目の化身として仏教を取り込んでいる。そしてもう一つの勢力であるイスラム教との対立、攻撃を受けて衰退したことも歴史的事実として残っている。

 布教活動に力を入れ、ヨーロッパから全世界に拡大したキリスト教に対して、仏教はそうでない。アジアだけに留まっている。共産主義の台頭による宗教否定、経済のグローバル化、数々の新しいファクターが入り混じっている近代、ブッダの真理は将来、どこまで人々の心の中に入っていくのか?サルナートでの3日間の滞在中、肉体的にはゆったりとした時間を満喫する一方で、曖昧な宗教観を持っていら僕の頭の中は、久しぶりに働き詰めとされた。

 "ブッダが悟った真理は世間の常識に逆行するものであり、法を説かれても僕は悟りの境地を知ることはできないだろう、学んだところで徒労に終わるだけだろう"という思いが頭をよぎった。65歳。まだまだ修行が足りない。